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4.生きることを問う

人間は生きていく上で様々な出来事に出会い、そのたびに喜怒哀楽様々な感情を抱きます。また、人間は生きている限り、「生きる」こととは何かという根娠的な問いから逃れられません。医学や生化学が進歩して、生命を人為的に操作することさえ可能となった今日では、私たち現代人は生の本質的な意味すら問い直す必要に迫られています。

芸術家は、制作活動を通じて人間の生、あるいは生きることについて問いかけを続けている存在であるということもできます。そうした意味では、画家や彫刻家の作品はすべて生きることを問うた成果ともいえますが、この展覧会では便宜的にこの事を西洋近代の作家たち5名の作品で構成しています。

クリムトの《人生は戦いなり(黄金の騎士)》(4-1)は、1903年の第18回分離派展で発表された作品です。ここには、新しい芸術創造にかける画家の固い意志が、華やかなスタイルで象徴的に表現されています。この作品は、クリムト自身の姿、あるいはクリムトの人生そのものの象徴といえますが、この作品に示されたクリムトの姿勢は現代人にも今日的な課題を投げかけてはいないでしょうか。

また、ピカソの《ロマの女》(4-3)は、ピカソが1900年10月にバルセロナからパリヘ移る以前に描かれた作品と考えられています。赤ん坊を抱いて腰をおろした母親が物憂げに海を眺めていますが、この作品はその明るい色彩にもかかわらず、女性の境遇に私たちが思いを致さざるを得ないはど、人生の哀しみが伴う沈鬱な雰囲気を放っています。

19世紀後半に活躍した哲学者ニ−チェの「神は死んだ」という言葉は、神や宗教がかつてのような意味を持たなくなったことを端的に指摘した言説として盛んに引用されます。確かに、古代中世に宗教が果たしていた役割は近代以降大きく変化していきましたが、神という存在が忘れ去られたわけではありません。人間が生きていく上で、とりわけ混迷を深める20世紀を生きる人間が神や宗教と無縁であることは不可能かもしれません。

近代以降も神や宗教を強く意識して制作活動を行った芸術家は少なくありません。後期印象派の画家ゴーギャンの作品にはキリストがしばしば登場しますし、象徴主義の画家ルドンやモローはキリスト教的主題の作品を多数描きました。キリスト像を多数描いたジョルジュ・ルオー、ユダヤ教的世界と親密な関係にあったマルク・シャガールらの作品は、宗教を抜きには語ることはできないでしよう。

ルオーが描くキリストは、古代中世の宗教美術に表された全知全能の神とは異なります。ルオーが描くキリストは、人間と同様に苦悩し、傷つく存在です。そうした意味では、ルオーのキリストは彼のピエロや踊り子たちと同じ存在かもしれません。ルオーはキリストの姿を通じて、人生の深淵な世界を提示し続けました。

また、ベラルーシ(白ロシア)にユダヤ人の子として生を受けたシャガールは、鮮やかな色彩による華麗で幻想的な作品で知られています。しかし、彼が頻繁に取り上げたサーカスを主題とした連作版画集に明らかなように、その内面には人生の悲哀と憂愁が込められています。

(毛利伊知郎)

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