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創作広場

森敏子

 

 「三重の子どもたち展」に展示された作品を鑑賞していて、みずみずしい作品に出合い良い気分になっていると、その近くに全く同じスタイルの絵があり、どこを切っても同じ絵が現われる「金太郎飴」であったことが分かり、残念に思うことがしばしばある。

 

 教育現場での教師の指導が真面目であれはある程、子どもへの技術押しつけ型の指導になるようである。子どもにとって絵とは、純粋な自己表現である。決して技術の到達度を競うものではない。最近、特に子どもの感情が素直に表出した作品が減少しているように思われてならない。

 

 さて、「三重の子どもたち展」の期間中、美術館は子どもたちの空間に変貌する。土曜日の午後と日曜日には、エントランスホールで、創作広場が開かれる。私も入会しているボランティア「欅の会」の会員も、準備、後片付けなどのお手伝いをしている。

 

 大きな真白い画用紙、パス、絵の具などが用意されている広場を見つけると、走りよってくる子、最初はためらっていたが、ゆっくりと近づいて来て筆を持ち始める子など、さまざまであるが、その子たちに共通していることが、ひとつだけある。描きたいから描く・・・ということ。展示された作品を見て、触発された子どももいるだろう。隣の子どもが描いてる姿に刺激されて描き始める子もいるだろう。どの子も真剣な日差しで描いている。真白い画用紙に、たっぷりと絵の具を含んで一気に描き始める。色があふれ、絵が変化していくのを心の底から楽しんでいるようである。その子だけの夢の世界がどんどん拡がっていく喜びが、側で見ている私たちにも伝わってくる。

 

 「子どもたち展」に出品された作品と比較してみると、創作広場で描かれた作品には格別、高い技術は見られない。素朴である。もちろんバックの処理などは、してないので白で残したままである。しかし迫力がある。絵が生きている。子どもたちは、自分の描きたいように描く。テーマも決められず、自分の今、描きたいことを心のおもむくまま、手か動くまま描くだけである。上手に描こうとか、ていねいに塗ろうとかいった考えは、一切ないのである。「子どもたち展」実行委員の先生方が交替で、いつも2名来られているが、指導はしていない。子ども自身が、がんばって描き、自分で、出来上りを決めるのである。困った子がいれば、少しの言葉で励ますだけであり、絵の具や水の使い方を教えるくらいである。こうやって完成された絵は、期間中、エントランスホールの壁に展示され、その絵の前で親子で記念撮影といった、ほほえましい光景も見られる。

 

 ちょっとした「きっかけ」が子どもの本来持っている描きたい気持ちを刺激し、子どもたちの心に絵に対する「何か」が生まれてくるとすれば創作広場での体験は、きっと大きな素晴しい宝物になるかも知れない。

 

(もりとしこ・主婦)

 

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