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美術館 > 展覧会のご案内 > 常設展(美術館のコレクション) > 1994 > 常設展示1994年度第1期(1994.3-6)

常設展示1994年度【第1期展示】 1994年3月29日(火)~6月26日(日)

第1室:昭和後期の洋画

 第2次世界大戦が終って半世紀が過ぎようとしている。この戦争が20世紀のモダニズム(近代主義)芸術に与えた深刻な打撃を回顧する試みを、最近いくつかの外国の文献から知ることができた。

 ひとつは先頃話題になった米国ロサンジェルス・カウンティ美術館での『頽廃美術展』(1991年)カタログである。この展覧会は1937年にミュンヘンで行なわれた同名の展示を再現することで、ナチスによる表現主義や抽象芸術への弾圧を告発した内容になっているが、ナチスが頽廃芸術の烙印を押した芸術家には表現主義のキルヒナーやココシュカ、バウハウスのカンディンスキーとクレー、また当時ドイツにいたシャガールも含まれていたことがわかる。いっぽう美術史家コーンの近著『ヴィシー政府下の芸術家たち』(1992年)は、ピカソなどパリの前衛芸術家が生きた苛酷なフランスにおける戦中を正面から採り上げている。これらの展覧会や著作は戦後50年を経て可能になったともいえるし、50年を経た現在もなお鮮明な記憶として残されねばならないものである。

 1945年敗戦以後の時代は日本では昭和の終るまでふつう「戦後」と呼ばれてきたが、近年の著作からその言葉は消えつつある。たとえば柄谷行人偏『近代日本の批評-昭和篇[下]』(1991年)では昭和を3つの時期、昭和前期・中期・後期に区分しながら批評史を辿っているが、従来「戦後」といわれた時期は中期にいれ、むしろ戦前と戦後の批評をつなぐ問題点を明確にしようとしている。むろん編者自身この区分が戦争を消去してしまう危険性を指摘している(同書あとがき)。

 美術史の場合「戦後美術」と「現代美術」の境界線が論議されることがあるが、重要なことは論者ないしは作品を制作するアーティストの問題意識のなかに「戦争」がどのように関わっているのかという点であろう。批評家・土方定一は戦後間もない文章のなかで、戦争による空白を芸術家がいかに埋めるのか、その新たな出発の意識と制作姿勢こそ問題であると述べている(「現在の出発の意識について」『アトリエ』1946年9月)。土方は画家・麻生三郎を高く評価したが、土方の言葉をかりると麻生は「自己の視覚世界」をもった画家ということになる(「麻生三郎論」『みづゑ』1949年)。この自己の視覚世界は「対象と格闘してゆくぎりぎりのところで、ふと静かな空間に凝縮した世界を見、それを今度は力強く描い」(「日展評」『美術』1946年)た時に獲得される。

 土方は上記の日展評のなかで、移植文化としての近代日本洋画は流派と思想の移植として評価される側面をもっていると指摘するが、戦後この問題と対峙した画家が吉原治良であると思われる。吉原は戦前はシュルレアリスムの洗礼をうけ、戦後はアンフォルメルを受け入れながら自己の視覚世界を模索した画家だが、1967年(昭和42)に戦後はじめて東京で開催した個展に出品した作品のひとつが《作品 (赤丸)》である。「私が自分の描いた円と向かいあっていることは自分自身との対話を意味する。」と個展カタログで語る吉原は、自分が絶えず孤独であるという自覚から抜け出せず、結局自己との神話をもって生涯を終えるだろうと告白している(『没後20年-吉原治良展』カタログに再録。芦屋市立美術博物飴・大原美術館、1992年)。戦後、元永定正や白髪一雄など「具体」グループの中心にいた画家の言葉としては驚くほどペシミスティックである。「具体美術宣言」(1956年)のなかでアンフォルメルを称賛し、欧米の芸術家と交流しながら、しだいに「書」や「禅宗」という日本の伝統に回帰していく画家・吉原治良の足跡は、土方が提示した移植文化としての洋画の問題が戦後もなおつづいていた証左となっている。

(荒屋鋪 透)

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
朝井閑右衛門 (1901-1983) ガラス台鉢 1948(昭和23) 油彩・キャンヴァス  
斎藤  義重 (1904-   ) 作品 1963(昭和38) 油彩・合板  
吉原  治良 (1905-1972) 作品(赤丸) 1967(昭和42) 油彩・キャンヴァス  
難波田龍起 (1905-   ) 創生A 1961(昭和36) 油彩・キャンヴァス  
鶴岡  政男 (1907-1979) しめる 1967(昭和42) 油彩・キャンヴァス  
中谷   泰 (1909-1993) 農民の顔 1954(昭和29) 油彩・キャンヴァス  
香月  泰男 (1909-1993) 芒原 1968(昭和43) 油彩・キャンヴァス  
松本  竣介 (1912-1948) 建物 c.1945(昭和20) 油彩・板  
阿部  展也 (1913-1997) R-26 1970(昭和45) アクリル・キャンヴァス  
桂    ゆき (1913-1991) 作品 1958(昭和33) 油彩・キャンヴァス  
麻生  三郎 (1914-   ) 母子のいる風景 1954(昭和29) 油彩・キャンヴァス  
杉全   直 (1914-1994) コンポジションA 1961(昭和36) 油彩・キャンヴァス  
浅野  弥衛 (1914-   ) 作品 1960(昭和35) 油彩・キャンヴァス  
浅野  弥衛 (1914-   ) 作品 1975(昭和50) 油彩・キャンヴァス  
菅井   汲 (1919-   ) 森の朝 1967(昭和42) 油彩・キャンヴァス  
三輪勇之助 (1920-1990) 昆虫採集にいった時 1958(昭和33) 油彩・キャンヴァス  
元永  定正 (1922-   ) 赤と黄色と 1966(昭和41) 油彩他・板、キャンヴァス  
清水九兵衞 (1922-   ) 作品A 1968(昭和43) 真鍮  
小野木  学 (1924-1976) 風景 1975(昭和50) 油彩・キャンヴァス  
白髪  一雄 (1924-   ) 黄龍 1965(昭和40) 油彩・キャンヴァス  
江口   週 (1932-   ) 漂流と原形 1981(昭和56)  
今村  幸生 (1935-   ) 死者の門 1962(昭和37) 油彩他・板  
磯部  行久 (1936-   ) WORK63-28 1963(昭和38) ミクストメディア  
三木  富雄 (1937-1978) c.1965(昭和40) アルミニウム  
宇佐美圭司 (1940-   ) 銀河鉄道 1964(昭和39) 油彩・キャンヴァス  
杉浦 イッコウ (1946-   ) A SPACE ODYSSEY 90 Ⅲ 1990(平成2) アクリル・キャンヴァス  

第2室:曾我蕭白と三重の近世画人たち

 曾我蕭白の『林和靖図』と『竹林七賢図』の構図はともに、きわめて横に長い画面を、大きく弧を描く木の枝が統一するという点で共通している。枝はいずれも、いったん上辺にかかってから、ゆるやかに下がっていく。そのため弧は、画面の内側で何らかの形を描きだすにとどまらず、全体としての画面そのものにはたらきかけるのだ。逆に、画面全体に干渉するためには、弧はゆるやかでなければならなかった。弧はバネのように、空間に弾力を波及させるだろう。

 もとより画面全体に対する意識といっても、近世の西欧で成立したタブローの場合とは性格がことなっている。遠近法にのっとったタブローにおいては、ある距離をおいた時、全体を一目で把握できることが前提となる。見るものの視線は、画面と垂直に奥へぬけていき、画面自体は、向こう側の世界に開いた窓の役割をはたすことになるだろう。対するに、屏風である『林和靖図』は本来蛇腹のように折り曲げておかれただろうし、襖八面からなる『竹林七賢図』はおそらく、四面ずつが直交して配されたという。いずれにせよ視線は、横へ斜めへと滑っていく。

 蕭白の二作品はしかし、単に個々のモティーフを横に並べていくことによってできたものでもない。枝の弧が上辺にかかっていたことを思いおこそう。弧によって弾力を与えられる全体とは、内側だけでなく、画面の外に対する意識によって裏打ちされているのである。外というのは具体的には、屏風や襖がおかれる日本間の空間をさす。西欧のタブローのように壁にかけられ、額縁で枠どられた、閉じて完結した画面ではなく、横へ外へと拡張していく全体なのだ。

 こうした全体に対する意識を支えるのは、勢いとバランスをかねそなえた筆致である。『林和靖図』ではとりわけ、右の木の幹での渾沌としたエネルギーの流動、『竹林七賢図』では、枝や雪を地のまま残し、余白を薄墨でおおう外隈による場のひろがりが、空間を浸透していく。

 以上二点にかぎらず、蕭白の作品にはしばしば、画面の内側を部分的に埋めるだけでなく、全体に干渉するようなモティーフが用いられる。『許由巣父図』で、人物や牛の視線のやりとりに即して、ジェットコースターのようになだれ落ちる急流もその一例である。こうした構成法を近代的と呼ぶべきかどうかはさておき、しばしば異端的と評される滑稽さや皮肉を誇張した描写とあわせて、蕭白固有の濃密に統合された作風をつくりあげることになる。

 もちろん画面全体に対する意識は、弧とは別の形をとることもできよう。『虎渓三笑図』では、分析的キュビスムにおける切子面を連想させる硬質で不連続な面が、ガシャガシャときしみあいつつ、画面をおおいつくしている。この面のきしみあいを、ニュアンスぬきにまっすぐ落ちる滝がかろうじておさえることで、鉱物の結晶のような世界が成立する。『夏景山水図』では、山や崖のやはり硬質な描写に、これは不定形な海が真横から侵入してくる。山・崖も海も、外の両側からやってきて、出会った場所が画面なのだ。

(石崎勝基)

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
月   僊 (1741-1809) 十六羅漢図   紙本墨画  
池  大雅 (1723-1776) 二十四橋図   絖本淡彩  
曾我 蕭白 (1730-1776) 林和靖図 1760(宝暦10) 紙本墨画  
曾我 蕭白 (1730-1776) 許由巣父図   紙本墨画 岡田文化財団寄贈
曾我 蕭白 (1730-1776) 竹林七賢図   紙本墨画  
曾我 蕭白 (1730-1776) 夏景山水図   紙本墨画 寄託品
曾我 蕭白 (1730-1776) 虎渓三笑図   紙本墨画 寄託品
青木 夙夜 (   -1802) 冨嶽図   絹本著色  
増山 雪斎 (1754-1619) 百合に猫図   絹本著色  
歌川 広重 (1797-1858) 隷書東海道五十三次 1847-51(弘化4-嘉永4) 北版画・紙  
湯原 和夫 (1930-   ) 無題 1971(昭和46) 真鍮、クローム鍍金  

第3室:物語(テクスト)と絵-19・20世紀のヨーロッパの版画を中心に

 現在「イラストレーション」というと、広告やデザインを舞台にした商業美術の一分野という印象があるが、もともと英語では、聖書、英雄伝、歴史など、何らかの物語(=テクスト)に基づく「挿絵」を意味している。この「基づく」という点で、また小規模であるという点で、美術のなかでも最も地位の低いもの、あるいは美術の範囲外のものとして、挿絵が軽視された時代もあった。物語に添えられた単なる図解にすぎないと見なされたのである。しかし、たとえば日本において、中世以来の〈絵巻物〉が脈々たる伝統を有し、美術史上も高い評価を受けてきているように、またたとえば、初期キリスト教美術から中世末期に至る西洋美術のなかで、精密細緻な挿絵が文字と一体化し、宝石のような輝きを放つ〈装飾写本〉が不可欠の存在であったように、挿絵の歴史は、まちがいなく美術史の重要な一角を占めてきたのである。

 一つには、かつては文字の読める人々が少なかったことがある。それゆえに、キリスト教美術の多くは、その教義を民衆に伝達するため、聖書以上に雄弁な手段であった。しかし挿絵に限っていえば、むしろ注目すべきは、物語と絵、テクストとイラストレーションの関係ではなかろうか。初めからテクストの書き手との共同作業として描かれる場合、すでにある有名なテクストから挿絵本を構想する場合など、挿絵が成立する事情は様々であっても、両者の緊密な関係、それぞれに固有の有機的な結び付きによってこそ、優れた挿絵は生み出されてきたといえる。

 展示作品では、たとえばルオーの《受難》は、長年にわたって親交のあったフランスの文学者アンドレ・シュアレスとルオーとの共同制作によるもので、両者の精神的な結び付きこそが、このルオーの代表作を生み出したといえよう。他方、ブレイクの《ヨプ記》やルドンの《ヨハネ黙示録》は、すでに様々な解釈がなされてきた既存のテクストに、画家の独創的な解釈による挿絵が新しい生命を吹き込んだ優れた例である。

 旧約聖書中の『ヨブ記』は、神に愛された「正しき人ヨブ」が度重なる試練を経て、真の信仰と幸福に至るという、よく知られた物語である。銅版画に取り組む前に、ブレイクはすでに2度、水彩画で《ヨブ記》を制作しており、テクストの中からどの場面を採り、どういう構図によって表現するかについては、これら水彩画に基本的に基づいている。しかし銅版画では、そこにさらに独創的な試みが色々と加わっている。なかでも目立つ相違点は、もともとの画面の外に加えられた枠飾り、すなわち挿絵にあたる画面の周囲を、様々な文字や装飾的モティーフから成る枠が取り囲んでいる点である。どの頁も、画面のすぐ下には『ヨブ記』の原文(英訳)からまさにその場面に該当する文章やその前後が引用され、観者に場面全体の状況が知らされる。この点ではブレイクの《ヨブ記》も、ある程度テクストに忠実な図解となっている。ところが、それ以外に、必ずしも『ヨブ記』からとは限らない、聖書の他の部分などから自由に引いた文章が枠内に散りばめられ、さらに象徴的な装飾モティーフなども加わっている。扉の頁に「ウィリアム・ブレイク創案・彫版」と記しているように、ブレイクはきわめて意識的に、『ヨブ記』の独自の解釈を最初から意図しているのである。文字、装飾、挿絵が有機的に結び付き、テクストとイラストレーションの綜合を実現した《ヨブ記》は、銅版画家としてのブレイクの生涯の集大成というべき作品となった。同時に、画面全体が強大なエネルギーに満ちた磁場と化したかのような緻密な線描表現も、彼の到達点を示している。

 挿絵による聖書の独創的な解釈の先駆者ブレイクの死後数十年を経て、世紀末の強力なカトリック復興の雰囲気の中で、『ヨハネ黙示録』という興味深いテクストに、白と黒による独創的な挿絵を与えたのがルドンである。彼は説明的な従来の挿絵の型を破り、関心のある対象のみをクローズアップで取り上げる方法を採った。ここでは、彼が駆使する深々とした黒こそが、最も雄弁な挿絵の役割を果たしている。

(土田真紀)

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
バルトロメ・エステバン・ムリリョ (1617-1682) アレクサンドリアの聖カタリナ 1645-50 油彩・キャンヴァス  
スルバラン派の画家   聖ロクス 17世紀 油彩・キャンヴァス 有川一三氏寄贈
ウィリアム・ブレイク (1757-1827) ヨブ記 1825 銅版画・紙  
オノレ・ドーミエ (1808-1879) 古代史 1841-43 石版画・紙  
ロドルフ・ブレスダン (1822-1885) 善きサマリア人 1861 石版画・紙  
ロドルフ・ブレスダン (1822-1885) 鹿のいる聖母子 1885 石版画・紙  
オディロン・ルドン (1840-1916) ヨハネ黙示録 1899 石版画・紙  
オディロン・ルドン (1840-1916) アレゴリー 1905 油彩・キャンヴァス  
オーギュスト・ルノワール (1844-1919) 青い服を着た若い女 c.1876 油彩・キャンヴァス 岡田文化財団寄贈
ヤン・トーロップ (1858-1928) 種蒔く人 1895 石版画・紙  
アレクサンドル・スタンラン
+ポール・バリュリオ
(1859-1923)
(1860-1917)
ジル・ブラス紙挿絵 1891-94 写真凸版・紙  
アリスティード・マイヨール (1861-1944) 『ダフニスとクロエ』挿絵 1937 木版画・紙  
ジョルジュ・ルオー (1871-1958) 受難 1939 銅版、木版画・紙  
ジョルジュ・ルオー (1871-1958) キリスト磔刑 不詳 油彩、紙、キャンヴァス 岡田文化財団寄贈
モーリス・ド・ヴラマンク (1876-1958) 『無告の民』挿絵 1927 石版、銅版画・紙  
モーリス・ド・ヴラマンク (1876-1958) 『辺境伯』挿絵 1955 木版画・紙  
ジョアン・ミロ (1893-1983) 女と鳥 1968 油彩・キャンヴァス 岡田文化財団寄贈
イサム・ノグチ (1904-1988) スレート 1945 ブロンズ  
リン・チャドウィック (1914-   ) 三角Ⅲ 1961 ブロンズ  
ヤン・フォス (1936-   ) 無題 1983 油彩・キャンヴァス 寄託品
G・T=カルメル (1942-   ) 四季・秋よりⅤ 1989 アクリル・紙  
アルフォンソ・アルバセテ (1950-   ) 幻影1 1990  油彩・キャンバス  

ギャラリー、ロビー

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
オシップ・ザッキン (1890-1967) ヴィーナスの誕生 1930 ブロンズ 岡三証券寄贈
ルイーズ・ネヴェルスン (1899-1988) 無題 1980年代 木、鏡  
辻  晉堂 (1910-1981) ポケット地平線 1965(昭和40)  
柳原 義達 (1910-   ) 黒人の女 1956(昭和31) ブロンズ  
堀内 正和 (1911-   ) 水平の円筒 1959(昭和34) 鉄・御影石  
向井 良吉 (1918-   ) 発掘した言葉 1958(昭和33) ブロンズ 作者寄贈
清水九兵衞 (1922-   ) FIGURE-B 1986(昭和61) アルミニウム  
飯田 善國 (1923-   ) Xのコンストラクション 1987(昭和62) 木・着色麻ロープ  
多田 美波 (1924-   ) 1982(昭和57) テラコッタ、ステンレススティール  
保田 春彦 (1930-   )  都市1,2 試作(1,2) 1985(昭和60) 鉄・赤錆  
関    敏 (1930-   ) 1989(平成1) 黒御影石  
江口  週 (1932-   ) ふたたびとべるか?-柱上の鳥 1988(昭和63)  
中西 夏之 (1935-   ) 白いクサビ~日射の中で 1987(昭和62) 銅版画・紙  
若林  奮 (1936-   ) 中に犬2 1968(昭和43)  
小清水 漸 (1944-   ) 作業台 水鏡 1981(昭和56) シナ合板、ウレタン塗装  
鈴木 頼子 (1963-   ) MEDITATE 1993(平成5) 銅版画・紙  
中山 美香 (1970-   ) 景 MN-2 1992(平成4) 銅版画・紙  

屋外彫刻

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
ジャコモ・マンズー (1908-1991) ジュリアとミレトの乗った大きな一輪車 1973 ブロンズ 百五銀行寄贈
多田  美波 (1924-   ) 作品91 1991(平成3) ステンレススティール  
湯原  和夫 (1930-   ) 無題 1982(昭和57) 鉄・ステンレススティール 井村屋製菓寄贈
井上  武吉 (1930-   ) my sky hole 82 1982(昭和57) 鉄・ステンレススティール  
井上  武吉 (1930-   ) my sky hole 85-6 1985(昭和55)  
番浦  有爾 (1935-   ) 1990(平成2) ブロンズ  
田畑   進 (1944-   ) NOKOSARETA-KATACHI 1982(昭和57) ステンレススティール・黒御影石  
八ツ木 のぶ (1946-   ) 象と人(異邦の夢) 1988(昭和63) FRP、ステンレススティール、ウレタン彩色  
梶    滋 (1951-   ) 円柱とその周辺 1986(昭和61) アルミニウム  
松本   薫 (1952-   ) Cycle-90° 1992(平成4) ステンレススティール  
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