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館蔵品から

月僊「東方朔図」

 いままさに桃を盗み取ろうと忍び足で歩み寄り、あたりをうかがうひとりの男。西王母の仙桃を盗んで食い、齢八百歳を得たという東方朔が描かれる。

 

 東方朔の顔貌には一面に代緒を塗布し、同系の濃色を重ねて陰影らしきものをほどこしている。月僊が摂取した先行絵画を問題にするとき、江戸で就いた雪舟派の画人桜井雪館や京都で就いた円山応挙、深く私淑したという与謝蕪村などの影響がしばしば指摘されているが、ほかにも洋風画との関係があげられることがある。この作例の存在は、こうした問題について考慮を促す材料になる。

 

 画面には「月僊」の落款のほか、二顆の印が捺されている。そのうちの「寂照主人」(白文方印)は、33歳で伊勢寂照寺に住持として移って以降新刻された印章と考えられる。晩年まで長期間に亙って使用したことが確認できる印章であるが、よほど頻繁に使用したのか、経年変化が著しく、晩年になると磨耗が激しくなりやがて郭線も欠失した。したがって、この印章の比較検討は、伊勢時代の作品の編年に有効な指標を与えることになる。そして、欠失のきわめて少ない完好な状態にあることは、「東方朔図」が、月僊の伊勢時代の作品のなかでもとりわけ早期に描かれたものであることを意味する。

 

 様式成立後の素描的ともいえる独特の人物表現とは明らかに異なる表現がここでは試みられており、若い月僊が人物画における写実表現そのものにもすくなからぬ関心を抱いていたことが示されている。また、東方朔が懐中に匿そうとしている桃の実や桃の折枝はあきらかに南蘋派の影響が看取され、そこにも、若い月僊が南蘋派の写実表現に無関心ではなかったことが示されている。

 

 この作品の稠密な表現は、月僊の伊勢時代の多数の作品のなかでもきわだって特異なものといえる。様式形成が進む過程で月僊が結局は捨て去ることになる過渡的画風であったと考えられる。              

 

(山口泰弘・学芸員)

 

月僊についての記事一覧

月僊「東方朔図」

月僊「東方朔図」

8世紀後半

 

絹本著色

 

109.7x62.5cm

 

小津茂右衛門コレクション

 

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