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中谷泰 昭和30年前後の作品について

毛利伊知郎

中谷泰の作品中,重要な意義をもつ一連の作品として,農民や炭坑夫,漁婦などの労働者を主体としたものがある。それらは,初期の頃に多く描かれた静物画や母子を主在とする人物画,あるいは後年多数発表されることになる叙情的な雪景色などの風景画とはかなり趣を異にし,表現主義的な激しさを含んだ強い印象を私たちに与える。

こうした古い時期の作品に対し,画家自身は,現在ではあまり良い評価を与えていないかも知れない。しかし,昭和30年前後における新しい美術運動の動向とも関係して,それらの作品の戦後洋画史上の意義は少なくなく,また社会性を重視する中谷泰のかつての姿を知る上でも重要であると思われる。ここでは昭和30年代前半を中心に盛んに発表された人物画を中心に,中谷泰の代表作とも言われる陶土のシリーズも含めて,この画家の一面と作品の展開とについて記すことにしよう。

農民や炭坑夫,漁婦などの労働者を主題として発表された最初の作品は,おそらく昭和28年(1953)の「暗い港」「乳房」(第30回春陽会出品作)であろう。これに続いては,翌昭和29年(1954)の「農民の顔」(第31回春陽会出品作),「実らぬ稲」(第1回現代日本美術展出品作),「流田」(第2回平和美術展出品作)等が同じ系列の作品としてあげられる。

さらに,昭和30年(1955)には,「嫁」(第32回春陽会出品作),「はまを荒す者」(第3回日本国際美術展出品作),「漁婦」「不漁」(第3回平和美術展出品作)などが発表されている。

これらの作品に共通していることは,まず主題として描かれているのが,農業や漁業などに従事し,厳しい生活環境の中にいる人々であるということである。

たとえば,第30回春陽会出品作の「暗い港」(図1)をみてみよう。画中忙大きく配されて,画面構成の上で,この絵を支配しているのは,巨大な港の起重機であり,港湾労働者の姿は,小さく描かれているにすぎない。造形的な面では,作者の眼は,起重機と大型の機械部品とが構成する形の、おもしろさに向かっているかのようである。しかし,この絵のタイトル,画面から受ける印象を考えると,画家の人間としての眼差しが,起重機の下で作業する労働者に向けられていることは明らかであろう。

図1

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図2

図2


図3

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また,同年の「乳房」(図2)は,野外で子供に乳房を含ませる母親の姿を描いた作品であるが,この母親は,大きな麦藁帽子をかぶり,作業服を着ている。おそらくは屋外での肉体労働に携わっているのであろう。異様なまでに大きくデフォルメされた手や,豊かな乳房,大きな目鼻立ちがこの母親のたくましさを象徴しているが,その表情に現れた一抹の愁いは,子への愛情とともに,自らの境遇に対する彼女の心情を語っているかのようで,日本の社会を底辺で支えている人々に対する作者の優しい眼差しが強く感じられる作品である。

こうした傾向が更に進められているのが,昭和29年に発表された「流田」「農民の顔」「実らぬ稲」や,昭和30年の「漁婦」「はまを荒す者」などであろう。

「流田」(図3)は,中谷自身の解説によれば,昭和28年の夏7月,和歌山県下を襲った豪雨の際に氾濫した有田川へ自ら出かけて,水害によって大きな被害を被った人々をテーマとして描いた作品であるという。

この作品では,横長の画面を用いて,被災者である絶望感漂う表情の男女3人を大きく描き,その背後には,水害によって荒れ果てた現地の情景が表されている。造形的には,特に目だつところはないけれども,弱者に対するこの画家の共感が強く現れている点,また水害の現場に駆けつけて,現地の窮状を絵画化することによって社会に伝えようとする姿勢が強い点,当時の中谷泰の社会に対する行動的な姿を知る上で重要な作品である。

「農民の顔」も,異常に大きな手をした農民のプロフィールを描いていて,造形的には,前述の「乳房」の母親の姿と同じく,この画家の人物像の特徴を強く示している作品である。また,昭和30年の「嫁」は,魚工場で子供をおぷって働く母親の姿を描いている点,先の「乳房」と同じ系列につながるが,背中の子供のあどけない表情と,感情を表さずに黙々と魚をさばく母親の姿が対照的で,みる者に深い共感を迫る作品となっている。

これら一連の人物画の中で,その絵の主張面のみならず,造形面でも最も成功していると思われる作品は,「漁婦」と「湖畔」(昭和33年・第35回春陽会出品作)であろう。いずれも,漁港で働く婦人の姿を主題とした作品である。細部に違いはあるが,両者とも,画面一杯に,両手に魚の入った籠を下げて,正面向きに立つ婦人の姿を描く。その姿は,身にまとった防水作業着のためか,腰の部分が大きく張って,全体が三角形に近い形を作り,その単純化された構図と人物の存在感の大きさのゆえに,この種の人物画の中では,特に強い印象を与えることに成功している。

これまで述べてきた一連の人物画は,昭和30年を中心とする前後5年ほどの間に制作されているが,そこでは,中谷泰の関心は,絵画が本来的にもつ造形的な部分に対するよりは,むしろその作品によって社会ないしは一般大衆に対して何らかの問題意識を訴えかけるという社会性を持った機能面により強く向けられている。当時のこの画家の姿勢を最も強く特徴づけているのは,そうした点であろう。

こうした中谷泰の作風が飛躍を遂げたのが,昭和33年頃から発表され始めた「陶土」と「炭坑」のシリーズであろう。

そこでは,これまでの労働者を主題とした作品に強く感じられた社会的姿勢が,表面から一歩退き,それまで見たこともなかった目新しい景観に対する画家の新鮮な感動と驚きが,作品の中に素直に表現されるようになったのである。

中谷泰が,炭坑や陶土をモチーフとし始めたのは,昭和30年頃からであったという。画家自身の回想によれば,昭和30年には,佐藤忠良・森芳雄らと初めて常磐炭坑を訪れ,「遠近法や空間の解釈まで変わってしまう程」強い印象を受け,翌昭和31年からは,愛知県の瀬戸や常滑という陶器の産地にも写生に行くようになったという。

「陶土」が最初に発表されたのは,昭和33年の第35回春陽会で,以後数年にわたって同じ主題の作品が発表されることになる。それら一連の「陶土」は,陶器用の土を採掘する現場にぽっかりとあいた巨大な窪地の形のおもしろさに着目した作品である。時により窪地の形は様々に変化して,掘られた各部分が複雑な姿を見せるが,その様子をほとんど灰褐色一色によって描き出している。画面に定着された情景は,必ずしも実景そのままではないと作者は述べているが,画家による巧みなアレンジが,この陶土のシリーズを支える大きな力となっていることは否定できない。

採掘現場にも,あるいは遠景に小さく描かれた陶器工場にも,かつて中谷泰が好んで取り上げた労働者達がいるはずであるが,この陶土では,そうした人物が主人公になることはなく,画家の視野は以前に増して大きな広がりを持っている。

主要モチーフを前景に大きく配し,後方に副次的なモチーフを小さく描く構成の手法は,さきに述べた労働者に取材した人物画の画面構成と共通するものであるが,「陶土」では,画面の雰囲気は一変して,造形に関わらない事柄を直接的に絵に主張させるといったところはなく,純粋に絵画作品としての造形美を追求することによって,作品全体に堅固で構築的な性格が与えられている。

この陶土のシリーズに至って,中谷泰の作品は,造形的に一段と高い完成度を示すようになったといえるだろう。「陶土」発表以後,中谷泰は,風景画制作に大きな比重を置くようになるが,その原点が,「陶土」のシリーズであることは明らかであろう。

後に数多く発表される一連の「雪どけ」や「段丘」などの風景画は,画面の叙情的な雰囲気が強められている点が,「陶土」とは異なるけれども,画面の構築法や色調など多くの点で,「陶土」と共通するところがあり,そうした作風展開を見る上で,中谷作品における「陶土」シリーズは,大きな意義を持っているのである。

(もうり・いちろう 三重県立美術館学芸員)

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