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佐藤忠良の女性像

毛利伊知郎

 佐藤忠良の彫刻作品中、帽子のシリーズに代表される女性像は、〈群馬の人〉に代表される人物の頭像、幼い子どもたちを主題とした作品とともに、佐藤忠良の造形を語る上で、重要な地位を占めている。

 裸婦に代表される女性像が、具象彫刻の中心を占める重要なテーマであることはいうまでもなく、佐藤の親しい友人であり、佐藤と共にわが国現代の具象彫刻界を代表する作家でもある舟越保武、柳原義達らも、それぞれの女性像を創造している。佐藤の場合は、1970年代以降、帽子シリーズを初めとする一連の女性像が数多く発表され、これらの作品は、その洗練された造形表現によって、多くの人々の支持を得て、初期の〈群馬の人〉と共に佐藤の代表作となった。

 佐藤が、戦後の早い時期から現在まで一貫してつくり続けている頭像は、非常に制約の多い彫刻作品である。頭像の場合、彫刻家は、モデルとなる人物の表情を単に写生するだけではなく、その人物の表情を通して内面性や性格、気質など眼には見えないものをも表現するきびしさが要求される。

 これに比べて、全身像は、ポーズや空間構成といった点で作家が受ける制約は小さくなろう。着衣の有無、手足のポーズ、身体および顔の向き等々によって、作家は自由な空間構成・造形表現を行うことができる。こうした意味で、佐藤忠艮の女性像からは、頭像作品とは趣を異にする造形言語を読み取ることもできよう。

 年譜や作品目録によると、佐藤の女性像で最も早い時期の作品は、1937年の第12回国画会展に出品された〈裸習作〉であるという。その後、1944年の徴兵と、それに続くシベリア抑留とによって制作が中断されるまでの数年間に、10点近い裸婦像が制作されることになるが、それらはいずれも失われて現存しない。

 残されている写真によると、それらの像は、わずかに体をひねったり、あるいは片膝を曲げたりして立つ裸婦やトルソで、写実的な肉付けを基調としたおだやかな雰囲気の作品のように見受けられる。

 シベリア帰国後の佐藤は、親族や親しい友人たちを主題とした頭像制作へと傾斜していくが、その間に〈やせた女〉(1953年)や〈はだか〉(1954年)などの裸婦像も制作されることになる。

 1953年の新制作展に出品された〈やせた女〉は、高さ50センチあまりの、両手を腰に当て、足元を見つめて、右足に重心をかけて立つ痩身の女性像で、ポーズや造形に作為的な手は全く加えられず、内省的な雰囲気が強く漂う作品となっている。

 また、翌年の〈はだか〉は、伏し目がちに顔を傾け、両手を腰におろして、左足を一歩踏み出して立つ若い健康的な女性の立像で、〈やせた女〉につながる造形を示している。


 1950年代半ばになると、こうした初期の頭像に通じる、比較的単純な形式の中に深い内面性を込めた造形を示す女性像に変化が現れることになる。〈足なげる女〉(1957年)、あるいは現存しない〈坐る〉(1955年)〈伏せる女〉(1956年)〈さかさ〉(1956年)といった作品がそれで、こうした作品では、ある種の運動感を伴った造形が作者に強く意識されているようだ。

 佐藤忠良の彫刻作品に対しては、ポーズなどの変化の少なさを一つの特徴とする指摘がある。たしかに、佐藤作品は、饒舌で大げさな身振りやポーズからは遠い距離にある。抑制された像容の中で、人間存在の内奥に迫ること、それがこの彫刻家の真骨頂であろう。そうした中で、50年代後半に制作された上記のいくつかの作品は、むしろ異色といえなくもない。

 もっとも、こうした動きのある表現は、1960年代半ば以降の子どもを主題とした作品にもみることができる。たとえば、子どもを扱った代表的な作品である〈ふざけっこ〉は、左足をあげて飛び跳ねる女の子の軽やかな一瞬の姿をとらえた像であるが、ここでは幼児のみずみずしい生命力の発露が、この躍動感のある身振りの中に、率直に表現されている。

 このように佐藤作品には、〈群馬の人〉に代表される〈静〉の頭像、1950年代半ば頃の〈動〉の女性像あるいは子ども像、という対極的な性格の作品を見いだすことができる。この〈静〉と〈動〉の両極に位置する表現を経て、両者の止揚の後に生まれたのが、60年代末から70年代以降に発表されることになる一連の女性像ではないだろうか。


 佐藤忠良の女性像といえば、だれもが先ず思い浮かべるのが、1970年代以降のいわゆる帽子のシリーズだろう。このシリーズによって、佐藤忠良は、多くの人々にその名が知られることとなったし、また現代の具象彫刻に新しい女性像の世界を提示したということもできる。

 帽子シリーズ最初の作品は、1972年の新制作展に発表された〈帽子・夏〉で、その後、〈帽子・あぐら〉(1973年)、〈帽子・立像〉・〈帽子・裸婦〉(1974年)、〈帽子・冬〉(1979年)、〈帽子の像〉(1986年)といった全身像が継続して制作され、その間に小さな胸像・頭像もつくられている。また、これと並行して〈若い女・夏〉(1972年)、〈円い椅子〉・〈長い椅子〉(1973年)等などの女性像の制作も行われている。

 この帽子シリーズの女性像に先立ち、またスタイルの上でも関係深いのが、60年代末の〈マント〉(1968年)や〈ボタン(大)〉(1969年)、70年代に入ってからの〈ジーパン〉(1970年)、〈若い女性〉(1971年)といった作品群であろう。〈ボタン(大)〉は、フードのついたマントの胸ボタンをとめる女性の像だが、フードや正面向きの女性の身体が左右相称の三角形を形作り、簡潔な美しいシルエットを見せる作品となっている。この作品に見られる均整のとれた空間構成が、〈帽子・夏〉〈帽子・立像〉などのシンメトリカルな構成の像へと展開することは容易に見て取れる。

 しかも、〈ボタン(大〉〉や帽子シリーズの女性は、うつむき気味のポーズや鍔広の帽子によって、通常の位置からみると、顔の表情が隠される傾向が強い。

 こうした全身像の表情の扱いについて、作家自身は「全身の彫刻を作った時、顔の表情だけを作るということではなくて、顔は一つの凹凸ぐらいに要約して身体の一部として語らせていることが多い」と語り(『対談 彫刻家の眼』佐藤忠良+舟越保武1983年)、表情があるということでは、手や足先なども、顔と同じであろうという。

 〈帽子・夏〉では、ゆるやかな弧を描く両腕、開いた両膝、踵を上げた足などによって、静かな安定感と軽やかな動きとを兼ね備えたフォルムが形作られることになる。

 その結果、この像に接する者の限は、女性の表情に限定されることなく、作品全体の形態へと向かい、左右相称を基調とした空間構成とそこから発するすがすがしい雰囲気が一層強調されるということができよう。

 また、ジーンズやシャツを身につけた半裸の女性を扱った〈ジーパン〉や〈若い女性〉、〈若い女・夏〉は、健康的な女性美を清潔感あふれる形で具体化しているが、こうした造形が帽子シリーズにも共通していることはいうまでもないだろう。

 このように左右相称の安定した構成を取ることによって生まれる空間構成の美しさと、誇張のない、要所を押さえた堅実な肉付けによる清新ではつらつとした女性美とがあいまって、帽子シリーズは佐藤忠良後期の代表作として、多くの人々の共感を得ることとなったのであろう。

 さらに加えて、帽子シリーズの大きな眼目となっているのが、他ならぬ帽子やジーンズであろう。こうした現代生活の中にとけこんだ服飾品を作品の中に取り入れることによって、これら佐藤作品は、多くの現代人に親近感を抱かせることに成功した。

 現実の生活からかけ離れた存在ではない、現代の実生活との関わりから生まれた作品だという共感を人々が抱いたこと、これも佐藤忠良の女性像が多くのファンを生んだ一つの要因ということはできないだろうか。


 佐藤の女性像には、奇をてらった、大げさなポーズは、まったくない。人気を博した帽子シリーズの女性たちも、腰を下ろし、あぐらを組んですわり、両手をあげて立つ、といったさりげないポーズをとる。

 〈帽子・あぐら〉とそっくりのポーズのコマーシャル写真が新聞に掲載されて驚いたというエピソードを作家自身が綴っているが、これは余人ではついに見過ごしてしまう人間の何気ない表情やポーズから、調和のある、しかも多くの人々の共感を得られる現代感覚をもった彫刻を生み出す鋭い眼と手とを、この作家が備えていることをはからずも示しているようだ。

 〈蒼〉(1992年)や〈ブラウス〉(1993年)など最近の作品を見ても、裸婦や着衣の女性像が、佐藤忠艮にとって重要なモチーフであることに変わりはない。それらは、求心的な密度の高い造形を示す頭像とは、立体造形としての成り立ちや性格において違いはあるが、いずれも人間に対する、鋭いけいれどもあたたかなこの彫刻家の眼差しに根ざしている。そのヒューマニズムが多くの人々の共感を呼ぶのだろう。

(三重県立美術館学芸課長)

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