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研究ノート

ウィンザー・アンド・ニュートン社刊「絵画保存のハンド・ブック」について その1

田中善明 

 

この本は絵画保存のための全28頁の小冊子で、初版は1845年、三重県立美術館には1851年刊行の第2版がある(注1)。本書が出版された契機は著者がアート・ユニオン・ジャーナル誌に掲載した「蘇生(Renovatus)」と題する論文が好評であったためで、この論文の内容を増補改訂し、手引き書となった。全体は「絵画の保護について」、「パネルからキャンバスへの作品の移し替え」、「裏打ち」、「クリーニング」、「修復」の5つの章から構成されている。それぞれの章はごく平易に解説してあり、本書を読むことによって誰もがすぐに実践できる性質のものではないが、一般の日曜画家を対象にした読みものとしてはふさわしい。

 

 

 イギリスの画材メーカーのウィンザー・アンド・ニュートン社は現在まで継続してこういった手引き書を刊行しつづけているが、日本で初めて同社のシリーズを将来したのは、ロンドンに留学し、ジョン・ウィルカムに師事した国沢新九郎(1847−1877)であるとされている(注2)。帰朝した国沢新九郎は東京麹町平河町に私塾彭技堂を開き、国沢の死後、本多錦吾郎(1850−1921)に継がれ、これらの手引き書の訳述講義を1883(明治16)年におこなった。この本は絵画技術書で、本多錦吉郎の死後、国立国会図書館に1925(大正14)年3月9日付で寄贈された。3巻で構成され、いずれも「絵画保存のハンドブック」より11年遅い1856年に刊行されている。それぞれの巻は6章からなり(注3)、今回紹介する本とは異なって、複数の執筆者による数百頁にわたる実用書である。

 

 冒頭で触れたように「絵画保存のハンドブック」は明治洋画の先駆者川上冬崖が蕃書調所に入所する(1856年頃)よりも古い1845年に刊行された。実物の油絵作品さえも見る機会が殆どなかったこの時期に国沢新九郎をはじめとする明治初期の洋画家が本書を日本に持ち帰った可能性はないだろう。そのため、明治初期の洋画史と直接の関連はないにしても、本書は上記の技法書とともに18世紀中ごろのイギリス、ひいてはヨーロッパの絵画保存についての一般的な状況を伝えており、当時の作品を考察するうえでも参考になると思われるので、字数の許す限り数回に分け要約し、最後に考察を入れる予定である。

注1

 Mogford, Henry. Hand-Book for The Preservation of Pictures, Contaning Practical Instruction for Cleaning, Lining, Repairing, Restoring, and Preserving Oil Paintings. 2nd ed. The Hand Book of Picture Cleaning. London: Winsor and Newton, 1851

 

注2

”The Art of Landscape Painting in Oil Colors”in Winsor and Newton's series of HAND-BOOKS ON ART.vol.T〜V(1856)

 詳しくは青木茂編「明治洋画史料 記録篇」P.107、P.152,1986年,中央公論美術出版、に掲載されているので参照のこと。

 

注3

 第1巻は「遠近法の基本」、「写実の技術」、「水彩絵具による風景画の描き方」、「水彩画の手順」、「水彩絵具による写実の心得」「花の描き方」 

 第2巻は「人体素描」、「美術解剖」、「水彩絵具による肖像画」、「細密画」、「色鉛筆による素描」、「モデルの素描とその効用」

 第3巻は「油絵具による風景画」、「油絵具による肖像画」、「着色法の原則」、「ガラス絵」、「布(LINEN)絵」、「装飾美術の形式」の章内容である。

第1章「絵画の保護」

 絵具のメディウムに油が使われるようになって3世紀以上(この本が出版されたときから換算すると)が経過したが、当時の作家は作品を保存する術を当然知らなかったから今日かなり損傷しているが、その傷んだ作品は知識のない未熟な人に修復されたことによって、より損傷してしまった。そのため著者は今日のもっとも熟練した修復家による修復工程を公開する。絵画のしかるべき保存はおもに乾燥した空気、光、そして有毒物質の存在如何で、絵画の色調が暗くなる原因として媒剤とニスの変色、化学作用による変色、湿気、かび、汚れた空気、ランプの煙、それに誤ったクリーニングである。

 

 過去の作品はキャンバス、板、銅板、大理石に地塗りや膠引きをほどこし、そのうえに描かれているが、それら素材の組合せが不適合である場合、作品の劣化につながる。この本では素材の善し悪しについて述べるのではなく、劣化してしまった作品を修理する方針を述べることを目的としているが、やはり、芸術家用の特別な地塗りは、固着性や耐久性、また一般的な長所があり、それらの地塗りの上に制作された作品の保護を物質的に助ける、つまり、地塗りに作用する剥落や亀裂を起こしにくくする利点がある。

 

第2章「パネルからキャンバスヘの作品の移し替え」

 板絵が虫害で損傷していた場合、裏面にオーク材やマホガニー材で格子状に補強する手段もあるが、異なる種類の木材で継がれたパネルの上に描かれた絵の場合やこまた絵の表面を平坦にする必要があるとき、手間と費用のかかる作業であるが、貴重な作品に限りキャンバスへ移し替えるのが望ましい。

 

 まず、絵の表面になめらかな紙を糊張りし、その紙の上を肌理の細かいモスリンで覆う。そして平坦な机の上に絵の表面を下にして置き、固定する。それから木材を安全に削ることのできるぎりぎりの薄さまで細心の注意を払って削り取り、刃先のするどいナイフでこすり取るようにして残りの木材を取り除く。この作業が終わると、地塗層を溶剤か物理的な手段で丁寧に除去する。すると、残りは紙とモスリンに固定された絵具層だけとなる。そこで新しいキャンバスを用意し、表打ちされた絵具層とキャンバスを膠でしっかりと固定し、湿り気を与えて表打ちした紙とモスリンを取り外す。この際、平面に固定できればよいが、一部でふくらみができたときには、漆でどうさ引きをして、アイロンで平坦にする。ふくれた部分の一部を切り開き、接着剤を注入するひともいるが、その場合は再び裏打ちをやり直すほうがよい。板絵からキャンバスに移し替えに成功した例として、パリのアクエン氏がおこなったティッツィアーノとラファエロによる《殉教者サン・ピエトロ》などがあり、ロンドンにおいても小さい寸法の作品に適用されている。

 

 銅板に描かれた作品の保存状態は通常良いが、衝撃によるへこみを受けた場合、その唯一の治療法は強力な圧力矯正のみであり、絵具層を必ず破壊する。銅板の最大の不便さは地塗りが接着しにくいことであり、振動によってもはげ落ちることがあるから、膨れたところを平面に矯正することはたいへん危険である。キャンバスは、とくに湿気をすぐに吸収してしまう壁にかけられたり、空気が密閉されていると、自然に黴が繁殖し腐敗する。植物繊維であるキャンバスは緩み、それを矯正しようとすると絵具が粉々になる危険があるので裏打ちの必要がある。

 

(つづく/たなかよしあき・学芸員)

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