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斎籐 清の木版画

陰里鉄郎

戦後の日本現代美術のなかで,世界の注目を集め,国際的評価をうけた最初のものは,版画であった。それは,いまでは伝説化さえしている1951年(昭和26)の第1回サソパウロ・ビエンナーレ展における斎藤清の木版画,駒井哲郎の銅版画による受賞であった。1951年はサンフランシスコ講和条約調印の年であり,戦後の荒廃はまだ消えやらず,社会的混乱もつづいていたころである。戦後美術も,戦中以来の思想的頽廃や鎖国的状況のなかで,戦中からそれに耐えつづけてきた美術家たちによってようやく復興の緒についたかにみえた時期であった。現代フランス美術展と称したサロン・ド・メ日本展が初めて開かれたのもこの年のことである。こうした状況のなかでの斎藤・駒井の受賞は,美術の本流と一般には考えられていた日本画,油彩画の分野ではなく,版画であっただけに日本の美術界は多少当惑してうけとめた感がある。しかしまた,版画の国として日本の再出発,版画伝統の再認識を促したことも争えない。

このとき受賞した斎藤清の作品は,<凝視(花)>であった。女性の横顔のシルエットに花が重なり,葉の一枚と女性の日とが一体となって両者はつながり,シルエットの木目を生かした摺りと目とが画面に大胆と繊細とが一致した効果をうみだしている。こうした構成の近代性と,抑制された地味な色彩ではあるが,それがかえって作者のもつ文化の風土の色彩を感じさせ,明快な抽象化の形態と合致して民族性をも充分に表現されていた点が高い評価をうけたのであろう。タイム誌の表紙を飾ったのは同様に<凝視>と題された猫の図であり(1954年),以後,版画家斎藤清の名はアメリカを中心に世界的に知られるにいたったが,斎藤自身は,自分は版画家である,とは,少くともそれだけであるとは考えていない節があり,油彩画や水墨画をも自己の表現の領域としている。ただ,多く版画を制作しているにすぎないのであるが,われわれにとっては,斎藤清の作品のうちで木版画のもつ魅力は甚大であり,斎藤の表現世界の典型をそこに見出すのである。

斎藤の版画は,昭和10年(1935)前後にはじまっている。斎藤自身の回想によれば,油彩画にはげんでいたところに石原求竜堂版の安井曽太郎の木版画を見たことに触発された,ということである。そしてそのすぐあとで永瀬義郎の著書『版画を作る人へ』(大正11年刊)に接して大いに啓発されたという。こうして初期の代表的作品〈会津の冬〉がつくられることになったようである。

斎藤は年譜で明らかなように,絵画をほとんど独学で学んできている。したがって直接には版画のいかなる師ももたなかったのである。ゴーギャンやムンク,ルドン,さらにはモソドリアンといったヨーロッパの画家たちに親近感をよせ,ひそかに学びとってきたのであるか,しかし孤立したようにみられる斎藤版画の背後に日本の近代版画の歩みを重ねてみることも無益ではないであろう。

周知のように日本における木版画の歴史は古いし,江戸期の浮世絵版画が19世紀半ば以降ヨーロッパの画家たちによって高く評価されたこともよく知られている。近代木版画となると分業的な浮世絵版画の系譜とは別に,自画,自刻,自摺の創作版画とよばれる新しい版画活動が現われてくる。明治末期の山本鼎,石井柏亭らの『方寸』グループ(1907−13)から,大正初期の詩誌『聖杯』(のち『仮面』)と『月映』,これらによって洋画におけるフュウザン会と対応する清新な版画活動が長谷川潔,永瀬義郎,恩地孝四郎,田中恭吉,藤森静雄らによって展開され,大正8年(1919)には日本創作版画協会第1回展が開催されるにいたっている。それは昭和期に入って日本版画協会(1931年創設)となるが,一万,既存の洋画団体でも昭和2,3年(1927,28)には春陽会展,国画会展に版画室が設けられている。大正初期以降の創作版画のすぐれた部分は,ムンクやルドンなどの世紀末芸術,ゴーギャン,ゴッホなど後期印象派,さらにドイツ表現派の影響を著しくうけている。共通していえることは,この時期の日本の木版の創作版画の活動家たちの作品は,表現主義的で詩的な造型の直截な表現をみせていることであろう。さきにあげた斎藤漕が親和感をいだいた画家たちと共通し,その点では斎藤は決して孤立してはいない。ただ,斎藤との世代差と彼の出発がややおくれ気味であったこと,そしてまた,画面に表われている性格的差異としては,同様に世紀末的,表現主義的であっても,斎藤にあってはどこか土臭い健康さ,都会的な知識人にはない風土感を濃厚にもった詩的感受性を感じさせられることであろう。それをエキゾティシズムといえばそれまでであるが,斎藤の画面は,それを超えた詩と造型とをもっている。

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