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ひる・とおく

 八月初旬暑い日の夕暮れだった。「ああ、あの児また反対だわ。」とラジオから流れてくる。私はとっさに食事のとき「箸」を左手で持っているのではなかろうかと連想した。

 

 私が育った時代は、今日の様な飽食の時代とは異なり、戦争と食糧不足と食事時でも躾と言う目が光っている時代であって、本能的にこんな情景が頭をかすめてしまった。よく聞いてみると、歩くことによろこびと自信を持ちだした幼児が、靴を左右反対に履き歩き出すところであった。それにしてもそそっかしさには全くはずかしい思いがした。

 

 利手(ききて)の話になると思い出すのが画家の横山操である。美術館に赴任して間もない四月末から五月中旬にかけ、「横山操・横山大観の瀟湘八景と近代の日本画展」が企画されており、好きな日本画展であるので大いに期待をする反面、横山操については知識がなく、図録から一夜づけ、そんな中から忘れることのできない深い感動をおぼえた。

 

 それは、中国東北(満州)でむかえた敗戦、その後四年半にわたるソビエト連邦カラガンダ地方での飢えと寒さと重労働の苛酷な抑留生活中、画家として登録すれば特権が付与されることも知りながら、自己の信条に従い、他の同僚とともにあえて苦難の道を選択する生きかたや、また、昭和四十六年四月脳卒中で倒れ、画家の生命である右半身が不随となるや、左手で製作することを思いたって実行し、その後の展覧会に出品するなど、強靭にして不屈の精神力と、芸術に対するつきることのない探究と挑戦は、私達の人生に強い力を与えてくれるような気がする。

 

 横山操の「山市晴嵐」は瀟湘八景のうち最も好きな絵である。黒と自で表現された水墨画、そこに自然の美しさやきびしさやそしていとなみが伝わってくる。この絵は幸にして館蔵品である。これからも常設展で鑑賞出来ることを楽しみにしている。  

 

(黒川春夫・次長)

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