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児島 善三郎(1893−1962)「箱根」

1938年 油彩・キャンバス130.5×162.5cm

 「熱海からバスで箱根峠にかかったら、双子山の中腹から上が雲にかくれていて、あの山の雲が晴れたらどんなに大きい山かと好奇心をそそられた。晴れて見たら、それ程でもなかったが、やはり大変大きな山のように感じられたので、相当誇張して描いた。晩秋初冬の頃で、それ等の山々の枯草の色が青空に映え、中腹には旧御用邸跡の半島が芦の湖の碧水に浮ぶ。ここは箱根山中の最も景色のいい処であるが、私はその雄大な感じを何んとか画に表わしたいと思い、思い切った表現も試みた」と児島善三郎は自作の「箱根」について解説文を遺している。

 

 晴れわたった空と湖水の青、山々の茶、樹々の線と色彩は単純化され、画面のほとんどが茶と青で占められている。そして双子岳の堂々とした量塊、ゆったりとうねる山々、記号化された樹々など画面は非常に装飾性が高い。文人画を思い出させるような線描、あるいは東洋の山水画を見るような山と湖水や家並の配置を見せながら、しかも 形体とその色彩の単純化は琳派の装飾性に通じている。箱根の雄大な実景を確実にとらえ、自己のなかの東洋の伝統と対決しながら近代的造形と一致を求め、記号化された豪快なフォルムと明快な色彩によって児島の独自な様式を完成させている。

 

 油絵をもう一度イロハから始める覚悟で西洋美術の根幹に流れる伝統を学び、1928年に帰国した児島善三郎は、ドランの重厚さ、マチスの形と色の単純化による表現など、フォーヴィズムの影響を強く受けながら、日本人的感性にたって日本固有の油絵を制作しようと、日本の古典である南画や琳派の様式をとり入れ、日本の風景をいかに表現するか腐心を続けている。

 

 国分寺にアトリエを新築して転居した1936年から、独自の様式を構築すると再び写実にもどってより高い境地をめざすという振幅を繰り返して、日本の自然との対決をより一層深めている。

 

(森本孝・普及課長)

 

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