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橋本平八年譜 (森本孝編)

年号 年譜 主要作品
明治30年

 

(1897)
10月17日三重県度会郡四郷村大字朝熊46番屋敷(現在の伊勢市朝熊町1185番地〉に,父・橋本安吉,母・ゑいの長男として生まれる。祖父の名を襲名して平八と命名される。  
明治35年

 

(1902)5歳
弟・健吉生まれる。健吉とは詩人・北園克衛(1978年没)である。  
明治37年

 

(1904)6歳
4月 朝熊尋常小学校尋常科に入学する。  
明治41年

 

(1908)11歳
3月 朝熊尋常小学校を卒業。4月,四郷尋常高等小学校高等科に入学する。  
明治43年

 

(1910)14歳
3月 四郷尋常高等小学校高等科を卒業する。  
明治45年

 

(1912)16歳
宇治山田常磐町蓮随山に赴き,農学士・森正雄につき,植物生態学その他果樹園芸学一般を修める。滞在期間3年。この間,気賀菊郎を知り,ミレーやゴッホの作品に感銘を受ける。  
大正4年

 

(1915)18歳
郷土伊勢の彫刻家先代三宅正直就き,彫刻技術を学ぶ。この頃,ロダンの作品から刺激を受ける。  
大正6年

 

(1917)20歳
度会郡浜郷尋常高等小学校の代用教員となる。この頃,亀田杢介を知り彫刻の指導を受ける。

 

この頃,川で寒中冷水浴を行う。翌年には二町四村をマラソンで走破するが,医師の世話になる。
 
大正8年

 

(1919)23歳
11月17目 上京し,内閣印刷局雇員を拝命する。

 

この頃,7時間の遠泳して溺れかけ,死と直面する。
 
大正9年

 

(1920)24歳
2月11日 当時の印刷局長池田敬八の紹介により,日本美術院同人佐藤朝山の内弟子となる。  
大正11年

 

(1922)25歳
9月 日本美術院再興第9回展覧会に「猫」を出品。

 

日本美術院の研究会員となり同院彫刻研究室で彫塑を修める。
「猫A」
大正12年

 

(1923)26歳
9月 日本美術院再興第10回展覧会に「鷺」を出品。

 

11月 関東大震災のため一時離京,奈良市外都跡村に北園克衛と共に住み奈良近郊の社寺・仏像を研究する。
「鷲」
大正13年

 

(1924)27歳
9月 日本美術院再興第11回展覧会に「猫」を出品。再興日本美術院院友となる。

 

この頃,生活を平素のとおりとしながら7日間の断食をする。
「猫B」
大正14年

 

(1925)28歳
佐藤朝山のアトリエを出て一時帰郷,3月から北園克衛と共に東京市世田谷町太子堂上本村105に移り住む。

 

9月 日本美術院再興第12回展覧会に「少女立像」を出品。
「少女立像」「老子A」「片履達磨」
大正15年

 

(1926)29歳
9月 日本美術院再興第13回展覧会に「成女身」を出品。

 

10月 朝熊村に帰る。

 

12月 角前正治の次女千代と結婚,以後の朝熊村の生家に定住する。

 

この頃より従兄弟の橋本鳴泉(1888−1949)と親交を重ねる。鳴泉は郷土の画家・磯部百鱗に絵の手ほどきを受け,後年京都に出て菊池芳文に師事した日本画家。
「成女身」
昭和2年

 

(1927)30歳
9月 日本美術再興第14回展覧会に「裸形の少年像」を出品。再興日本美術院同人に推挙される。

 

10月2日 長男渡生まれる。
「裸形少年像」「弁財天」
昭和3年

 

(1928)31歳
2月 日本美術院第13回試作展覧会に「十六歌仙其の一」を出品。

 

8月19日 母・ゑい死去。

 

9月 日本美術院再興第15回展覧会に「石に就て」を出品。

 

11月3日 満州開原神社に大獅子一対を納める。
「石に就て」「弱法師」「子守」
昭和4年

 

(1929)32歳
3月 日本美術院第14回試作展覧会に「弱法師」を出品。  
昭和5年

 

(1930)33歳
1月19日 長女蘭子生まれる。

 

3月 第2回聖徳太子奉讃美術展覧会に「奢掲羅府の頃の那伽犀那」を無鑑査出品。

 

9月 日本美術院再興第17回展覧会に「花園に遊ぶ天女」を出品。

 

12月 妹・ゆき子死去。
「奢掲羅府の頃の那伽犀那」「達磨」「鳥」「張果老」「花園に遊ぶ天女」「西王母」
昭和6年

 

(1931)34歳
9月 日本美術院再興第18回展覧会に「幼児表情」を出品。

 

10月 岐阜県丹生川村の千光寺において円空を見て感銘を受ける。

 

12月 次女弓子生まれる。
「幼児表情」
昭和7年

 

(1932)35歳
7月3日 研究時代の習作全部を割る。

 

9月 日本美術院再興第19回展覧会に「アナンガランガのムギリ像」を出品。

 

9月23日 父・安吉死去。
「アナンガランガのムギリ像」「老子B」
昭和8

 

(1933)36歳
2月 日本美術院第17回試作展覧会に「蟇」を出品。

 

9月 三女鼎子生まれる。
「蟇」「笛吹く少女」「出山釈迦像」「維摩詰」
昭和9年

 

(1934)37歳
3月 朝熊村に工房を建築する。

 

5月 大礼記念京都美術館開館記念京都市美術展に「或る日の少女」を出品。

 

9月 日本美術院再興第21回展覧会に「牛」を出品。
「良寛」「牛」「農夫」「或る日の少女」
昭和10

 

(1935)38歳
6月 帝国美術院展覧会規別により無鑑査に指定される。

 

9月 日本美術院再興第22回展覧会に「鷹」を出品。

 

11月 名古屋市美術展覧会に「群猿」(絶作)を出品。

 

11月1日 午前中制作,昼食後工房で来客と対談中,0時15分脳溢血で倒れ,午後7時3分死去。享年39歳,法名黙堂玄悟居士,稲葉岡基地に葬られる。
「鷹」「群猿」
昭和11年

 

(1936)
9月5日〜14日 谷中の日本美術院において「牧雅雄・木村五郎・橋本平八遺作展覧会」が開催される。  
昭和30年

 

(1955)
10月14日〜11月23日 東京国立近代美術館において「四人の作家,下村観山・靉光・荻原守衛・橋本平八」展が開催される。

 

12月4日 郷土の伊勢市公民館において「橋本平八木彫回顧展」が開催される。
 
昭和37年

 

(1962)
6月26日〜7月1日 渋谷・東横百貨店において「異色作家シリーズ 第26回 橋本平八」展が開催される。  
昭和40年

 

(1965)
10月1日〜11月7日 神宮徴古館において「橋本平八遺作展」が開催される。

 

昭和38年に設立された橋本平八氏顕彰会によって,10月25日,朝熊山に顕彰碑が建立される。
 
昭和49年

 

(1974)
7月16日〜26日 三重県津市の(財)石水会館において「木彫の鬼才・橋本平八遺作展」が開催される。  
昭和60年

 

(1985)
9月7日〜10月13日 三重県立美術館で,橋本平八の没後五十年を記念して「橋本平八と円空―木彫・鉈彫の系譜」展を開催。  
 

〔参考文献〕

(『橋本平八作品集』1937年 日本美術院

(『純粋彫刻論』1942年 昭森社

(『橋本平八氏顕彰碑建立記念集』1965年 橋本平八顕彰会

 

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