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常設展示1998年度【第1期展示】1998年3月31日(火)〜6月28日(日)

第1室:明治・大正の洋画

 たとえば、デューラーが15世紀末イタリアに赴いて古典的人体美の理想を吸収し、ドイツ美術の伝統のなかに独自の様式を確立したように、あるいはターナーが19世紀初めのイタリア旅行以降色彩が劇的に変化したように、これまでの芸術家は他国の美術に接触することで大きな変換がなされてきた。

 西洋で生まれ発展してきた油彩画を導入した近代の日本人画家の場合、他国との接触によってスタイルが大きく変化してきたことは必然的な成りゆきであった。迫真的な写実表現に適した油彩画は、明治初期の高橋由一をはじめとする画家たちを惹きつけ、将来された石版画などを頼りに技法の吸収が続けられたが、その後イタリア人フォンタネージが来日することで技術が大きく飛躍し、芸術表現のための西洋技法を意識させることとなった。彼は1876(明治9)年から2年に満たない短い期間であったが、お雇い外国人のひとりとして工部美術学校で授業をおこなった。この学校には浅井忠、小山正太郎、山本芳翠、五姓田義松をはじめとする40人あまりの画学生が入校した。それまで油絵具を扱ったこともなかった大半の学生を相手に、良き教育者であった彼はアカデミックで高度な授業を展開し、明治中期ころまでの洋画界に大きな影響を与えた。

 次の転機は黒田清輝のフランスからの帰国であった。法律研究を目的に留学した黒田は、山本芳翠のすすめで画家に転向し、アカデミックな画家ラファエル・コランに学んだ。黒田が18歳という若さで留学したことは、西洋の美術を純真に受けとめ、さらには西洋人と同じ視点で当時の芸術を把握するには非常に好都合であっただろう。天性の画才にも恵まれた彼は、ヨーロッパの伝統的な写実性や構図法を吸収し、師コランの外光派的な表現に印象派的な明るい表現を加えた。時代の要請もあり、帰国した翌年の1896(明治29)年、東京美術学校に西洋画科が新設され授業を一任される。さらにこの年、久米桂一郎、藤島武二らと白馬会を結成。この会は旧弊をあらわにしつつあった明治美術会に対して不満をもっていた若い画家たちに支持され、黒田は当時の洋画壇の中軸を担うようになる。彼はこの会に構想画《昔語り》などの大作とあわせて下絵類を出品したが、このことは後進に対して西洋のアカデミックな構成方法を教育する目的もあったようである。白馬会には上述の画家以外に長原孝太郎、岡田三郎助、和田英作、青木繁らが出品しており、それらの作品を概観すると共通したスタイルが認められ、明治前期の作品と明らかに一線を画しているのがわかる。

 1911(明治44)年の白馬会解散と前後して、日本の美術界には後期印象派やフォーヴィスム、世紀末芸術、ラフアェル前派、アール・ヌーヴォー、さらにはドイツ表現派など、印象派以降の新しい美術がヨーロッパ留学者を通じて混沌と伝わってきた。当時の若者を中心にこうした西洋の新しい美術が歓迎され、岸田劉生や萬鐵五郎といった画家たちも青春の情熱をぶつけるべくフォーヴ調の強烈な色彩表現に転換した。

 一方、明治40年代以降の彫刻界ではロダンの存在が絶対的な影響力をもった。パリに留学中の荻原守衛はロダンの《考える人》に感銘を受け、ロダンの造形表現を国内に紹介し、高村光太郎は翻訳などを通じてロダンの言葉を紹介した。荻原と関わりをもった中原悌二郎や戸張孤雁もロダンに心酔し、自らの作品に生命感、霊感を吹き込もうとした。

(田中善明)

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
五姓田芳柳 (1827-1893) 婦人像 不詳 水彩・絹 寄託品
高橋 由一 (1828-1894) 光安守道像 不詳 油彩・キャンヴァス 寄託品
アントニオ・フォンタネージ (1818-1882) 沼の落日 1876-78頃 油彩・キャンヴァス (財)岡田文化財団寄贈
安藤仲太郎 (1861-1912) 梅花静物 1889 油彩・板  
浅井   忠 (1856-1907) 大仏殿(平城) 1888 水彩・紙 第三銀行寄贈
浅井   忠 (1856-1907) 小丹波村 1893 油彩・キャンヴァス  
川村 清雄 (1852-1934) ヴェネツィア風景 1880頃 油彩・紙 井村二朗氏寄贈
山本 芳翠 (1850-1906) 風景 1895 油彩・板 寄託品
黒田 清輝 (1866-1924) 雪景 1919 油彩・板  
黒田 清輝 (1866-1924) 夏の海 不詳 油彩・板 寺岡富士氏寄贈
黒田 清輝 (1866-1924) 山荘 不詳 油彩・板 寄託品
久米桂一郎 (1866-1934) 秋景下図 1895 油彩・キャンヴァス  
長原孝太郎 (1864-1930) 肖像(柴山景綱肖像) 1903 油彩・キャンヴァス 長原担氏寄贈
長原孝太郎 (1864-1930) 第6回白馬会展ポスター 1901 木版・紙 長原担氏寄贈
長原孝太郎 (1864-1930) 第9回白馬会展ポスター 1904 木版・紙 長原担氏寄贈
長原孝太郎 (1864-1930) 朝鮮の人 1892 ペン・紙 長原担氏寄贈
長原孝太郎 (1864-1930) 紡糸 1892 ペン・紙 長原担氏寄贈
長原孝太郎 (1864-1930) 雨降り 不詳 水彩・紙 長原担氏寄贈
藤島 武二 (1867-1943) 浜辺 1898 油彩・板  
岡田三郎助 (1869-1939) 岡部次郎像 1898 油彩・キャンヴァス  
小林 万吾 (1870-1947) 不詳 水彩・紙 寺岡富士氏寄贈
和田 英作 (1874-1959) 富士 1909 油彩・キャンヴァス (財)岡田文化財団寄贈
青木   繁 (1882-1911) 自画像 1905 油彩・紙  
満谷国四郎 (1874-1936) 裸婦 1900頃 油彩・キャンヴァス  
満谷国四郎 (1874-1936) 二階(習作) 1910 油彩・キャンヴァス  
鹿子木孟郎 (1874-1941) 津の停車場(春子) 1898 油彩・キャンヴァス 鹿子木君子氏寄贈
鹿子木孟郎 (1874-1941) 狐のショールをまとえる婦人 1902 油彩・キャンヴァス  
中村 不折 (1866-1943) 裸婦立像 1903頃 油彩・キャンヴァス  
萬 鐵五郎 (1885-1927) 建物のある風景 1910 油彩・板  
萬 鐵五郎 (1885-1927) 木の間よりの風景 1918 油彩・キャンヴァス  
村山 槐多 (1896-1919) 自画像 1914-15頃 油彩・キャンヴァス  
関根 正二 (1899-1919) 天使[断片] 1918頃 油彩・キャンヴァス (財)岡田文化財団寄贈
中村   彝 (1887-1924) 髑髏のある静物 1923 油彩・板  
岸田 劉生 (1891-1929) 自画像 1917 クレヨン、コンテ・紙  
岸田 劉生 (1891-1929) 照子素描 1919 水彩、木炭・紙  
石井 鶴三 (1887-1973) 中原氏像 1916 ブロンズ  
中原悌二郎 (1888-1921) 若きカフカス人 1919 ブロンズ  
戸張 孤雁 (1882-1927) 虚無 1920 ブロンズ  
オーギュスト・ロダン (1840-1917) 化粧する女 1885頃 ブロンズ 寄託品
 

第2室:横山操「瀟湘八景」+橋本平八の木彫

 横山操の瀟湘八景は、伝統的な水墨技法に現代的な新しい生命を吹き込み再生させた作品で、その斬新な水墨表現は私たちに強い印象を与えてくれる。

 水墨技法に取り組むに当たって横山が選んだ瀟湘八景という画題は、中国宋代に発案され、中国や日本で画巻や屏風、掛幅など様々な画面形式と技法によって多くの画家たちが描いてきた、画題としてはポピュラーなものである。

 瀟湘八景は、わが国では室町時代以降、漢画系の水墨画家や狩野派、南画家たちによって多くの作品が描かれた。明治以降では、橋本雅邦らは水墨による瀟湘八景を描いたが、近代の瀟湘八景というと、むしろ横山大観や寺崎廣業の着色作品がよく知られている。

 つくり手の個性が尊重される近代以降では、どのように描くかという表現のあり方だけでなく、何を描くかという作品の主題も画家自身にゆだねられる場合が多く、画題として既に定まった主題が取り上げられるケースはむしろ少ない。

 しかし、長い絵画の歴史を見ると、画家が注文を受ける時点で既に発注者によって描かれるべき画題か決められている場合の方がはるかに多い。画家は、指定された画題をその約束事に従って、自身の表現によって描くのであり、画家が画題の内容を勝手に改変することは原則的として許されない。

 このように、伝統的な画題は約束事という形の制約を画家に課すことになるので、瀟湘八景といういわば描き尽くされた感がある画題を横山操があえて取り上げたところにも、彼がこの作品を描くに当たって抱いていた意欲と心持ちを窺うことができよう。

 瀟湘八景という画題では、晴・雨・雪・風・夕陽・月光といった自然現象とその変化、時のうつろい、あるいは漁村や舟行、晩鐘に象徴される人間の営為、さらには落雁という生物の営み等、自然界で繰り広げられる様々な事象を画面に連続的に描き出すことによって、この世界を凝縮して表現することが大きな眼目となっている。

 いうまでもなく、この画題は中国湖南省洞庭湖周辺の景勝地の風景に由来している。しかし、実際の景色に近いか否かということは、瀟湘八景図の歴史においてさほど重要な意味を持っていない。むしろ重要なのは、変化に富んだ自然の有様をいかに視覚的に表現するか、鑑賞者を画中の小宇宙にいかに引き込むことができるかといった点である。横山操の作品でも、実景に近いかどうかということは全く間題ではない。

 この作品を描く前年、横山はそれまで属していた青龍社を脱退、それ以前に描いた作品の多くを遺棄して新生を期した。そして、その後初めて開催された個展で富士山や紅白梅など日本の自然を主題とした屏風とともに発表したのが、この瀟湘八景であった。第二次大戦後の荒廃から立ち直り、高度成長が続いていた昭和30年代、欧米の様々な先鋭的な絵画表現も経験し、かつては戦後社会の象徴でもあった工場や建設現場を好んで描いたこともある横山が、伝統的な画題と技法という制約を自らに課して、新生面を開いたのがこの瀟湘八景であった。

 東洋絵画の長い歴史の上に立つ日本画家は、様々な面で伝統ということを意識せざるを得ない。その中心は、表現と技法、素材であろうが、現在ではあまり顧みられなくなった伝統的な画題というものを今日的な視点からいかにとらえるかということについても様々な問題を横山の瀟湘八景は提起している。

(毛利伊知郎)

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
横山   操 (1920-1973) 瀟湘八景

 

 −平沙落雁

 

  遠浦帰帆

 

  山市春嵐

 

  江天暮雪

 

  洞庭秋月

 

  瀟湘夜雨

 

  烟寺晩鐘

 

  漁村夕照
1963 紙本墨画  
橋本  平八 (1897-1935) 1922 ブロンズ  
成女身 1926 寄託品
弁財天 1927  
石に就いて 1928 寄託品
老子 1932  
弱法師 1934  
俳聖一茶 1935  
円    空 (1632-1695) 釈迦如来坐像 17世紀 寄託品
地蔵菩薩立像 17世紀 寄託品
 

第3室:19−20世紀西洋の美術

 ジャン・パリスの『空間と視線』(岩崎力訳、美術公論社、1979)によると、ビザンティン様式のイコンなどにおいては、現在普通に絵を鑑賞者が見るというのとは逆に、描かれた神なり聖なるものの方が、その前に立つ者を見つめるべく設定されているのだという。もとより中世にも物語を描いた場面はあるとして、そうした構造が逆転するのは、やはり、イタリア・ルネサンス、すなわちアルベルティやレオナルドが画面を壁に開いた〈窓〉と見なした時点だろう。そして窓としての画面を支える骨組みが線遠近法だった。さらに、建築物に従属する壁画等に対し、ヴェネツィア派を中心にキャンヴァスが広く用いられるようになり、また十七世紀のオランダなどで中産市民階級が絵の需要層として発展するにつれ、可動的なタブローが、絵というもののあり方の軸をなすことになる。これに拍車をかけたのは、フランスのアカデミーが催した官展による、展覧会という形式の確立である。ただし現在のように、画廊や美術館といった中性性を装った空間の中、爽雑物ぬきで絵と観者が目の高さで垂直に向きあうという鑑賞の様態が一般化するのは、十九世紀も後半以降、いわゆるモダニズムの成立と軌を一にしている。それに伴ないしかし、皮肉なことにというべきか、窓としての画面がもたらした奥行きは減じ、聖性の発出を保証したかつての金地とは性格を異にするにせよ、描かれた空間と画面の表面は再び接近することになった。方形の枠で切断されたタブローは、建築に従属しないがゆえに単一の全体としての自律的な統合性を獲得するのだが、その統合性が今度は、奥行きのイリュージョンを余剰として許容するすべを失なったかのようだった。

 とはいえ、以上のいささか乱暴な粗筋は、そこにさまざまな曲折をはらまなかったはずもない。たとえばムリーリョの『アレクサンドリアの聖カタリナ』は必ずしも、絵とそれを見る者が正面から向きあうことを想定していたわけではあるまい。キリスト教において聖者が、キリストや聖母ともども神と人間を仲介しとりなすのだとすれば、見る者は、カタリナの螺旋上の体勢に沿って視線を天へと上昇させたことだろう。すなわち、画面の大きさと相まって、絵は、やや見上げるようにして眺められることを想定されていたのではないだろうか。

 またゴヤの『騎兵アルベルト・フォラステール』のような肖像画では、家族なりモデルが属する社会なり、絵に接する環境は、限定されないからっぽの箱では決してなく、何らかの具体的かつ特定の場だったはずだ。

 モネやルドンの時期になると、日常生活から切り離され、美術だけが視線の対象となる展覧会、また個々の作家の作品だけを集めた個展といった形式もほぼ一般化していたと考えてよいだろう。その際でもルドンやルオーの場合、キリスト教の伝統的な図像にのっとるかいなかは別にして、その主題の性格上、かつての家庭用のイコンのように、絵と見る者との親密な対話そして黙想が要請されているのかもしれない。

 他方ダリの『パッラーディオのタリア柱廊』では、ルネサンス以降の画面同様、線遠近法が構図のかなめをなしている。ただし、〈窓〉の向こうと手前で地面は連続しておらず、遠近の後退の加速と黒い影に浸された地平は、見る者の立つ足場をもよるべないものとしてしまう。逆にタピエスにおいては、画面の向こうと手前は一致し、物としての壁の隠喩となる。だからそこに傷をつけることもできるのだ。キーファーの画面の前に吊りさげられた鉛のかたまりも、画面の向こうと手前の区別を無効にし、両者に均しく働く重力の作用を感じとらせずにいない。

 これらはいずれも、絵とそれだけで向かいあわせようとする中性的な空間の成立が、逆に、絵のよって立つ地盤を奪ってしまうという事態に呼応しているのだろう。アルバセテの『幻影 1』において、画面の入れ子として画面自体を自己言及的に相対化する縦横の枠と平行な格子、また半透明な塗りとシルエットをなす静物とによる蜃気楼の様な相は、絵をどこに位置づけるのだろうか?

(石崎勝基)

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
バルトロメー・エステバーン・ムリーリョ (1617-1682) アレクサンドリアの聖カタリナ 1945-50年 油彩・キャンヴァス  
スルバラン派の画家   聖クロス 17世紀 油彩・キャンヴァス 有川一三氏寄贈
フランシスコ・デ・ゴヤ (1746-1828) 騎兵アルベルト・フォラステール 1804年 油彩・キャンヴァス (財)岡田文化財団寄贈
オーギュスト・ルノワール (1841-1919) 青い服を着た女 1876年頃 油彩・キャンヴァス (財)岡田文化財団寄贈
クロード・モネ (1840-1926) ラ・ロシュブロンドの村 1889年 油彩・キャンヴァス (財)岡田文化財団寄贈
オディロン・ルドン (1840-1916) アレゴリー 1905年 油彩・キャンヴァス  
サルバドール・ダリ (1904-1989) パッラーディオのタリア柱廊 1937-38年 油彩・キャンヴァス  
ジョルジュ・ルオー (1871-1958) キリスト磔刑 1939年頃 油彩・キャンヴァス (財)岡田文化財団寄贈
ラウル・デュフィ (1877-1953) 黒い貨物船と虹 1949年頃 油彩・キャンヴァス (財)岡田文化財団寄贈
マルク・シャガール (1889-1985) 1956-62年 油彩・キャンヴァス (財)岡田文化財団寄贈
ジョアン・ミロ (1893-1985) 女と鳥 1968年 油彩・キャンヴァス (財)岡田文化財団寄贈
アントニ・タピエス (1923-   ) ひび割れた黒と白い十字 1976年 ミクストメディア・木  
アンゼルム・キーファー (1945-   ) フレーブニコフのために 1984-86年 油彩、アクリル、乳剤・キャンヴァス+鉄線、鉛  
アルフォンソ・アルバセテ (1950-   ) 幻影1 1990年 油彩・キャンヴァス  
 

ギャラリー、ロビー

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
中西  夏之 (1935-   ) 『白いクサビ−日射の中で』 1987 銅版・紙  
高松  次郎 (1936-   ) 『水仙月の四日』 1984 シルクスクリーン・紙  
元永  定正 (1922-   ) ふたつしずく 1987 アクリル・キャンヴァス  
瀧川  嘉子 (1937-   ) 境−No.6-1986 1986 板ガラス  
清水九兵衞 (1922-   ) 作品A 1968 真鍮  
湯原  和夫 (1930-   ) 開かれた形 1975 真鍮・塗装  
保田  春彦 (1930-   ) 都市1・試作(1) 1985  
保田  春彦 (1930-   ) 都市1・試作(2) 1985  
澄川  喜一 (1931-   ) そぎとそり 1975  
オシップ・ザッキン (1890-1967) ヴィーナスの誕生 1930 ブロンズ 岡三証券寄贈
飯田  善國 (1923-   ) Xのコンストラクション 1987 木、着色麻ロープ  
多田  美波 (1924-   ) 1982 テラコッタ、ステンレススティール  
江口   周 (1932-   ) 漂流と原形 1981  
 

屋外彫刻

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
ジャコモ・マンズー (1908-1991) ジュリアとミレトの乗った大きな一輪車 1973 ブロンズ 百五銀行寄贈
多田  美波 (1924-   ) 作品91 1991 ステンレススティール  
湯原  和夫 (1930-   ) 無題 1982 鉄・ステンレススティール 井村屋製菓寄贈
井上  武吉 (1930-1997) my sky hole 82 1982 鉄・ステンレススティール  
井上  武吉 (1930-1997) my sky hole 85-6 1985  
番浦  有爾 (1935-   ) 1990 ブロンズ  
田畑   進 (1944-   ) NOKOSARETA-KATACHI 1982 ステンレススティール・黒御影石  
八ツ木 のぶ (1946-   ) 象と人(異邦の夢) 1988 ステンレススティール・ウレタン塗装  
梶    滋 (1951-   ) 円柱とその周辺 1986 アルミニウム  
石原  秀雄 (1951-   ) 暗室の王 1994 白御影石  
松本   薫 (1952-   ) Cycle-90° 1992 ステンレススティール  
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