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館蔵品から

谷中安規 [1897-1946] 「虎ねむる」

1933(昭和8)年

木版・紙

 

15.0x24.0p

 

 

TANINAKA Yasunori // The Tiger Sleeps // 1933 // Woodblock print on paper

 

 昭和の初めに版画雑誌『白と黒』『版芸術』を主宰した料治熊太の回想によると、当時、これらの雑誌に関わった人々のなかでも、最も貧しい生活を送っていたのは棟方志功と谷中安規であったという。この頃の二人の年譜をみると、棟方が川上澄生の影響の色濃い最初の版画集『星座の花嫁』を出したのが193年(昭和6)年、28歳のとき、版画家の永瀬義郎に師事した谷中が創作版画協会展に初入選したのが1928(昭和3)年、31歳のことであり、ともに若干遅れぎみながら、版画家としていよいよ本格的に歩みだしている。そして、この数年後には棟方は柳宗悦らに「発見され」、また谷中も堀口大学や佐藤春夫に注目され、内田百聞らの本の挿絵を手がけ始めている。ともにまずは順調なスタートであったが、我々が知るように、前者は日本を代表する木版画家として戦後、国際的にも名をあげたのに対し、後者は敗戦後まもない東京でひっそりと餓死してしまった。

 

 自刻自摺による創作版画という、江戸の浮世絵版画とは全く異なる形で出発した日本近代の木版画は、大正期の『月映』などにおいて、相当の成果をすでに挙げていたが、木版画本来のプリミティヴな持ち味(「プリミティヴ」という言葉の裏には、元来、西洋文化のある種の優越意識が潜んでいるが、ここではあくまで正の価値として)という点で最もすぐれた成果を上げたのは、偶然にも昭和の初めにほぼ同時に登場した、この2人の版画家においてであったように思われる。しかし、従来の版画にはない大画面や、彫り跡の激しさなど、見る者を力で圧倒する棟方と、谷中のやり方はかなりちがっている。

 

 本の挿絵をはじめ、谷中の版画はすべて小品である。線というより白黒の面の対比で構成された簡潔な画面は、ときにとぼけた味さえ漂わせている。奇矯な行動と極貧の生活ぶりが伝説的に伝えられる谷中であるが、その人生は、孤独ではあっても、悲壮感漂うものではなかったにちがいない。彼の一見風変わりな人生は、彼自身の自然な欲求だけから成り立った単純素朴なものであったのではないか。作品の飾り気のない力強さ、プリミティヴな魅力は、まさにその反映であると思われる。一貫した特徴である幻想的な物語性も、象徴主義などの示す韜晦とは全く無縁であり、むしろ自らの抱いたイメージを素直に版木に刻みつけた結果と見るべきであろう。その飾り気のない作品群が、真の生命力にみち、我々がすでに失ってしまった本来の「生」というものへの郷愁を呼び覚ますところに彼の真価は見出されるはずである。

 

(土田真紀・学芸員)

 

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谷中安規 [1897-1946] 「虎ねむる」

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