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エルミタージュ美術館と美術アカデミー訪問記

 

エルミタージュ美術館展 イタリア ルネサンス・バロック絵画』より

田中善明

 エルミタージュ美術館への出張に同行することが1993年4月に突如として決定した。目的は次に開催する「エルミタージュ美術館展 フランス バロック・ロココ絵画」で借用する作品選定の交渉。ロシアでの滞在は3日間という短い期間ではあるが、収集品の質量ともに世界でも屈指の大美術館であるエルミタージュの収蔵庫や修復室を覗くまたとない機会でもあった。折しも、同美術館が位置するサンクト・ペテルブルグには私の学生時代に助手を勤めていた石井享さんが文化庁派遣芸術家在外研修員としてロシアの修復技術を学ばれていたので、お世話になることになった。  

 

 日本からサンクト・ペテルブルグへの直行便はなくヘルシンキ経由となったのだが、ちょうど飛行機からペテルブルグが見えた。ネヴァ川が町の中央を蛇行し、その両岸はほぼ放射状の町並みで構成されていた。

 

 殺風景なペテルブルグの空港に降り立ったとき、予想に反して日本より暖かく、快晴のもと灰色の烏が迎えてくれた。空港からのタクシーは荒々しい運転で一抹の不安を憶えたが、イサク聖堂が高くそびえるイサーキエフスキー広場を前にしたときには、300年近い歴史の重みが心中を占領してしまった。

 

 エルミタージュ美術館はその一部が元歴代皇帝の住処であっただけあって町のほぼ中心に建っている。職員用の通用口はネヴァ川に面し、そこから私たちは会議室に入った。交渉のあと、実際に借りることになる絵画作品を確認するため作品を管理する出納専門職員であるレジストラーの案内で館内と収蔵庫へむかった。270万点以上あるといわれる作品はさぞや置き場に困ってごった返しているかと少々期待していたのだが、その期待に反して収蔵庫は整然と管理されていた。しかも効率よく。収蔵庫で絵画を収納する引き出し式のラックを使う例は日本の美術館でもよくみられるが、エルミタージュのラックに掛けられた油絵はすべて額からとり外されていた。額がとり外されているのは、ラック自体が木製で、額の荷重に耐えられないといった理由もあろうが、とにかく、ラックに掛けられた作品の下辺は横桟の上に乗せられ、他の辺は木製の締め具で固定されており、ちょうど一点一点が強固なイーゼルの上に固定されているかのようで、いままで見たこともない合理的な方法だと思った(写真1)。これだと、それぞれの作品の所定位置をきちんと決められるし、一定の壁面(ラック)に、より多くの作品を収納できる。日本の美術館でよくみられる金属製のラックの場合、額裏の金具にS字管でスクリーンに引っかける方法であるが、この場合だとラックを引き出す際にかなりの振動が伴うし、地震でもあればS字管を釘梃子にして作品の下部分が大きく揺れてしまう。私たちは、エルミタージュのこの方法をおおいに参考にすべきであろうが、額を取り外して収納するにあたっては、油絵の耳部分が擦れるおそれがあるので、かならず膠テープなどで側面から角にかけて保護することが前提となっているし、額と作品を十全に管理する体制が整っていなくてはならない。

 

 エルミタージュの修復室へは石井さんを通じて修復部門主任のリタ・グルニナ女史が案内して下さった。中にはいると真っ先に修復中の大作が目に入った。それは、この年のエルミタージュ展に出品される予定のボッティチーニ「聖女バルバラと聖マルティヌスを伴う幼児キリスト礼拝」であった(写真2)。この作品にみられる厳格な構図、幾層にもわたるテンペラ絵具によるハッチングと一部鍍金によるきらびやかな色彩は、イタリア・ルネッサンス絵画を代表する作品として日本でも好評だった。作品の状態がよくない場合は貸出を見送るところであるが、エルミタージュ側の好意に改めて敬服する。

 

 物資の供給が滞っているロシアの情勢から、やはり修復材料に困っていたようだが、裏打ち作業に使うホットテーブルなどの修復用具、それに赤外線テレビや顕微鏡などの調査機器はドイツをはじめとする西側から入ってきているそうで、徐々に電算化もはじまっていた。修復室にはこのほか十数点の作品が修復途中であった。修復に用いる素材を別にして、日本での修復方法とは大きな違いはなかったが、画面洗浄のときに「コントロール」と称して一部洗浄しない部分を残しておき、洗浄後に画面の変化を以前の状態と比較することや、裏面に一部当て布をするときに張力のバランスを考えて当て布に作品の厚みと同等の絵具を塗っていたことなどが目についた。これらの方法が本当に有効なのかどうかはわからないが、作品にとって適した処置を施そうとする態度は十分に感じとれた。

 

 別室ではレンブラントの代表作「ダナエ」が修復中であった。この作品は数年前、精神錯乱の観覧者によって硫酸をかけられた。即座に修復家は患部を水で緩和させるという応急処置をとったそうだが、既に裸体部を中心として跡形もなく焼失してしまった。「ダナエ」が展示されていた場所にいくと、床面には現在も硫酸の跡が残り、その惨事を克明に伝えていた。修復室には十数枚の]線写真と事故前の拡大写真が修復の参考データとして壁に貼りつけてあり、模写も同時に制作されていた。この無惨な名作を前にし、不慮の事故対策のためにも改めて日頃の作品調査が如何に大切であるかを肝に命じた。

 

 修復室を見学後、大ネヴァ川をはさんでエルミタージュ美術館の北西対岸、学術の中心ワシリエフスキー島にあるレーピン美術大学を訪れた。道路に面した玄関をくぐるとアカデミーを象徴する石膏像が林立する。ここに在籍する石井さんの案内で(写真3)、中央の階段を登り、順に回廊式の建物内を見学することができた。このアカデミーは、もともと芸術家育成の機関として18世紀半ばに創設されたが、修復専門の課程がのちに併設された。修復の課程は6年で、一室では学生がそれぞれに課せられた作品を修理していた。学期末のため、講座内容まで踏み込めなかったが、実技は修復の他に制作も義務付けられており、別室では講評のために人体を描いた油絵が並べられていた。いずれも人体の構造を忠実に追求したアカデミックな作品で、作家としても十分通用する力量を持ち合わせている。修復家になるためには美術史や化学の知識のみならず作品が制作されるプロセスを熟知すること、それに修復の際の作品全体を見渡せるバランス感覚を養うことも必要であるが、彼らの作品の多くはそれを満たしているように思えた。ここの学生が修復する作品にはエルミタージュの所蔵品も含まれており、エルミタージュ美術館とはうまく連携しているそうである。

 

 この年に開催されたエルミタージュ美術館展はイタリアのルネサンスとバロック絵画を中心に展覧された。そのときに驚いたことがある。それは、この展覧会のため、もちろん修復の専門家も来日し、作品の点検をしたが、同行した美術史担当学芸員も作品の状態を十分に点検できる確かな鑑識力を備えていたということである。たとえば、油絵表面に亀裂が生じていた場合、その亀裂がワニス層だけにできたものか、絵具層のものか、地塗り層から生じたものかを識別することや、新たな損傷部分と過去の損傷部分を見分けることの訓練ができているようであった。エルミタージュでは自館の作品を修復するプロジェクトが組まれたとき、そこにかならず美術史担当の学芸員も加わり、作品のあるべき処置について検討することが当然となっている。このことからも、上記のような識別能はあたりまえのことであろうが、こんにち組織内の専門化を推進する日本の美術館にとって専門以外の分野に対してもいままで以上の素養を身につけなければならないことは案外見落としがちになっているように思われる。   

 

(たなかよしあき・学芸員)

写真1

写真1

写真2 エルミタージュの修復室

写真2 エルミタージュの修復室

写真3 修復作業中の石井氏

写真3 修復作業中の石井氏

写真4 美術大学修復室の一角

写真4 美術大学修復室の一角

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