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美術館 > 刊行物 > 年報 > 2002年度版 > 佐藤昌胤 《伊勢湾台風》 移動美術館 2002.8

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佐藤昌胤 (さとうしょういん/1907-1970)
伊勢湾台風

1960年 油彩・キャンバス 佐藤とも氏寄贈


1907年、三重県長島町に生まれた佐藤昌胤は、1921年に三重県津中学校に入学、前年赴任していた林義明と出会い、林の指導を受けて芸術や文学に親しんだ。1924年には郷里に近い四日市の富田中学校へ転校したが、翌年には学校教育に不信を抱いて同校を中退した。富田中学校の先輩に丹羽文雄らがいたことから、文学を志して上京したが、その後、画家志望に転じて川端画学校で本格的に油絵を学び、曾宮一念から指導を受けたという。1928年には帝展に郷里の風景を描いた《晩秋の丘》が入選し、1930年以降は春陽会に出品するようになった。また、地元長島町で町会議員などの公職にも就き、多趣味の文化人として多くの人から慕われたという。

死者・不明者が5千人以上にのぼった伊勢湾台風のとき、佐藤昌胤は被害のひどかった長島地域の無惨な様子にショックを受け、しばらくその有様を描き続けたという。人だけではなく牛や鳥も死体となって横たわる本作品からは、当時の悲惨な状況が十分に伝わってくるが、この画家独自の幻想的なかたちと色彩が、伊勢湾台風という主題を通り越して、より壮大なテーマへと向かわせている。


作家別記事一覧:佐藤昌胤
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