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美術館 > 刊行物 > 学芸室だより > 新聞連載 > 文化的な視点から見た地域づくり―考えるヒント 井上隆邦

「文化的な視点から見た地域づくり―考えるヒント」

井上隆邦


文化的な視点とは

「文化的な視点から見た地域づくり―考えるヒント」というタイトルだが、これまで私が経験してきたことや考えてきたことを紹介することで、地域づくりのヒントにしてもらえたらと思う。

先日テレビで、あるアート・ディレクターの仕事ぶりが紹介されていた。SMAPのCDのデザインをしたり、イッセイミヤケの仕事をしたりと幅広い分野で活躍をしている方だが、特に面白く感じたのが新発売の携帯電話をPRする紙面広告づくりだった。

彼が言うには、技術部門の人からその携帯電話について詳細な説明を聞いて吸収・整理し、その上で世間の潮流やニーズを押さえつつ独創的な紙面広告にまとめ上げるのが自分の仕事だと。担当の技術者からは長時間にわたり取材を行うが、使える情報はほんの一握りだそうだ。専門家でないお客さんにとって分かりやすく、魅力的な情報を拾い出し、如何にして広告にまとめ上げるかが難しいと話していた。知恵とセンスが要求される大変な作業である。

このエピソードは私がこれからお話しすることにも通じる。つまり地域が持っている特性をしっかり押さえた上で現代社会という文脈の中でそれを上手に解釈し、発信或いは、活かしていく作業だ。

本日の講演のテーマである「文化的な」視点だが、ここでの「文化」とは狭い意味での文化ではない。人々の考え方や価値観或いは、その成果物といったことであり、文化という言葉を広く解釈してほしい。文化人類学で言う「文化」という概念に近い。

横道に逸れるが、文化人類学といえばアメリカの女性研究者ルース・ベネディクトが思い出される。第二次大戦前後に活躍したアメリカ人学者で、『菊と刀』という名著がある。彼女は来日経験こそないものの、文献調査を通じて「恥の文化」といった日本固有の概念を分析、日本社会の特色を解明したことで知られている。『菊と刀』は日本人の考え方や行動様式を的確に分析した本だったので、米国による戦後日本の占領政策に影響を与えたとも言われている。

さて、演題の「地域を文化的視点で見る」だが、この場合の「地域」の範囲は行政区分を意味するものではない。価値観や生活様式を共有している人々が住む地域と言った程度に考えてほしい。

地域の伝統文化を活かす

先日、伊勢型紙の技術を受け継いでいる方と話をした時、疑問にを感じたことがあった。技術の継承に非常に熱心な方で、確かにそれは大切なことだが、「若い技術者が生活する基盤を確保できるのですか」と質問したところ、はっきりとした答えは返って来なかった。

伝統工芸の技術伝承を考えるとき、大切なことは、そうした技術を今日的な文脈の中で解釈し、そのことによって、地域を活性化し、新しい産業を創出することであろう。単に地域の文化を保存するというだけでは、発展性は望めない。

江戸期になぜ伊勢型紙が栄えたのか。振り返って見たい。当時は白子鈴鹿の問屋が商社機能を持っていて、日本中に出向いてデザインの注文を取っていたという。問屋が江戸の流行をいち早く察知したからこそ、江戸小紋の型紙が実現したのであろう。「ファッション」の分野で問屋は江戸とかなりの交流が有ったに違いない。こうした問屋が全国展開していたからこそ、伊勢型紙のブランド化が可能だったのであろう。問屋の商社機能は大変重要な意味合いがあり、今でも学ぶべき点が多い。

今日、伝統工芸は伊勢型紙を含めて、それぞれ活路を見いだすべく頑張っているが、行き詰っているところも少なくない。

こうした中、伝統工芸の技術を上手く活かし、成功を収めているケースも出てきた。京都の刷毛屋さんがその一例である。国内での行き詰まりをハリウッド進出でカバーした事例だ。映画のメイクアップには、繊細で高品質の刷毛が要求されるが、そうした刷毛をハリウッドに供給することで活路を見いだしているとのことだ。今では50から60%のシェアを占めているらしい。国内で駄目なら海外に目を向けるのも一案だろう。

また手漉き和紙に着目して医療用の濾過装置を開発した例もある。和紙は微細な粒子を捉える特色が有るが、その性格を医療分野で応用した事例である。こうした事例は地元にある伝統文化・技術を今日的なコンテクストにおいて解釈し直し、成功した事例だろう。

逆に地元の文化や歴史の特性に着目しながらも、拙速な施策から成果が疑われる事例も少なくない。九州の玄界灘の小さな島に「モンゴル村」というテーマパークがある。歴史的にはこの島は、蒙古襲来と深い関係が有るので、「モンゴル村」を開設した気持ちは良く分かる。しかし、その後の施策が芳しくない。モンゴルから羊の皮で出来たテントをモンゴルから輸入し、島内に建てたのだが、気候のことを殆ど念頭に置いてなかったので、テントがカビ臭いという。

モンゴルの乾燥地帯で使っているテントを湿気の多い限界灘に持ってくれば、当然起こり得ることだが、そうしたことへの配慮がなさ過ぎたのではないか。別の土地で育った文化を他に移植する際には、幅広い視点からの解釈が要求されるのだが、拙速過ぎたように思うのではないか。

また、「モンゴル村」と銘打っているからには、モンゴル料理のラインナップが有っても良い筈だが、レストランで供されているのは、エビフライなどの一般的なメニュー刺身など海の幸が中心で、モンゴルらしさに欠ける。モンゴル文化を研究したのであろうか。文化という視点が希薄な感じがする。

自然環境に由来した文化

地域の特性を活かした施策として自然環境に着目し、それを活用するという方法も有る。

北海道のニセコがそうした事例の一つだろう。嘗てのニセコは、パウダー・スノーを売り物にスキーヤーを引きつけていたが、バブル期に崩壊。つい最近までスキー客の減少に悩む事態が続いた。背景には娯楽の多様化、少子化など様々な原因が有るのであろう。

こうした中、ここに来てニセコは起死回生の施策で再び、注目を浴びつつある。ニセコも先ほどの京都の刷毛屋さんの例ではないが、目を海外に向けることで再生の手がかりを掴んだ。オーストラリアからのスキー客をターゲットにしたのだ。年間1万5000人のオーストラリヤ人スキーヤーが訪れているという。オーストラリア人スキーヤーは以前は雪を求めてヨーロッパに出かけていたが、最近は、ヨーロッパよりも近距離の北海道に注目しているそうだ。

また、パウダー・スノーという雪質、そして日本人の接客文化も好評とのこと。ニセコでは、こうした動きの中、今後は、受け入れ態勢を強化、増客を目論んでいる。地域の特性を国際的な文脈の中で再検討し、再生の道を掴んだ事好例であろう。

ニセコはオーストラリアをターゲットにしているが、今後は例えば韓国、中国も有力なマーケットになるのではないか。スキー場の少ない韓国でスキーは若者の間で流行っているし、富裕層が急速に拡大している中国でも今後スキーが流行る可能性は高い。現にフランスのスキーメーカーあたりは中国を有望な市場と考えており、中国人選手の育成強化に乗り出している。

スキー場といえば温泉が涌く場所が多い。日本独特の温泉文化は外国人観光客の間でも人気上昇中なので、スキーと温泉をセットにして売り込めば、相乗効果も期待できるのではないか。また、日本の温泉文化はスキーと組み合わせなくとも、海外に売り込める文化だ。外国人は以前は日本の温泉に興味を示さなかったが、最近は在日の外国人の口コミなどで日本の温泉が評判になっている。日本の温泉地を訪れる外国人観光客も韓国、台湾を中心に増えつつある。癒しに満ちた温泉文化、そこで供されるヘルシーで見た目にも美しい日本料理、そして、受け入れ側の独特な快適な接客文化など、独自に育まれた文化は、外国人向けの良い商品だ。

最先端の美術と歴史の街―ベニス

海外でも地域づくりが重要なテーマであり、様々な試みがなされている。そうした事例を一つ紹介したい。歴史の街、イタリアのベニスが100年以上も前に行ったスケールの大きな挑戦である。

ベニスという街は古くは地中海貿易の拠点として栄華を誇っえた場所であり、数多くの歴史的建造物があり、無論、地中海貿易で蓄えられた富を背景として絵画や彫刻などの遺産を充実させてきた。また、運河が縦横に走り、細い石畳の道が曲がりくねって続いているベニスは、自動車の乗り入れができないために移動は原則徒歩となっている。近代化された世界とは異なり、どこか、スローライフを満喫できる.点が特色だ。映画「旅情」や「ベニスに死す」を引き合いに出すまでもなく、風光明媚な場所でもある。

このベニスが、100年前にとった活性化策が現代美術の祭典「ベニス・ビエンナーレ」の開催だ。ベニスは過去の遺産に恵まれた場所だが、それに頼っているだけでは、未来はないということで、全く新しいこと、つまり世界の最先端の美術を紹介する巨大な祭典を始めたのだ。時期的にはちょうど近代オリンピックが始まった頃で、いわば、美術のオリンピックを狙ったものだ。発案者は当時のベニス市長。

「ビエンナーレ」とは「2年に1度」という意味で、この100年に亘って、2年に1度、世界40~50ヶ国からアーティストがベニスに集結し、展覧会が開催されている。「ベニス・ビエンナーレ」は、世界のアートを方向付けし、先導する役割を担っている。ファッションの世界で言えばパリ・コレやミラノ・コレクションのようなものだ。毎回6月のオープニング時期になると世界の一流のアーティスト、ジャーナリスト、画商などが集まり、各国の文化担当大臣もやって来る。1930年代後半から40年代前半だったと思うが、ヒトラーがこの展覧会の影響力を感じ取り政治的にも利用しようといったした動きもあった。

日本も戦後はから、このビエンナーレに参加している。岡本太郎や池田満寿夫を含め多くの日本人アーティストがベニスで展覧会を行った。最近では村上隆などがベニスを契機として世界的に有名になった。村上隆といえばフィギュアのような作品を作るアーティストだが、数年前にはニューヨークで2㍍くらいの作品が4500万から5000万円くらいで落札され話題になった。また、ルイ・ヴィトンと組んでバッグのデザインを行うなど商業的にも成功を収めている。若い女性の間で村上の知名度は、国内はもとより海外でも高い。

100年前に「ベニス・ビエンナーレ」が始まった頃は、「訳の分からないことをやっている」といった批判もあったようだ。そうした批判にもめげず、100年持ちこたえて来たところにベニスの偉大さが有る。

ちなみに現代美術の祭典は現在世界で30~40くらいの都市で開催されている。いずれもベニスに触発されて始まったものである。最近の動きとしては韓国が10年程前から、また、中国も次のオリンピックなども念頭に置き、北京や上海で現代美術の祭典を始めた。こうした流れの中、日本でも、これ以上遅れてはいけないと、2001年から「横浜トリエンナーレ」を開催している。こちらは3年に1度(=トリエンナーレ)行われるもので、2005年には第二回展が開催された。

最先端の美術の動向は、この100年、ヨーロッパが常に主導権を握ってきた。こうした中、経済的にも成長著しいアジア地域でこの種の祭典が始まったことは、これまでヨーロッパ主導で行われてきた美術界の動きに対して東アジア地域が本格的に参入し始めたことを意味する。

アートはいわば、コンテンツ産業とも関連し得る分野であり、東アジアが祭典の開催を通じて世界の檜舞台に登場しつつある意味合いは大きい。しかし残念ながら、こうした認識は、日本社会では未だ共有されていない。アートの動向に目を向ける人が少ないからであろうか。いずれ中国あたりが最先端の美術分野で主導権を握る可能性もあるが、その段階に至って日本が気付いても手遅れだ。

ベニスで行われる祭典で「ベニス・ビエンナーレ」と並んで有名なのが、「ベニス映画祭」だ。この映画祭は日本でもよく知られている。「ベニス・ビエンナーレ」同様、映画祭もベニスの活性化に貢献している。

ベニスは、人口の小さな街である。にもかかわらず、なぜ国際的なイベントが成功するのか。理由は三つほど考えられる。

街が小さいことが長所の一つだろう。映画祭にしても、ビエンナーレにしても、実に多くの関係者、それも、国際的に影響力の有る人達がベニスにやってくる。こうした人たちにとって情報交換は大変な重要な仕事だが、街のサイズが小さいので、道を歩いてもすぐに関係者と出会うことができる。集まるレストランも大体決まっているので、そこに行けば、目当ての人間と出会える。国際的な有名な日本人建築家の話ではないが、「ベニスは楽だ。展覧会場に向かう道で大概の知り合いとすれ違うので、実に効率的に時間が使える」と言っていた。街が狭いことが役立っている。

これに比べて、日本で行われるイベントは事情が違う。例えば、東京国際映画祭は渋谷や六本木で開催されるが、こうした大都会では、あらかじめ関係者とアポを設定しない限り、偶然、道で出会うことなど想定できない。

また食文化に恵まれていることもベニスの魅力である。映画祭にしても、ビエンナーレにしても、関係者にとっては期間中は、毎日朝から晩まで展覧会や映画を見たり商談をしたり、取材をしたりと忙しい日々が続く。その合間に美味しい食事が供されることは、大変良い息抜きになり、次の仕事に向けて精気を養うことが出来る。ベニスの海は、ラグーンといって海水と真水が入り交じった地帯なので、魚介の種類も豊富だ。これが、イタリア料理として供されるので、関係者の評判は上々だ。

三点目の特色は、その景色の美しさであろう。周囲を海に囲まれたベニスは、海浜の街独特の開放感があり、また、時刻によっては姿が七変化し、人々を飽きさせない。おまけにゴンドラや、日焼けした水上タクシーの、おしゃれで男前の運転士ドライバーなど、ロマンチックな雰囲気にも事欠かない。

ベニス・ビエンナーレや映画祭が人気を博しているのは、その企画の良さ、作品選定の確かさ、そして、こういったものを支える第一級の人々の存在が大きいが、その一方で街の適切なサイズ、美味しい料理、そして、美しくロマンチックな町並みが、助演男優や助演女優のように企画本体をしっかり支えているのも確かである。ベニスの文化行事が素晴らしいのは、様々な要素が見事にハーモニーを奏でているからに他ならない。

行政に足りないもの

ベニスから再び、日本に話を移したい。私は以前、ある地方都市で文化行政に携わった経験があるので、そのことに触れたい。特に文化行政を進めるに当たってネックとなった点を、行政内部の問題として披露したい。

・視野を広げる

自分たちの街の文化行政を考える上で重要なことは、近隣地域との関係、或いはオールジャパン、更に言えば、インターナショナルという視点から地域を眺めることだが、現場の職員にはこうした視点は希薄だ。行政区域という蛸壺的な視点からしか、文化行政を捉えない傾向が強い。明治以来堅牢に築かれてきた行政区域、或いは、納税者に対するサービス提供ということに縛られ過ぎて、文化の問題を広い視点から眺めないことが少ない。隣の町、隣の県との共同作業を通じて実現した方が良い案件であっても、「国境越え」には、非常に否定的な反応を示す。

また、国際的な視野で取り組むべき事業などに関しては、そうした経験がないので、事業の具体化に時間が掛かったり、支障を来す例もある。国際的な動きが日本人の日々の生活に大きな影響を与え、インターネットという通信手段が普及している今日、文化行政のあり方も抜本的な変革が要求されている。

勤務先の予算書を見て驚いたことだが、東京への出張旅費がとても少ない。少なくとも文化に関しては、東京など大都市に人、情報、ノウハウが著しく集中していて、東京に出て行かない限り有用な文化情報は入手できないのだから、旅費などの基礎的な予算は講じておくことが大切なことは明らかだ。出張旅費の少なさから判断するに、文化の仕事は、決められた行政区域の範囲内でやれば良い、といった発想がきわめて強いのではないか。

・相対化の重要性

郷土の文化を大切にすることは重要だが、他者との比較を忘れ、“郷土”という言葉に引っ張られすぎると、バランスを欠いた施策を展開しかねない。私が文化行政を担当した都市のことだが、地元の甘口のワインは、特産品で、少なくとも地元の人たちは相当誇りに思っていた。そうした中、ある日のことフランスとワイン交流の話が持ちあがった。たまたま私がフランスに4年ほど滞在した経験が有ることから、その橋渡し役を頼まれたのだ。

しかしワインの素人である私自身から観ても、地元のワインはフランス人の好みとは思えなかったが、周囲が熱心だったので、フランスの有名な産地とさんざん交渉したことがある。無論交渉結果はお察しの通りだった。もし、地元の人たちが、自分たちのワインをもう少し相対化ししていれば、こうした事態も避けられたのではないだろうか。

今では日本各地でワインづくりが行われている。しっかりと、世界のワインを研究し、高品質で、ヨーロッパの大会などでグランプリを受賞しているワインの産地も有る。こうした産地の名誉のためにもこの点は申し添えておきたい。

・ネットワークづくりに熱心でない

すでに指摘してきたように地方都市の文化行政は地域完結型が多く、外との連携が一般的に弱い。しかし文化という仕事を効果的に進めるには、他の場所にある、地域の、人、物、情報の有効活用が不可欠である。そうした時に役立つのが、人的なネットワークであり、こうしたネットワークは、日々、強化、更新に努めなければならない。ところがこうしたネットづくりに熱心な地方都市がは多いとは必ずしもいえない。

地方都市の定番メニューとして著名人による講演会というのがある。講師を呼ぶには高額な講演料が必要となることも多い。50万円とか、100万円単位という例も有る。例えば、その著名人とこれまで付き合いが有れば、講演料の値引きはも、難しい問題ではない。これも人的ネットワーク活用の一例であろう。

蛇足だが、著名人の講師を斡旋する会社があって講師派遣をそうした会社に頼っている自治体もあると聞く。無論、割高になることは当然だ。それにもまして情けないのは、講演会事業の根幹をなす講師派遣まで会社に丸投げしていることで、何とも寂しい限りだ。だ。

嘗て経験したことだが、富山県は実はなかなか開かれた土地柄で、本格的な公立美術館を全国に先駆けて開設するなど、独特の先進性がある。こうした先進性はどのように涵養されたのであろうか。かねてより疑問を持っていた。そうした折、たまたま富山の薬売りの話を聞き、合点がいった。

富山の薬売りは売薬のための全国ネットを持っていて、江戸時代からこのネットワークを大切にしてきた。例えば薬売りは江戸の家々を定期的に訪問していたのだが、こうした機会を利用の上、江戸の人々の暮らし、娯楽、などについて情報を入手、富山に持ち帰っては、寺子屋あたりで披露していたという。百万都市江戸の情報が遠く離れた田舎にもたらされた当時にあっては、さぞかし薬売りは“重要な情報屋さん”だったに違いない。また、薬売りは江戸の各家庭の内情にも通じていたらしく、嫁探し、婿捜しの仲介・斡旋も付随サービスとして行っていたらしい。

富山の先進性は、もしかしたら、こうしたう薬売りの伝統の上に築かれた“情報感覚”と“ネットワーク意識”に裏付けられているのかもしれない。

・デザインやレイアウトに対して無関心

亀山のシャープ工場で広報担当者と会った折、「シャープのロゴが良くなりましたね」と告げたら、とても喜んでいた。海外でも活躍している日本人デザイナーを起用したロゴ改訂で、時代の雰囲気やイメージに合うロゴが誕生した。おそらくギャラもかなり高額だったと推測される。シャープのセンスの良さを感じさせる一コマだ。

日産もゴーン社長の改革でデザインを一新させた。車のデザインがおしゃれになり、またその色彩も豊かになった。TV広告も、全国各所の販売店の店頭のデザインも一新させた。こうしたトータル・デザインが、新生日産のイメージ・アップに繋がり、売り上げに貢献したことは間違いないだろう。デザイナーの起用に当たっても外国人も起用するなど苦労の跡もが見える。無論、こうした一連の施策には膨大な投資が必要となる。

翻って行政の場合は、どうか。

例えば行政発行による印刷物のデザインは優れたものであろうか。色々な機会に目にするので、大体の予想は付くであろう。無論デザイナーを起用して印刷物を作っているところもあるが、素人の職員がデザインやレイアウトを手がけているケースも多いと聞く。なぜ、プロのデザイナーを起用しないのか。話は簡単で、「お金がないから」だという。

しかし、である。公共の印刷物は、その発行部数が多いだけに、影響力も大きい。素人のデザインやレイアウトに親しんでいると、感性への影響が心配になる。更には行政の印刷物であっても、デザインやレイアウトが稚拙だと、人は印刷物への興味を失い、目を通さなくなるのではないか。

行政機関によっても事情は異なろうが、予算書の項目にデザイン費やレイアウト費が計上されていないケースがある。たぶん推測するに、デザイン費、レイアウト費、印刷費に関してはその区分が良く分っておらず、それで、一括印刷費として計上しているのであろう。デザインやレイアウトという概念に対する希薄さ無関心さを物語る一例だ。

地方都市の中には、いい色やデザインを要求する発注者や顧客が少ないために高い印刷技術を持つ印刷屋が発達しない、といった現象実も起きていある。“そこそこ”の仕上げで十分な印刷物ばかりを作っているので、例えば、展覧会や映画祭用の本格的なポスターを手がけられないといったケースである。

私が担当した企画で地元の業者が“色”を出せず、仕方がなく東京に発注した経験がある。地元の業者になぜ“色”を出せないのかと尋ねたところ、「それだけの注文は他からは来ない、最新の印刷機を導入しても、こうした印刷機を必要とする注文が来ないので、赤字になってしまう」との返事だった。たかがデザインと思われるかもしれないが、デザインの力を行政はもっと知るべきだし、そうしたことに予算を付けることが重要だ。

・対外広報対策が苦手

どこの企業でも対外広報には力を入れている。無論、行政の広報に対する関心も高い。しかし、両者の施策の内容を子細に見てゆくと、違いが見えてくる。

一般論かもしれないが、企業の方が、知恵と工夫を凝らした対策が目立つ。

一例がプレス発表用のペーパーだ。ペーパーを作るに当たっても、企業の手がけたものの方が、デザインや印刷が凝っている。内容も記者の興味をそそる情報やデータが多い。それに比べて、行政ペーパーは「あっさり」というか、平板な印象を受ける。記事になるか否かは、ペーパーの出来次第と言った側面もあるので、工夫が大切なことは当然であろう。

また、一般に馴染みの少ない事柄、或いは、複雑に入り組んだ話をプレス発表する時には、これを出来るだけ簡潔にまとめ上げることが要求される。簡潔にまとめてあれば、記者も、これをベースに記事を書くことが出来る。こうした面でも企業のペーパーの中には質の良いものが目立つ。プレス用資料といっても情報を右から左に流せば済むものではない。書き手や読み手のことを念頭に置き作成することが大切だ。

また、広報マインドは広報担当の部署のみならず、組織全体が身につけておくべき事柄であろう。例えば、新規事業を開発中のセクションにあっては、その事業の魅力を一言或いは二言で 表現する思考も大切だ。長々と説明しなければ、ピンと来ない企画のネーミングは、忙しい今の時代では、置いてきぼりを食う喰う。

広報に関しては、プレゼンテーションの仕方、ネーミング、広報戦略など企業から学ぶべき点は多々ある。

・議論する場の確保

行政の職場は新しいアイディアを出し合い、ケンケンがくがくと議論する土壌が少ない気がする。特に市町村レベルではその傾向が強い。確かに以前の市町村は定型的な仕事を処理していれば事足りたかもしれないが、今は違う。都市間競争が激しさを増す今日、市町村にあっても、大いに議論を活性化し、魅力ある事業を打ち出さなければ、生き残れない。例えば、自分達の地域文化は外の人を招くだけの吸引力や魅力が有るのか、事業化出来るのか、採算性は見込めるのか、等々しっかりした議論が有れば、後悔することもない。

最後に

「文化的な視点からの地域づくり」というテーマでこれまでに様々な事例を紹介した。皆さんが地域づくり進めるに当たってこうした事例が役立てば幸いである。また、地域づくりを進めるに当たって重要なことは、豊かな発想力と実務能力があり、熱意と情熱を持った人材が必要不可欠ということである。詰まるところ、地域づくりも、「人に始まり」、「人に終わる」という側面が強いのではないだろうか。(了)

(編集部・注)本稿は、平成18年7月4日に三重県職員研修センターで開かれた本年度第5回政策研究講座の講演内容を、講師の監修を受けて要約したものです。

文化政策講座(地域政策・2006秋季号)


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