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ひとこと

県立美術館設立を祝して

武村泰男 (三重大学教育学部長)

 中世ヨーロッパの絵、つまりキリスト教絵画は、はじめ、わたしにはどれもこれも同じようにみえた。色彩がはっきりし過ぎた画面、単純な表情、動きのない衣服、生物学的調和を無視した姿形。つまり素人の目には生き生きした躍動感も立体感も欠如した面白くもなんともない絵なのである。ヨーロッパの大きな美術館にゆくと無数のそうした絵につき合わされる。

 

 ところがおかしなもので、そのような絵画に消極的ながら幾度となく接してしいるうちに、最初に覚えた違和感が次第に薄れてきて、やがて、時としては、死んだと思った体にかすかに息の通っているのをみつけだしたときのように、ひび割れた画面が動いているような驚きを感ずることもある。そうなると、変哲もない絵の奥から西洋中世の人たちが語りかけてくるような気がしたりして、宗教画からさらには中世というもののもつ魅力を否定できなくなってしまった。 ヘーゲルは、量の変化が質の変化をもたらす、と言ったが、わたしにとって美術館とは、そういうふうに、芸術作品にじっくりと接する場所として意味をもつようである。それほどの美術愛好家でもなく鑑賞眼もなく知識もない人間にとって、作品が定住している場というものは、デパートなどでの一回的「特別展」的あり方とは全然別の存在意味をもっているように感ずる。文化が人間の何千年にもわたる思考と行動との結果の集積であり、芸術作品がそのひとつの象徴であるとすれば、それを幾度も幾度も眺める場がどこの土地にもなくてはならない、と思っていた。そうした意味でこそ美術館が地域社会の美術館であるだろうし、その社会の文化の核であり得るであろう。わたしたちがこのたび完成した県立美術館に多大の期待を寄せる所似も実はそこにある。

 

 

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