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三次元から二次元をひけば穴があく
−−清水九兵衞の彫刻をめぐる覚書

石崎勝基

T.

 『MASK 連想 T』(1991年、cat.no.50)−少し前までの日本人の平均身長よりは高かろう、鈍い光沢をはなつシルバー・グレイの金属板が二枚、左右にたち、その間を、板より背の低い円筒が結んでいる。円筒の弧はゆるやかで、独立したかたまりというより、左右の板から連続してきたとも、板の奥から少しはみだした何かとも見える。円筒部は節のつらなりからなり、下から四節目で、上にのびるところを直角に折れ、壁につながっていく。そのため、円筒部は、内がつまっているというより、折れを許す分密度が小さいと感じさせるのだが、表皮の金属が硬さをつたえるだけに、むしろ中は空洞なのかもしれない。また、円筒部が壁にむかう分、板と壁の間があいていることも意識させられる。
正方形でまったいらな板は、とりあえず、ニュートラルに近い性格をしめすといってよいだろう。視線はとりつくしまもなく、表面ではじきかえされても不思議ではない。ただ、光を完全に反射するとも、完全に吸いこむともいえない表面のしあげは、視線、そして光を、一点一点でまといつかせ、なめらかに表面をなぞることにブレーキをかけてしまう(1)  (1) 篠田達美「彫刻空間と質感 清水九兵衞の彫刻について」、『清水九兵衞新作彫刻』展カタログ、佐谷画廊、1991.6。
 そのかぎりでさらに、板だけでなく、中央に円筒部をはさみ左右相称なので、視線は、作品と垂直にのみ交わることなく、中央から左右へひろがろうとする方向性をはらむだろう。作品にむかう視線は、板にぶつかるヴェクトル、左右にひろがるヴェクトル、表面にまといつくヴェクトルの三つがはじきあい、まざりあって、物体としての作品と一致しきるのでもなく、かといって無限定に拡散するのでもない空間を醸成するのである。この時、板が平面であるがゆえに、表と裏はいったんたちきられ、連続してまわりこむことはできない。しかしまた、円筒の折れ、板と壁とのあいまがあるのだから、板は、その上でのイリュージョンのはたらきのみをこととするような平面=絵画ではもとよりなく、あくまで三次元の空間のうちにあって、それに方位をもたらすのだ。

 方位という点では、板と円筒の前面が壁に、円筒の折れた部分が床に、それぞれ平行であること、いいかえて、前者が床に、後者が壁に垂直であることが意味をもつだろう。このため、円筒部は、床からはえだし壁に接続する、建築の有機的な部分をなすと見えなくもない。壁と平行な板は、やはり、その大きさとあいまって、自足したかたまりとはならず、部屋の空間全体にはたらきかける。作品は、部屋の空間が、みずからニュートラルな箱であることをやめ、何かを語りださんとした結果生じたともいえよう。
他方それは、空間のありかたに回収されきってしまうわけでもない。この点では、さきにふれた視線の滞留とともに、曲面部を中央にした左右相称の構成が暗示する、ある種の擬人性の役割がかかわってくる(2)。丸彫り彫刻とはまったくことなる、しかし正面性から発した表情が、作品に何らかの存在感をもたらすのだ。もとよりこうしたイリュージョンは、室内空間と平行な配置、板や構成の厳格さなどによって、作品自体にひきもどされることになる。平面性と空間性、直線と曲線、硬さと柔らかさ、無機性と擬人性などが交渉しあい、そのいずれでもない何かが、部屋の空間を収束させ、またよどませる。  (2) Hinatsu,Tsuyuhiko‘Freshness and Mystery.Kyubey Kiyomizu.Sculptor and Ceramist(The Creators)’Asahi Evening News, 1991. 9. 8. 「翼をいっぱいにひろげてたつ鳥のよう」。

U−1.

 清水九兵衞の作品についてこれまでのべられ、また清水自身語ってきたことから、核として、相関しあう三つの焦点をひきだすことができるかもしれない。素材の問題、建築空間との関係、形態上の特質の三項である。

 清水は、1971年の南画廊での個展以降、ほとんどもっぱらアルミニウムを用いてきた。金属という素材の選択については、清水がそれ以前、陶芸を制作していた頃との対比から語りおこされるのがつねである。陶芸家として高く評価されていたにもかかわらず、清水は、土という素材についになじめなかったらしい。「土という素材は、もっともよくしゃべる素材ですね。だから土で仕事をするには、土のしゃべることを聞きながら、自分の方に引き寄せていかなければならない。そこに土の妙味があるのでしょうが、ぼくなどは、そこに猛烈な嫌味を感じてしまうのです。ところが金属は非常にだんまり屋で、しゃべらない。…(中略)…だけど私は、かえってそういう無口な素材にどうやってしゃべらせるかということの方に、興味があるのです」(3)。こうして、1967年、清水は陶芸の制作を完全に絶ってしまうにいたる(4)

 金属彫刻に転じた最初の発表となる1966年の五東衛名義での二人展から69−70年の渡伊までは、真鍮が用いられた。その頃は「つかみ所のないアルミには殆ど関心を持つ事はなかった」(5)というが、「建築空間とか野外への興味が次第に強くなっていて、作品も大きくなっていたし、大作をつくるために少しでも経済的に軽く、重量的にも軽くしたいという現実的な事が加わって、アルミに手を出す事になった」(6)。土にかぎらず、「どうも、木という素材は好きじゃないんですよ。木目がこんな風にはっきり出てくるでしょう? これがなんだかいやなんです」(7)と語ったことがある点からしても、アルミニウムの選択にあたっては、その中性的な性格、中原佑介のいう「非歴史性」(8)があずかっていると考えてよいだろう。

 アルミニウムをあつかう際の技術的な側面については清水自身の説明にゆずるとして(9)、アルミニウムはしかし、まったく個性を欠くがゆえに用いられているわけでもない。清水は日本人の立体に対する美的感覚を支配するものとして、「質感のバランス」をあげている(10)。この時、鏡面に磨かれたステンレスの「マジック的な抵抗感」、ブロンズや真鍮の「尊厳な顔」に対し、アルミニウムの「寡黙で、ヌーボーとした」(11)表情がクローズアップされる。ただし、アルミニウムの質感はそれだけで物質性を強調されるのではなく、一方で「四囲との関係を考えてうまくしゃべらせるため」(12)、他方「質感とフォルムとの関連性、その中でものをつくっていこう」(13)とする視点を忘れてはならない。
 (3) 乾 由明「アルミニウム−清水九兵衞(素材を語る1)」、『いけ花龍生』no.237、1980.1、p.29。
 (4) 1987年、20年ぶりに作陶活動が、七代目清水六兵衞として再開される。「気分的には前みたいに大上段にふりかぶって土に対するということはなくなった。土と気楽に話し合えるようになっている点では少しは進歩があったとは言えないかな」という、架空対談/清水六兵衞・清水九兵衞「花陶容と彫刻、その背景にあるもの」、『かたち』no.6、1988夏、p.7。ただし、六兵衞としての仕事と九兵衞としての仕事は「あんまり関係がない」と、はっきり区別されている、同、p.6。
 (5) 清水九兵衞「アルミを知る」、『季刊現代彫刻』no.15、1978.1、p.85。
 (6) 同上、p.86。
 (7) 大岡 信「清水九兵衞の鋳物(現代作家のなかの伝統〈5〉)」、『藝術新潮』no.233、1969.5、p.121。
 (8) 中原佑介「九兵衞の立方体」、『清水九兵衞』展カタログ、フジテレビギャラリー、1987.9。
 (9) 註5前掲「アルミを知る」、p.86−89.
 (10) 清水九兵衞「環境と彫刻−C&D 創立十五周年記念公演より−」、『C&D』vol.15−no.63、1984.4、p.29、および同「野外造形への意識」、『中部讀賣新聞』、1984.5.18。また、「質感」とマチエールが区別されている点に注意しよう、「作家訪問 清水九兵衞」、『美術手帖』no.533、1984.10、p.129。
 (11) 註5前掲「アルミを知る」、p.88。
 (12) 同上。
 (13) 註10前掲「作家訪問 清水九兵衞」、p.128。

U−3.

建築空間に対する意識は、形態のありかたをも規定する。「清水のアルミ彫刻は、ゆったりした曲面がやわらかく拡がっているところに、大きな特色がある」とされる(21)。この「茫洋とした感じ」(22)は、アルミニウムの質感とともに、清水自身「扁平なフォルムが好きで」(23)、「自分には水平志向がある」(24)とのべている点に結びつくだろう。

 中学時代の、「家が海の近くにあって、学校から帰るといつも海辺に出かけるのが習慣の様になっていた。…(中略)…ゆるくカーブして見える不動の水平線は唯一本の線ながら、時には刻々と変って行く陽光のかげりに様々な姿態を見せてくれる様で楽しかった」という体験(25)が、「イタリアの家の屋根は、どこまでもアミーバ状にずっと拡がっているのですね。帰ってきて日本の屋根を見ると、かなりはっきりした形体をたもちながら、イタリアと同様ほんとうに茫洋と拡がっているような感じなのです」(26)、「京都の屋根瓦の連なりを眺めていると、幾何学的、直線的に仕切られている中に、微妙な曲線が感じられる」(27)との感慨につながる。そこから導きだされたのが、「直線の中に内在する曲線」(28)にほかならない。直線と曲線の内包しあう関係は、清水の形態の特徴をよくいい表わしている。
 (21) 同上、p.30。
 (22) 同上。
 (23) 清水九兵衞「(作家のことば)」、『清水九兵衞』展カタログ、フジテレビギャラリー、1982.6。
 (24) 筆者との会話より。
 (25) 清水九兵衞「(作家のことば)」、『現代彫刻・日本の八人』展カタログ、現代彫刻センター、1980.5。
 (26) 註3前掲「アルミニウム」、p.30。
 (27) 「現代美術に生きる伝統。、時代精神1984……美術と状況。彫刻家清水九兵衞氏に聞く(聞き手/阿部信雄)」(下)、『新美術新聞』 no.380、1984.10.11。
 (28) 註10前掲「作家訪問 清水九兵衞」、p.131。

V−1.

 アルミニウムの茫洋とした質感、床や地表、壁などを意識しつつ、「直線の中に内在する曲線」をひきだすかのようにして成立した清水の作品に対し、早くから日本的伝統との関連が指摘されてきた(29)。「質感のバランス」をめぐる清水のことばがしめすように、清水自身、そうした因子が無意識のうちであれ、いやおうなく働きかけてくることを認識している。他方清水は、意識的に日本的なるものをだそうとしてもだめだろうとものべる(30)。それはさておき、清水の作品には、いわゆる彫塑なるものが与えるイメージとは、確実にことなる点を認めることができよう。

 『MASK 連想 T』の主要な部分は、二枚の板にほかならなかった。中央部も、内がつまっているとは感じさせない。そのため、作品の前と後は連続して移行していくことなく、文字どおり表裏として、方位を異にすることになる。物としての作品は、二次元の面の展開からなりたっているのだ。それでいながら、そうした作品が配されるのは、三次元の空間のうちである。三次元と二次元の落差によって、ただの空虚とはことなる、空間に対する何らかの性格づけがもたらされるといってもよいだろう。

 丸彫り彫刻なるものを、地面と垂直にたつ軸、および中心軸からのばされた径の変化である表面との関係からなりたつかたまりを基本にするものと、仮に考えてみよう。この場合、作品は当然、表面が閉じたかたまりをなすことになる。また、軸が生成する天と地の区別は、つねに前提とされているはずで、そこに重力に対する意識が働いてくる。こうした性格は、人体を発想源とするところから生じてくるもので、ムーアやヘップワース、ガボなど、空洞をうがって周囲の空間を浸透させようとする二○世紀前半の彫刻でも、基本的にはかわらない。変化が生じるのは、シュヴィッタースのように環境性を重視したものを別にすれば(こちらはレリーフとの関係から位置づけることができるかもしれない)、大まかには、プライマリー・ストラクチュアあたりだろう。そこでは、空間をドローイング的に分節することがはかられるようになり、作品は開かれた相を呈する。ただその場合でも、空間が三次元の座標席軸からなることに対する意識は、徹底的にたもたれている(即物性と観念性の乖離をこととするミニマル・アートについてはおく)。

 土方定一は「ひとつの空間のなかの孤立して立っている立体作品という性格は、ここでは清水さんの造型感覚のなかに無いといっていいようだ」とのべたことがあるが(31)、こうした西欧彫刻のありかたに対し、あくまで二次元の面自体が展開する清水の作品は、きわめて異質だといえるかもしれない。中村英樹が「清水九兵衛の彫刻には“塊量感”がない」と指摘したのも(32)、この点にかかわるのだろう。二次元の面は三次元にあって、開かれているともいえまい。面は視線をとおりぬけさせはせず、むしろ遮断し、滞留させ、表面にそって滑走させるのだ。そして面が物理的に無限ではありえないとすれば、面のはしで空間は、不運続な亀裂を開いてしまうだろう。

 こうした特質は、建築空間との関係にもつながってくる。建築、なかんづく室内において、空間自体は、いかなる性格づけがなされているかをとりあえず度外視すれば、空洞といってよい。そして、空間をしきる床や壁は、二次元の面という姿をとることになる。中原佑介が1984年の個展の際、「正方形の板は床や地面、あるいは壁といった外部空間の表面のメタフアー」と指摘したように(33)、清水の作品は、こうした二次元の面としての床や壁に、同じ二次元の面として平行することを基本とするのだ。そして、床や壁が残した空洞としての三次元に、大きく抵触することなく干渉する。とすれば、「床から壁への移行」(34)も、むしろ自然におこなわれよう。もとより水平と垂直で性格は変化するにせよ、両者は根元的に対立するものととらえられているわけではあるまい。清水がしばしば、床にそってひろがる作品と壁にそった作品を対として構想するのも、それゆえだろう(cat・no・12、TRAVERSE−Dとcat・no・18、20と21、30・31と32など)。

 清水は塀について、「こうした薄板とも言っていい構築物自体には心から引きつけられると言うことがない。塀と連繋したマッス的構築体が塀によって一層ひきたたせられている時、はじめてその効果に驚いたりする方である」とのべたことがある(35)。しかし、『MASK 連想 T』や『TRAVERSE−E』(cat.no.18)のように、薄板がそれこそ主役になっている作品を思えば、ことは単純ではない。逆に、マッスに支えられた壁が薄板をひきたてるというべきだろうか。『TRAVERSE−E』や同じカサハラ画廊での個展に出品された『TRAVERSE−D』については、本体と脚の部分の比重が逆転すると指摘されてもいる(36)。しかしそれも、ニュートラルな正方形の板が、視線をおのれにとどめさせず、表面上でそらしてしまうからだろう。その結果脚の部分に目が移るとしても、脚はあくまで、壁や床との連結役をつとめるかぎりで意味をもつ。ミニマル・アートに通じるメタ絵画論的な志向を読みこめなくもない『TRAVERSE−E』は、脚が仲介する壁や床とのへだたりおよび牽引によって、自分の前と後という空間を方位づける点で、ミニマル・アートにおける観念との対峙とことなっている(37)

 面としての展開と床や壁とのこうした関係は、形態上の特質にもカをおよぼし、それが「扁平なフォルム」として結実するわけだが、ただその場合でも、面は、床や壁と完全に一致してしまいはしない。『MASK 連想 T』や『TRAVERSE−E』『FIGURE』シリーズの多くの作品(cat.no.25、26、27、30、31、34、35、36、39)がしめすように、少しすきまが残され、それが前後にまといつく空間を保証するのだ。床におかれた作品でも、『affinity B』(cat.no.7)のように、床にはいつつ、身をおこそうとするように見える。こうした姿勢は、『TRAVERSE−G、H』(cat.no.20、21)において、整理されたかたちでしめされている。その際問題なのは、面なり形態以上に、床や壁と、おきあがろうとする面とのあいだに開くはざまだろう。はざまという、それ自体は実体をもたないうろの方こそが、むしろ形態のありかたを決定するのである。中原佑介のいう「接触の含む微妙でとらえどころのなさ」(38)も、この点にからむと思われる。

 清水の作品は、アルミニウムの鋳物という技法ゆえか、表面が閉じていても、中はうろをなす板からなっていると感じさせる。それはしかし、面自体のありかたに負うところも少なくない。「ゆったりした曲面がやわらかく拡がっている」等としばしばのべられるその曲面は、多く、ほとんど平面のままのびようとしながら、わずかに湾曲しているように見える。その湾曲も、平面に対し垂直の力が働いたのではなく、表面にそってずれこんでいくかのような力、漸近線としてのヴェクトルが加えられている程度だ(39)。「直線の中に内在する曲線」はこうしてひきだされる。そして面のはしにいたって、今度は急激にくるりとまわりこむ。このため、面が表と裏という方位を有すると感じさせ、表面が閉じていても、それはあくまで、平らな面と面をあわせたものであることを物語るのである。

 二次元の面を三次元の空間に放りだすことで生じた「微妙でとらえどころのなさ」は、微妙でとらえどころがないがゆえに、ある種の生動感をもたらしている。大岡信のいう「内触覚的にも快い均衡」、「エロスの問題」(40)とともに、この点は、清水の作品における擬人性のモティーフにかかわってくるだろう。『TRAVERSE−E』のような作品にそれはもっとも顕著で、ただちに胴と腕・脚の隠喩が見てとれ、しばしばユーモアを指摘させることにもなる(41)。これは一見、さきにふれた、人体像を基本とする丸彫り彫刻との異質さと矛盾するようにとれるかもしれない。もっとも、土方定一が「爬虫類的」と記したことに現われているように(42)、ここに人体から出発した発想とことなる性格を認めることもむずかしくはあるまい。「爬虫類的」との評は、床や壁との関係からもたらされたのだろうが、むしろ、床や壁との関係と、「爬虫類的」という語をひきだしたものとのあいまをみたすものにこそ、清水の作品の特性を見るべきだろう。その点、擬人性と直接かかわる『WIG』『MASK』の連作について、清水が「面や鬘は、それ自体の面白さもさることながら、体につけられた時、表情に奥行きと拡がりが見られて一段とひかれるのです」(43)とのべていることに注目すべきかもしれない。

 『朱面』(1981年、年譜内 fig.16)は、屋外設置の作品としては小規模ながら、酒井忠康がかつてのべた「異形の物体」(44)といった相に達している。これは、『MASK』の連作に共通する正面性と、丸みを帯びたヴォリュームの強調との交錯から発しているのだろうが、それを「異形」にまでいたらしめるのは、ヴォリュームがあくまで、裏のない面の展開によってなされているためである。何か他者に回収されることのない存在の発現を表示する色としての赤(45)、それを物体としての表面に一致させるためのぶつぶつ、その凸部でアルミニウムの地肌を擦りだしていることなども、面自体の伸張の生動性を強めることになる。ところでこの作品からは、清水における屋内作品と屋外作品に対する形態の性格づけのちがいを読みとることもできる。面の展開として作品が成立する点でかわりはないにせよ、屋内作品では平面と曲面がしばしば分離されたり、対置・再結合されたりするのに対し(46)、屋外作品では、ひとつの面の全体性を保持せんとするようだ。
 (29) 註7前掲「清水九兵衞の鋳物」、p.123、乾 由明「清水九兵衞の彫刻」、『清水九兵衞』展カタログ、南画廊、1971.12、土方定一「清水九兵衞−この非近代のフォルムを構成する作家−」、『藝術新潮』no.331、1977.7、p.74、など。
 (30) 「アトリエ訪問 清水九兵衞」、『日曜美術館』、NHK教育、1991.9.8 放映。
 (31) 土方定一「アフィニテイ(親和)の新しい概念の展開」、『清水九兵衞』展カタログ、南画廊、1976.7。
 (32) 中村英樹「清水九兵衞展」、『朝日新聞』、1977.5.18(夕・名古屋)。
 (33) 中原佑介「(無題)」、『清水九兵衞』展カタログ、フジテレビギャラリー、1984.9。
 (34) 註18参照。
 (35) 清水九兵衞「薄板とマッスの係り合い (ぴ・い・ぷ・る 塀)」、『藝術新潮』no.307、1975.7、p.57。
 (36) 乾 由明「清水九兵衞の Traverse について」、『第二回清水九兵衞展』カタログ、カサハラ画廊、1980.9、また、建畠 晢「(展評・関西)」、『美術手帖』no.472、1980. 11、p.244
 (37) 1984年の個展で発表された作品(cat.no、25、26) も、やはり正方形の面を核としている。清水はこの時、ちょうどユニットとしての瓦が連続していって不思議な曲線を生みだすように、面とブロックの組みあわせを発想したのだが、ブロックが孤立したフォルムになってしまった点で、そうした方法に限界を感じたという(現在では、フォルムと面、作品相互の関連をもっと密接にやれば、アメーバ状のひろがりがえられていたかもしれないと考えているとのこと)−筆者との会話より。
 (38) 註8前掲「九兵衞の立方体」。
 (39) 1974年の個展に出品された作品においては、「彎曲部分の角度は、三○度あるいは四○度といった、これまたきわめて基本的な角度になっているという」、大岡 信「単純な原理・多産な結果−清水九兵衞の新作」、『清水九兵衞』展カタログ、南画廊、1974.7。
 (40) 同上。
 (41) 酒井忠康・野村太郎「論/論」、『藝術新潮』no.364、1980.4、など。
 (42) 註31前掲「アフィニティ(親和)の新しい概念の展開」。
 (43) 註23前掲「(作家のことば)」。
 (44) 註41前掲「論/論」。
 (45) 岡田隆彦が清水の赤の塗装について論じる際、神社の鳥居に言及しているのも、赤のこうした性格とかかわっているのだろう、岡田隆彦「澄明で官能的なかたち」、『清水九兵衞』展カタログ、フジテレビギャラリー、1989.9。
 (46) もっとも顕著な例は、『FIGURE−C』(cat.no.32)だろう。ここでは、床にのびる平面と、宙に浮く曲面が対比されつつ、間に開くへだたりと直交によって対比をむしろ緩和し、斜め方向に、限定されないひろがりを拡散させようとしている。つづく1989年の作品では(cat.no.39、40、41)、壁にそう平面と宙空の曲面の対比および連続が、よりダイナミックに流動化されている。

V−2.

 清水が金属彫刻に手をそめた最初の作品となる、1966年の二人展に出品された『微動鋳体』(年譜内 fig.1)のシリーズは現在見ることができないが、「一つのフォルムと一つのフォルムの物理的なバランスの間で、実際には動かなくとも、何となく動きそうだというような接点の表現」(47)がめざされていた。こうした「微動」によって、複数の形態の一体感がもたらされる(48)。この時点では建築との関係はいまだ意識されていなかったということだが、「何となく動きそう」という、あるともないともつかぬ境界線上に表現をはらませようとするところに、清水の基本的な性格が予告されていたといえなくもない。また、金管楽器を思わせる形態は、つまったマッスというより、やはり面の展開によって成立している。

 最初の個展で発表された『作品A、C、E』(cat.no.1、2、3)などでも、建築を意識するにはいたっていないというものの、「扁平なフォルム」、ひいては床との関係に対する萌芽を認めることはできる。ここで現われたパイプ状のモティーフは、形と形をつなぎ、連絡するためのもので、やがてはシンプルな形だけでのなじみあいがめざされたため廃されたというが(49)、連絡するものというイメージは、消えたのではなく、見えない形式に姿をかえるだろう。また、岡田隆彦は作品の表面について、「みがかれて光っているとはいっても、観客をうつし出すほどの鏡面とはなっていない」と記している(50)

 パイプ状のモティーフは、イタリア滞在をへてアルミニウムを採用した1971年の個展の作品で(cat.no.4、5)、大きな役割をはたすことになる。ただその場合でも、乾由明が「並列的」と指摘したように(51)、パイプが決して重なりあわない点に注意すべきだろう。そして、パイプがそこから顔をだし、また没していく基体は、広く断面をあけた浅いものとなる。すなわち、基体はあくまで床と平行する面のひろがりとしてあり、パイプはそれと対比されるのではなく、面とその上の空間自体に内在する流通を可視化したものなのだ。乾由明はここに、「充実した空間性」(52)、「床面に沿って低く水平にひろがる空間性」(53)を見ている。

 空間に内在する経路を表わそうとする志向は、『TRAVERSE−E』の腕や『MASK 連想 T』の中央部に見たように、清水の基本的なモティーフのひとつといってよいだろう。それがもっとも巨大な規模で達成されたのが、1984年の『朱龍』(年譜内 fig.19、20)である。ここでは龍の語がしめすとおり、円形の中庭という土地の気脈そのものが、爬行し蠕動し通過するかのような相を呈している。
 (47) 清水九兵衞「私の彫刻」、『彫刻の四人−清水九兵衞・山口牧生・森口宏一・福岡道雄』展カタログ、和歌山県立近代美術館、1985.7、p.6。
 (48) 筆者との会話より。
 (49) 同上。
 (50) 岡田隆彦「清水九兵衞展(画廊から)」、『みづゑ』no.760、1968.5、p.84。
 (51) 乾 由明「清水九兵衞の彫刻」、『清水九兵衞』展カタログ、南画廊、1971.12。
 (52) 同上。
 (53) 註3前掲「アルミニウム」、p.30。

V−3.

以後の清水の展開について、個々の作品に即し記すべき点は少なくないが、とりあえず、上記の総論をもってかわりとしておこう。また、三次元中に配された二次元の面による展開という相を、日本建築における屏風や襖、障子など可動的な建具と関連づけることも、ここではおく。ただ確認しておくべきは、三次元の空間と二次元の面との落差のうちに残されたよどみが、篠田達美が指摘したように、「空間と時間の密度」を変成させ、「鈍い光と遅い速度」(54)を生じさせることだろう。アルミニウムの質感も、建築空間に対する意識、「直線の中に内在する曲線」をひきだしたかのような形態、そして面の展開としてのありかたなどいっさいは、時間をよどませ、もって時間をこえようとする空間 − 空間と時間の相互嵌入、清水のいう「雰囲気」が発現するために共働しているはずなのだ。  (54) 註1前掲「彫刻空間と質感 清水九兵衞の彫刻について」。

(いしぎき かつもと・三重県立美術館学芸員)

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