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第1章 海が呼んだ旅のはじまり

ベルンとその周辺−イタリア−パリ 1913まで

パウル・クレーと旅というテーマは、時も空間もこえた人外の異界からやってきたような作品をまえにするとついみすごされがちだが、重要さからいって、たとえば絵と音楽のテーマに劣るものではない。そして絵と音楽とがそうであったように、対立するものの相互浸透、内と外との不思議な両義性という、クレーをかたるときつねにたちあらわれる精神の原型のようなものが、ここでもよく感じられる。いったいクレーは、わが芭蕉翁のような漂泊の魂をかかえた画家ではなかった。「日々旅にして旅を栖とす」ることはけっしてかれの信条ではない。しかし「月日は百代の過客」と観じつつ、ひたすら内的せかいの固有時をきまま自在に旅する居籠りの詩人型でもなかった。クレーとともにゲルマンの暗い森をさまよっても、闇に輝く聖杯の光をみつけるのではなく、夜の深さの底の底をくぐりながら、やがてひろびろとした南国の太陽のしたへつれだされる、という絵の体験からもそれはいえそうだ。じっさい未知の土地に足をはこぶ楽しみはクレーの生涯にわたって、かたよらず、とぎれず続いて深まってゆくのである。

クレーの記憶するかぎりもっとも幼いときの旅は、家族とのフリーブル旅行だった。そしてそこで出会ったアレクサンドリアの少年の「家のように大きい船にのって海を渡った」というはなしにとても興奮している。「船」と「海」の登場といっておこう。この後しばらく、画家をめざしてミュンヘンのアカデミーに入学するまでの青年クレーの旅心は、もっぱら、ベルンに近いトゥーン湖を中心とした故郷アルプスの山歩きに集中している。ハイキングとか登山といったほうがいいこの旅がのこした属目の風景画は、この当時のクレーの絵心のありかを暗示している。ようするに、クレーははじめいわ・艪髟洛i画家を目指していたといっていいだろう。とはいえ、美術ばかりか音楽と文学にも人並みでない才能と感受性を示したクレーにとって、なにかをうまく描けるかどうかよりも、そもそも絵とは何かといった根本的な疑問をてっていして生きることのほうが、もっとも切実で、そういう内的外的な葛藤と試行錯誤と、それに対するもったいぶったドイツ観念論的な思考の薄明からぬけでて、光あふれる認識の国へむかっての旅が、どうしても必要となってきた。そのときクレーのまえにあらわれたのがイタリアである。

1901年10月24日夜、クレーはジェノヴァに到着。生れてはじめてみた海は月光をあびて輝いていた。「海」のテーマに生命が吹きこまれた瞬間である。そこでクレーはこういう。「海とはどんなものか、わたしはだいたい想像していた。だが、港がこんなだとは思わなかった。」いかにもクレーらしいアイロニーにみちた表現で、遠くへゆくことの象徴だった海への感動をさりげなく隠し、港に話題をもってゆくことで、その憧憬はいっそうつよくつたわってくる。かれはこうもいっている。「海の旅は、すばらしかった。星の種粒のように煌めく夜のジェノヴァの町が、おもむろに海の彼方に沈み、満月の光に吸い込まれてゆく。」そしてこのときのクレーはきっと、子供のとき読んだ本の『ユリシーズは海を見た』というフレーズをくりかえし思い出していたはずである。

(東 俊郎)

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