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多様な具象絵画

陰里鉄郎

第2回具象絵画ビエンナーレは、25人の画家たちの各3点の出品によって構成されている。出品画家の選考は、美術館と実作者との連帯によって混迷の極に達している感のある現代絵画の一角に、具象的な映像をもとにした表現を試みている絵画領域での豊かな開拓をめざすという第1回展以来の趣旨に基づいて、参加美術館のキュレーターたちの数度にわたる討議をへて決定された。その討議の内容は、現代絵画の混迷がそのまま反映した部分が多くあった。20世紀の美術が、過去のどの時代に比較しても複雑多様であり、とくに世紀後半の展開は急激であり、しかもより錯綜し、ある様式からつぎの様式へとか、イズムの発展や交代といった単純なものではないだけに、討議自体が錯綜せざるをえなかったようにおもわれる。そうしたなかから具象的な映像の喚起によって現代的表現をもつ画家たちへと的はしぼられていったようだ。それにひとつだけ加えれば、参加美術館の存立する地域の状況が若干そこに反映されていることである。

あらためて25人の画家たちの作品をみるとき、もし「具象絵画」とはなにか、といった問がだされるとすれば、それに適切な答えをだすことははなはだ困難なことになるかもしれない。具象絵画とはカンディンスキーやモンドリアン以後の抽象絵画の出現によってそれ以前からの再現的な表現を総括して使用されてきているようである。具象は抽象の対立概念であることにちがいはないが、現実に呈示されてくる表現のなかでは厳密な区分は不可能というしかないし、厳密な区分はまたさほど必要ではないであろう。事実、しばしば指摘されるように欧米においては抽象に対する具象という考え方による表現に対する観方や考え方は日本ほど顕著ではないかもしれない。もともと具象芸術とは、狭義には、絵画や彫刻における人物像、人体像を意味していたし、さらた狭義には肖像画のことであったりしていたのである。こうした伝統的な考え方を背後にもっている欧米でのあり方と、再現としてのレアリスムに明確な思想と理論とをもつことではおそい出発をした日本の絵画とではとらえ方に相違がでてきたとしてもそれは当然のことであったであろう。といってここで日本の後進性をことさらに強調しようとおもっているわけではけっしてない。われわれは、われわれの前述したような意味での再現的表現としての具象絵画の短かい歴史とその展開を批判的にうけいれ、うけとめながら、新しい創造的な展開を意図し、期待しているというしかないのである。いたずらな厳密性を排除し、表現の質を評価する立場にたって意図し、期待したいとわれわれは考えている。

本展においても、森本草介、相笠昌義の作品から坂田哲也、高橋常政の作品まで、表現の様式はあるいは雑多といえるかもしれない。いわば再現に忠実な写実の画面から、シュルレアリスム的表現まであって、そしてその間に多様な様式の表現がみられる。主題も素材も、具象的な映像をもっているという限りのなかで多様多彩である。それらがどうであれ、外界に存在するなんらかの具象的形態を媒介として、表現としての映像をつくりだしており、そしてときにアイロニーを、ときにパロディーを、ときに清冽な詩を、そしてときに内的な現実をみせてくれているようである。

(三重県立美術館長)

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