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「まつりの造形」展に寄せて

酒井哲朗

いま三重県では「まつり博」(ll月6日まで)が開かれています。博覧会というものは、ある場所である期間盛大に開かれる一回限りのイヴェントです。「まつりの後」や「後のまつり」という言葉があるように、「まつり」もまた、瞬時華やかな盛り上がりをみせた後平静に戻っていく、つまり、いっときの非日常的な時空を現出させる点では共通しています。違うのは「まつり」は地域社会に根ざし、定期的に開かれるという点でしょう。博覧会は一種のおまつりだとよくいわれますが、そのおまつりのテーマを「まつり」そのものにしたというのは、なかなかおもしろいアイデアだと思います。「まつり」そのものに徹したイヴェントというわけです。

美術館でも、「まつり博」の関連事業として、「まつりの造形」展を開くことになりました。展覧会も一種のイヴェントという点で「まつり」と似ていますが、「まつりの造形」展はむしろ似て非なるものといえましょう。「まつり」はあくまでもパフォーマンスであり、人間が主役です。しかし「まつりの造形」は、出品目録が示すように、面や衣装やまつりに関連するさまざまな物たちであり、いわば人間を欠いた形骸とその断片です。しかし、まつりを彩り荘厳するその形骸や断片は、まつりの所作や熱狂の陰にかくれてそれ自体あまり目立たない存在であるかもしれませんが、その用途を離れて造形物としてみた場合、実に美しく魅惑的であります。

これらは美術や芸術といった文脈とは異なった次元で成立している美しさです。面や衣装のように美術品として鑑賞されているものもありますが、一般に民俗資料という範疇に分類されているものが多く、人々の生活と深く結びついた造形物であります。それらは近代の美術概念でいうキッチュなどではなく、日本人の生活文化が生みだした独特のヴァイタルな、あるいは洗練された美であるといえましょう。美術や芸術と別の世界の造形物の魅力というものを味わっていただきたい、というのがこの展覧会の意図であります。そして、このような美を生みだした日本人の感性は、根底では美術や他の芸術と深くかかわっているものと考えられます。

「まつり」について、少しふれておきたいと思います。民俗学によれば、常民がまつりといっているのは、必ずしも神社の祭祀には限りません。盆や彼岸の先祖まつりや精霊まつり、豊穣を願う日の神まつり、豊猟や身の安全を願う山の神まつり、家屋敷を守る荒神まつりや地神まつり、稲荷まつり、金神まつりなど数えきれないくらいあり、くらしのあるところすペてまつりがあるといっていいほどです。マツリの語源は、マツラフなどと同じく、傍にあって奉侍するという意味で、「人間の力以上の超越的存在を神聖視し、それに侍してつねにこれを奉祀していくのがまつりの本質である」(桜井徳太郎『民俗探訪3 神々のフィールドワーク」)といわれます。神まつりに由来する「まつり」は、生活世界のいたるところに神が遍在すると考えた日本人にとって、もともと生活に密着したものだったといえます。したがって、いま私たちの時代の、たとえば、まつりの名をつけたおぴただしい商品のセールス・プロモーションや学園祭なども、それらが現代風に甚だしく逸脱しているとしても、「まつり」が生活と密着している点からいえば、まんざら無関係ともいえないわけです。

集団的な「まつり」は、共同体を基盤に年中行事に基づいて形成されました。太陽が昇ると外に出て働き、太陽が沈むと家に帰って休む、季節の循環にしたがってこういった生活の繰り返しの中で、すなわち自然のリズムにしたがって、労働や休息の生活のリズムができあがっていきました。自然を恐れ、自然の恵みに感謝し、春には春まつり、秋には秋まつり、あるいは夏まつり、冬まつりなどが行われるようになりましたが、その中心となったのは、村や町の氏神や鎮守でした。この氏神や鎮守は、春日神社や諏訪神社、稲荷神社、三島神社など由緒ありげな名前がついていますが、はるかな昔には山の神や田の神、畑の神などが祀られていただろうといわれています。長い時の流れの中で、神仏習合が行われたり、地域自体にさまざまな変動があり、神々もまたその影響を受けました。

明治時代になって神社が国家の統制を受けることになり、官幣社、国幣社、道府県社、郷社、村社などの社格が定められ、それぞれの神社がランクづけされた時、神社の由緒や社名についてさまざまな捏造や改変が行われたといいます。さらに、明治末期に神社合祀という国の神社政策の結果、神社の整理統合が行われ共同体の神々は変容を蒙ります。また、神職制度の確立によって、「まつり」が神事と禁札に分断され、神事は官僚化、形式化し、祭礼は氏子に委ねられることになりました。地域神社の国家管理化がすすみ、地域における神社のあり方は変わりましたが、「まつり」は民衆の手によって存続しました。

日本の「まつり」が決定的に変わったのは、戦後のことです。昭和30年代の経済成長の結果、日本の都市も農村も大きく変わりました。産業構造や社会構造が根本的に変革され、「まつり」を成立させていた共同体が崩壊したためです。かつての日本の「まつり」は、もはや消滅したといっていいかもしれません。現在も「まつり」が存続し、というよりいまの方が盛大になり有名になった例は少なくありません。しかし、そこには以前の共同体の情念はみられず、それらの多くは観光化され、ショウアップされた現代の「まつり」に変貌しているといえましょう。いったん極度に衰微した「まつり」ですが、最近は、「まつり」をひとつの伝統芸能として復活し、地域活性化の手だてとする傾向がみられます。「まつり」に地域のアイデンティティを求め、地域の再生を図ろうとする試みです。

「まつり」は非日常の時空が現出された状態であり、「まつり」の空間は、神祭りというその起源に由来する聖なる空間であります。したがって、「まつりの造形」は、すべて何らかの宗教的意味をともなった聖なるかたちであるといえましょう。たとえば、谷川健一氏によれば、神の乗物である神輿を飾る鳳凰は太陽の象徴であり、蛇を思わせる太い飾り紐は水を表し、それらは天の火と地の水の相応、豊穣をもたらす二つの力の出会いを象る造形であるといいます。神仏や精霊が宿る自然の諸力は、しばしばさまざまな変化・変身像として表象されます。「まつりの造形」の見所のひとつは、そういった豊かな想像力が生みだしたかたちにあるといえましょう。

「まつり」には仮面と装束が登場します。人は面をつけることによって一時的に神と化し、未来を予見して生産を保障し、悪霊や疫病を鬼神となって退散させ、集団の繁栄や安全をはかりました。このような原始的信仰からはじまった仮面は、祭祀の場では神の憑代であり、人と神の媒体になります。日本の仮面は種類が多く、その機能も多様ですが、貴族や武士によるものと、庶民の間で育てられたものとに大別できます。前者は、伎楽面・行道面・舞楽面で、中国大陸からもたらされ、古代の芸能、宗教行事、宮中儀礼に用いられ、大社・大寺・宮中で育てられました。もうひとつは能面・狂言面で、中世から近世にかけて武家社会が大成させた日本独白の芸能です。これらはいずれも芸術性の高い仮面です。後者は、庶民の信仰の中で育てられた素朴な民俗的仮面です。これらは日本全土にわたって広がり、様式化されないヴァラエティに富んだ自由奔放な土俗的表現が特色です。

「まつり」の華やかな衣装やかぶりものも、やはり神聖なものです。身体を飾る装飾性とともに象徴的な機能をもっています。「かぷりもの」をかぶり、衣装を身につけることによって、その瞬間から人は日常世界から離脱し、非日常的な時空に属することになります。かぶりものや衣装は、脱日常装置あるいは異界創出装置といえるわけです。「かぶりもの」をかぶるという行為は、注連縄を張ってその中に神聖な空間をつくる「結界」ににた一種の‘儀礼的な囲い”であるといわれています。

「まつり」の空間は、さまざまな素材によるさまざまなかたちの聖なる造形物によって飾られます。御幣、剣鉾、梵天、旗、幟、慢幕、カンザシ、ケズリバナ等々…。これらは神の依代であったり、結界を示すものであったり、その象徴的機能はさまざまですが、いま私たちはこの展覧会で、これらの聖なる造形を本来それらがもっていた意味を離れて、純粋に造形物とみなして構成してみたいと考えました。たとえば、山形県の出羽三山神社の松例祭に用いられた曳綱があります。これらは用途とは別にオブジェとして圧倒的な迫力があります。同じ神社に奉納された恙虫の造形があります。「つつがない」の語源になったこの害虫を象どり、疫病や虫害などからの除災を祈願したものですが、ここにみられる造形感覚は、現代人の想像を超えたプリミティヴな生命力に満ちています。

また、三重県のゲーター祭りの「アワ」などは、現代の最先端の美術を連想させます。現代の美術表現には木、石、布、土、金属などさまざまな素材を使った作品があり、一見日常の生活世界の構造物と見紛うものがあれば、奇妙な非日常的なオブジェもあり、それらが類似の様相を示すとしたらおもしろい現象です。反転された聖性とでもいうのでしょうか。

近代の美術はその表現を個人の内面に局限し、形式を純化させてきました。今世紀の美術は近代の合理主義の呪縛を逃れるために、原始芸術に根源的生命力の回復を求めたり、集合的無意識のような集団の記憶を呼び戻そうとしたりしました。「まつりの造形」のような、共同体の濃密な情念が生みだした聖なる造形を現代人が再生することは、もはや不可能といっていいでしょう。しかし、この展覧会のさまざまな造形物は、少なくとも私たちが見失ってしまったものを思いおこさせてくれることは確かです。

(三重県立美術館長)

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