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「日本近代の洋画家たち展」開催にあたって

陰里鉄郎

洋画とは,いうまでもなく西洋画の略である。日本の近代の絵画の領域のなかでは,伝統的な絵画の材料,材質,形式,様式による絵画を「日本画」と呼びならわしてきており,それに対して,日本が西洋世界の文化と接触したときから,自国の絵画とは全く異なる表現の形式,様式,その材質,さらにはそれを導きだしている外界の認識や視覚を徐々に受けいれて,西洋絵画ふうの表現をとった絵画=洋風画を生みだし,やがて西洋画そのものをも日本の絵画の一領域として確立させるにいたって,これを「洋画」と呼びならわしてきている。

日本が,はじめて西洋絵画を知ったのは,16世紀中葉,キリスト教の伝来とともにであった。そのときから約1世紀,キリスト教的な絵画を中心として日本国内でも西洋ふうの絵画はつくりだされたのであったが,キリスト教の禁止,鎖国政策と同時に,それはほとんど跡をとどめないまでに消えていっている。再び,西洋画への関心が現われて,日本絵画の表面に洋風の表現が顔をみせはじめるのは18世紀後半からであった。それは,ほぼ蘭学(オランダ語を通じてヨーロッパの文化,科学を学んだ学問)の勃興と軌を一にしている。時代は江戸後半期であり,江戸文化の爛熟のなかで,それは必ずしも系統的な発展をとらないが断続的に継承され,また,洋風表現のある部分は伝統絵画のなかに完全にとりいれられてさえいったのであった。洋風表現とは,具体的にいえば,透視図法による科学的な遠近表現と,陰影法,明暗法による立体表現のことである。

しかしながら,洋画といった場合,狭義にはいわゆる油彩画を意味している。いわゆる日本画が,膠を媒剤とする水性絵具で描かれるのに対して,油を媒剤とする油性の絵具によって描いた絵画であり,ヨーロッパにおいて15世紀以降に発達した絵画材料で,近世以後の西洋絵画の主流をなしてきている。日本においては,前記の江戸洋風画の時代にも散発的にそれらしきものが現われており,当時の画家たちの苦心のほどが推察されるが,本格的に描かれはじめるのは19世紀後半,明治期にはいってからであった。以後,1世紀余りの短い歴史をもっているにすぎない。

この1世紀余りの時期は,日本が急速な近代化をはたした時期であることはいうまでもない。近代化というものが,大枠としては西洋化であったこともよく指摘されるところである。それは,国内の政治,経済から社会,一般の民衆の生活の内部にまでさまぎまな変化を生みだしてきた。そして,それはそれぞれの側面で新旧の闘争があり,大小の衝突がくり拡げられたのであったが,絵画においては,永い歴史と伝統に培われてきた伝統絵画=日本画が,表現の内部である種の変容を迫られながらも命脈をたもって生きつづけ,それに新しい分野として洋画が加わるという形で日本の近代絵画の成立をみることとなった。形のうえでは,きわめて分りやすい判然とした成立をみたとはいえ,その内実には,創作者たちの血みどろの苦闘があったことは想像に難くないであろう。

この「日本近代の洋画家たち展」では,江戸最末期に江戸洋風画の伝統の最後にたち,そして日本の近代洋画の最初の地歩を占めた高橋由一から太平洋戦争の時期までに自己の絵画思想をほぼ確立させた画家たちまで,近代の思想と表現とを強烈に表出していると考えられる洋画家たちとその作品によって日本の近代絵画を回顧,展望しようとするものである。

(三重県立美術館長)

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