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備前

岡山県備前市伊部(旧伊部村)を中心とした地域で焼かれてきた備前焼は,6世紀の須恵器窯にさかのぼる長い歴史を持ち,平安・鎌倉各時代を通じて,陶器生産を続けた。堅く焼き締まった茶褐色の地肌が備前焼の特徴であるが,こうした地肌の作品が現れるのは酸化■(えん)焼成が行われるようになった鎌倉時代以降のことで,それ以前の備前焼は,灰白色に近い地色を呈している。室町時代の15世紀に入ると窯場は数か所に集約され,桃山時代には,南・西・北の三つの大窯に窯場が統合され,生産も組織化が図られて,西日本を代表する陶器生産地となって活況を呈し,江戸時代以降も活発な生産活動を続けた。

備前の窯跡からは,日用的な摺鉢や甕,壺などの断片が大量に出土し,茶器のそれはむしろ少ないことから,備前焼の全生産量の中で茶器が占める割合はごく少なく,生産の大半は日用的な陶器であったと考えられている。このように備前焼の生産の主力は日常的な雑器であったが,室町時代後半になると,備前焼の茶器が,信楽焼などと共に,いち早く茶の湯の世界に登場する。例えば,口縁や胴に箆による装飾が施された,弘治3年(1557)の銘を持つ筒花生が現存するが,それはこの時期に既に備前において佗好みの茶の湯道具への志向が強くあったことを示している。

また,佗茶を唱えた村田珠光関係の史料には,備前焼への言及がしばしば見られるし,その後も江戸時代前期にかけて,備前焼は,茶会記などの茶の湯関係の文献に度々登場し,紹鴎所持の「備前水指 銘青海」(徳川美術館蔵)や利休所持の「備前桶形水指 銘破桶」(前田家伝来)などのように武野紹鴎や千利休など有名な茶人達の好んだ茶器も伝世している。

桃山時代の備前焼には,茶碗はやや少ないものの,花生,水指,茶入,鉢,徳利,皿など様々な器形のものがあり,茶の湯道具として評価の高い作品も多い。それら桃山時代の備前焼は,窯変手とよばれる暗褐色の肌をした焼き締まったものと,一般に火(緋)襷と呼ばれ,焼成時に器の周囲に巻きつけた藁が表面に付着して赤褐色の捧をかけたように仕上がったもの,また伊部(いんべ)手と呼ばれる,塗り土をした黒褐色の薄手の作品の三つに大きく分けられる。

No.2−31「備前烏帽子箱形水指」は,菱形をした水指で,塗り土をした伊部手を代表する作品の一つ。内箱蓋表には,小堀遠州による「ゑほし箱」の箱書きを持つ,中興名物の一つ。

No.2−43「〔生殿〕銘備前額形平鉢」は,神社や仏殿に掲げられる扁額をかたどった作品。本品のように,見込みに文字を書き込んだ例は珍しく,他には見られない。「生殿」の文字の意味は明らかでなく,本品の当初の用途も不明である。見込みには,一般に牡丹餅と呼ばれる焼成時に生じた置跡が七個あり,胡麻釉とよばれる黄褐色の釉がかかっている。こうした胡麻釉と牡丹餅は,窯変手の作品の多くに共通する特徴的な装飾である。No.2−42「備前額形平鉢」も,額形平鉢の作例で,型抜きによる成形と考えられている。

No.2−45「備前火襷皿」は,口径50セソチを越える大形の皿で,全面にあらわれた火襷が特徴となっている。火襷は,焼成時に作品同士が接触するのを防ぐために巻きつけられた藁が,火中で,器の表面に襷のような文様を作るのである。成形は,轆轤を用いており,簡素な器形をしている。この作品は,火襷の皿の中では,「鳳栖」の銘を持つ藤田美術館の皿とともに,よく知られたものである。底面の高台近くに「叶」と判読される窯印が刻まれている。

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