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榊原一廣−その前半生

毛利伊知郎

 榊原一廣の名前は、現在に至るまで、必ずしも広く知られているわけではない。彼は、1941年(昭和16)、兵藤県伊丹市で59歳の生涯を閉じたが、彼の画家としての人生が最も輝いていたのが、1920年(大正9)から3年間におよぶヨーロッパ旅行と、画学生として過ごした京都での青年時代であったことは想像に難くない。また、近代美術史上に彼の位置づけをしようとすれば、やはりこの京都時代の画業に焦点を絞らざるを得ないであろう。そこで、ここではヨーロッパから帰国するまでの榊原の前半生をたどり、明治後半から大正期にいたる彼の画業の一端について記することとしよう。


 榊原一廣は、1883年(明治16)12月10日、三重県鈴鹿郡亀山町南野村(現在の亀山市南野町)に生まれた。榊原家は、代々亀山藩に仕え兵法の師範をつとめる家柄であったが、父一善は、明治以後、官吏として鈴鹿郡の郡長などをつとめたという。


 津にあった私立励精館から三重県第一中学校(現在の三重県立津高等学校)に進んだ榊原は、そこで新井謹也と出会うことになった。新井は、1884年(明治17)三重県鳥羽の出身。1903年(明治36)に京都に出て、聖護院洋画研究所に入学、また牧野克次にも師事して、榊原よりも一歩先んじて絵画の道に進んでいた。後には、明治末京都の革新的な美術団体として知られる「黒猫会」や「仮面会」に参加したが、1920年(大正9)からは作陶に専念し、陶芸家として一生を終えた。


 榊原と新井との間にどの程度の交渉があったのかは明らかではない。榊原のご子息によると、中学1年以後はほとんど交渉はなかったという。しかし、榊原が画家として歩み始めるきっかけは、後年、京都のある展覧会場で偶然新井と出会ったことにあったという。


 榊原は、三重県立第一中学校4年生在学中の1902年(明治35)、教職員人事がもとで起こった生徒達の一斉休校に参加したとして放校処分を受けた(この処分は、後に取り消される)。その後、前記のように、1904年(明治37)京都で新井謹也と出会い、新井も師事していた牧野克次に入門するとともに、聖護院洋画研究所に入った。そして、1906年(明治39)には、新たに設立された関西美術院に入学することになる。


 関西美術院については、これまでにも幾つかの報告がなされているが、当時の榊原の生活については、すでに一部が紹介されている彼の日記から知ることができる(註1)

註1 『叢書 京都の美術 U 京都の洋画 資料研究』82−90p 京都市美術館 1980年

 榊原の京都時代の日記は、1904年(明治37)1月1日から10月6日までと、翌年6月1日から5月31日までの分と、若干の断章が残っている。

 このころから彼は展覧会等に出品するようになり、1905年(明治38)の関西美術会第4回展覧会に初めて出品したのを皮切りに、以後、同会の展覧会や競技会に出品を重ねた。

 上記の日記中には、1904年から1906年頃の主要な制作品目録が含まれている(註2;下欄参照)。この聖護院・関西美術院時代の榊原の作品は非常に数が少なく、数点の存在が知られるのみで、現在では目録所収の作品もその大部分を見ることができない。

 本展出品作のなかでは、「香良洲浜」(1906年)がこの時期の作品である。

 この作品は、先の目録に「からすの海岸」と記されているものに当たり、1906年の夏8月、美術院の休暇中、郷里に近い伊勢湾沿岸の香良洲の海辺で制作されたものである。その画面は、この時期既に彼が、師であり、当時京都の美術界で大きな影響力を持っていた浅井忠の作風を忠実に学んでいたことを伝えている。

 また、当時、榊原は関西美術院の他の画家たちと同様、京都市内やその近郊に足繁く通って、盛んに写生を行っていたことが、彼の日記やこの目録中の作品名からわかる。

 関西美術院の画家たちの間で、風景写生が盛んに行われていたことは既に報告されているが、榊原も他の画家たちに交じって、白川や出町あるいは八瀬など画家たち人気の場所へと写生に出かけていたのであろう。

 1907年(明治40)2月、榊原は関西美術院で共に学んでいた女性・田中志奈子と結婚し、同年4月に三越呉服店に技手として入社、店内装飾や図案を担当した。また、この年京都から大阪に居を移している。

 その後、1909年(明治42)には飯田呉服店に移って図案部長をつとめたりしたが、純粋に画家として生きたいという希望は断ち難かったらしい。画家として一層の飛躍を遂げるために、ヨーロッパへ留学したいという思いが募っていたようである。

 この旅行中、榊原は詳しい日誌をつけている。その一部は、このカタログ中に翻刻したが、そこからは未知の世界に初めて足を踏み入れたこの画家の心のたかぷりが生き生きと伝わってくる。

 渡欧日記の冒頭にも記されているように、いくつかの障害はあったようだが、彼はようやく念願を果たし、1920年(大正9)8月30日、神戸港で郵船加賀丸に乗り込みヨーロッパへ向かうこととなった。

 香港、シンガポール、コロンボ、マ・泣Zイユなどを経由して、10月24日、榊原はロンドンに到着した。ロンドンに20日間ほど滞在した後、パリに移り、京都時代の画家仲間である都鳥英喜や田中善之助、梅原龍三郎らと出会い、在パリ日本人画家達の集まりである「リラの会」にも出席したりしている。

 パリで会った画家たちのうち、田中善之助とはその後も行動を共にすることが多かったようで、この年12月からの南仏旅行には、田中善之助と田中のパトロンの山田という人物の二人が同道している。

 パリでの日々は、昼間は美術館訪問に、また夜は遅くまで仲間達との談論に時を過ごしたようで、そうした奔放な生活にピリオドを打つべく、南仏への制作旅行が企画された。

 カーニュを中心とした南フランスへの旅行に、彼は制作上の大きな期待を抱いていたようで、かつてルノアールがしばしば滞在し制作した場所として知られるカーニュに着くと、近くのカンヌやニース、マルセイユなどにも時々出かけて、制作を始めている。

 今回展示される榊原作品の多くは、この南仏で制作されたものである。本格的な作品の少ないのが惜しまれるが、「カーニュ風景」(No.1−9)や「海岸風景」(No.1−23)などには、京都時代の生真面目なスタイルの作品とは異なり、より力強く自由な筆使いを見ることができる。

 南フランスには、翌1921年(大正10)4月まで滞在し、その後パリに戻り、初夏にはイタリアにも行ったりしながら、1922年(大正11)9月には帰国のためパリを離れた。ただ、彼の日記は、6月8日最後の南仏旅行からパリに向かうところで終わっているために、帰国前後の詳しい状況は明らかでない。

 ヨーロッパから帰った榊原は、翌1923年(大正12)に滞仏記念洋画展覧会を大阪で開催している。おそらく滞欧作が数多く展示されたのだろうが、詳しい内容は明らかではない。他の画家の場合にも往々に見られることではあるが、残念ながら帰国以後の榊原の作品には、型通りの保守的な傾向が目立ってくるように思われる。それとは対照的に、今回展示される初期の京都時代や滞欧期の多くの水彩や素描・写生帖は、生渡の中での短いけれども、幸福な環境にあったこの画家の心の昂揚を伝えているようだ。

(もうり・いちろう 三重県立美術館学芸員)

註2. 目録は次の通り。京都時代作品目録

1904年
1.花
2.樹陰
3.農家
4.琵琶湖
5.海辺
6.夕日
以上は出品物なり
7.秋の森  
8.八瀬の秋 明治36年競技会出品褒賞この画は新井兄入営に付□送別のため八瀬に旅行の際作りし物にて同道者中の□者たりしおり。以て当時の佳作なり。后江坂氏に送る。
9.北野森  
10.出町之枯柳 明治36年6月大阪に於ける競技会出品
11.木枯 明治36年競技会及展覧会出品
12.池畔 競技会出品
13.井
14.町のほとり
 
1905年
5.出町橋
6.筧
7.山家
8.加茂寒林
9.朝の荒神口
20.湖畔 以前の作画中見るべき者は只に湖畔一あるのみ。(後略)
21.八坂の塔
2.田舎の家
3.高瀬川
4.荒野の暮 第4回展覧会及競技会出品物
5.寒林 6月競技会及び展覧会出品
6.冬の白川村
7.清水奥の院
8.霜よけ
9.牧場の夕
30.清水の塔
1.老木
2.林中茶亭
3,春の日
4.湖畔
5.梅林
6.佛□山門
7.春之野 第4回展覧会出品
8.白川村
9.八瀬之春 第4回展覧会出品
40.むぎの畑 第4回展覧会出品
暑中休業中の作品
1.伊勢の海
2.某所
3.初夏 第4回展覧会出品
4.茂里
5.志摩の海一
6.志摩の海二
7.鈴鹿山原
8.森の暮
9.加太村
10.流水の横 第4回展覧会出品
1.青柳
2.荒神の森
3.なの花畑
4.田舎屋
5.秋の野の暮
6.八瀬の秋色
7.晩秋
8.秋の荒神口
9.寺の中
10.歓迎町の夕
1.八坂神社画馬堂
2.松上社
 
1906年
3.花園竹の藪  
4.加茂の竹林一 四月競技会出品二等賞
5.加茂の竹林二
6.円山公園
7.清水梅林
 
8.大原の梅一 四月東京太平洋画会上野展覧会出品
9.大原の梅二 四月同上
10.伊勢阿漕浦
1.津松尾崎
 
2.津くるしまの朝
  津 四天王寺
  七条のほとり
  三条通りの町
太平洋画会展覧会出品
5.伊勢海の夕
6.ラレ(ママ)の藤
7.小口村
8.美術院の横
 
年暑休業中作品
9.紀州尾鷲の海岸 第5回展覧会出品
10.紀州引本の海岸    〃
1.尾鷲の海岸と桃頭島を望む    〃
2.鰹舟    〃
3.餌かご    〃
4.九鬼の岬    〃
5.鰹つり
右7点は、在紀州中に作りし物
   〃
6.松尾岬 第5回展覧会出品
7.阿漕の舟    〃
8.からすの小松    〃
9.からすの漁舟    〃
10.からすの海岸    〃
1.霽後    〃
以上13点は、ようやく完成の作品にして、九鬼の岬を除くの他は普通□□□を得
2.葡畑
3.裏の葡畑
4.岡崎の小流
  加茂の藪
  晩秋
  冬の朝
  冬の暮
  木屋町の夜
 
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