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館蔵品から

秋岡美帆「光の間 01-1-15-4」

 『宇宙大怪獣ドゴラ』(1964年、本多猪四郎監督)はタイトルどおり怪獣映画で、ダイヤ強盗団をめぐるサブ・ストーリーはともかく、宙に浮く酔っぱらいだの石炭竜巻だの、けっこうセンス・オヴ・ワンダーを感じさせる作品だった。タイトル・ロールのドゴラは二様の形態をとり、成長すると太古のクラゲだかクラゲ様生物のような姿となる。スティール等で見られるその全身はしかし、実際の画面ではあまりはっきり現われず、むしろ、暗雲淀む夜空に、白く光る長い触手のゆらめくさまばかりが印象的だった。

 

 本作品を眺めていて思いだしたのが、上の場面である。上から右下へ、次いで左に折れる幾本かの白い線について作者は、「天使の翼のような」と形容したことがあって、すると、天使とクラゲ怪獣ではあんまりだということになるのかもしれない。もっとも天使にせよ怪獣にせよ、宇宙(コスモス)とその外との境界を往来する存在という点で変わりがないとはいえよう。『エゼキエル書』冒頭の神の車(メルカーバー)ないし智天使(ケルビム)の幻視に見られるとおり、天使がいつも優美であるともかぎらない。

 

 とまれ微妙に転調していく青みがかったグレーのひろがりは、和紙の毛羽だった肌理によって、微細なレヴェルでたえず連続性を断ち切られる。そのため、明部なり暗部いずれかの延長としてではなく、両者を包みこむ、あるいは浮遊させるような、よりふくらみのあるひろがりが現われることとなった。明暗がおおむね縦軸に沿って変化する点も、支持体の枠を超えた拡張感を助けている。

 

 そこに、画面の外かつ上から、白い線が延びてくる。その細さ・白さは、線から実体感を奪わずにいない。さらに一本一本は、その残影であ・驍ゥのような、平行する線を数本ずつ伴なっている。後者は前者に対し、空間上の奥行きと同時に、時間上のずれを押しひろげることになる。それらの軌跡が相似する点からすれば、ただ一本の線が幾重にもこだましているのかもしれない。ある意味で、動く対象を連続撮影したマレーやマイブリッジの実験と比較することもできよう。

 

 また線は、中心を避けるかのように大回りをして動く。実体感の乏しさ、時間上の位置のゆらぎと相まって、それらは青灰色のひろがり全体に、ゆるやかな遅さをもって働きかけることだろう。その時、というよりその瞬間と次の瞬間とのはざまに、天使だか怪獣の現われる予兆が刻まれているのではないだろうか。

 

(石崎勝基・学芸員)

 

作家別記事一覧:秋岡美帆

秋岡美帆 光の間 01-1-15-4

秋岡美帆

光の間 01-1-15-4

 

2001年

 

NECOプリント・麻紙

 

217.0×275.7cm

 

撮影:村中修

 

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