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no.4 2005.3.31

マティスからモローへ − デッサンと色彩の永遠の葛藤、そしてサオシュヤントは来ない

石崎勝基

4.シャセリオー、アルベルティ、セザンヌ

4−1.モローからシャセリオーへ


一八四七年のサロンに落選したが翌年入選、現在は失なわれたシャセリオーの大作《コンスタンティーヌのユダヤ人のもとでの安息日の土曜の宴》(MS.107)(158)をめぐって、テオフィル・トレは、「シャセリオー氏の才能は、最初の教えを受けたアングル氏の影響と、精巧な色彩家であるウジェーヌ・ドラクロワ氏の影響とが、稀有な形で混じりあったものなのだ」と述べた後で(159)、次のように記している;


「シャセリオー氏は、形象の内側を肉づけした後でしか、アングル氏の手法を用いない。オーソドックスなシステムではまず、幾何学的な輪郭を刻むことになる。それから、多少とも平らな色で輪郭の内側を埋めるのである。シャセリオー氏は逆に、最初に彼のイメージの形態を、色の関係と光の推移によって際立たせ、形象が輝きをもった時、暗褐色の線と線的なデッサンの力強いアクセントによって、輪郭を囲む。ヴェネツィアやスペインの巨匠たちがしばしば、外側に筆を加えるという、こうした手段を用いた。


「この複雑な方法によってシャセリオー氏は、もっとも美しい形態を純粋に表わしながら、固有色の輝きを失なわずにすんだのだ」(160)


シャセリオーのある下絵状の油彩(MS.68)について記述するにあたってマルク・サンドスは、そこでの、明暗を施した上からはっきりした輪郭線で区切るという技法に、初期のジェリコーの影響を指摘した(161)。他方サンドスは、<アングルのデッサンとドラクロワの色彩を綜合しようとした、あるいは折衷した>という、トレやボードレール(162)も用い、当時から現在までシャセリオーにくりかえしあてられる位置づけに疑問を呈し、とりわけ後期のシャセリオーに関し、バロック的な特性を見てとっている(163)。二〇〇二年から〇三年にかけて開かれた回顧展のカタログや、その際催されたシンポジウムの報告書序文においても、<アングル/ドラクロワ>という問題系に疑義が投げかけられる(164)。疑念を出す意図自体は了解できるものの、ただその時、模倣や折衷を下位に、オリジナリティを上位に置く、ロマン主義由来の序列が前提とされていないかどうか、留意しておくべきではあるだろう。また具体的な画面に現われる線と、原理としての<アングルのデッサン>とでは、審級が異なるであろうことも忘れてはなるまい。


ともあれ一八四六年のアルジェリア旅行あたりを境にして、それ以降のシャセリオーは、暗めの暖かい色調を主とした流動的な明暗法と、重量感があり単純化されたモニュメンタルな形態とを融合した作風に達する。これら後期の作品については、サンドスによるバロック的との性格づけはおおむねあてはまるが、ただ、前期の作品が宿していたある種の抒情性および、それと密接に結びついたアンバランスさが、そこでは軽減されることとなった。他方幅広い筆致の流動性がもたらす柔らかい肉付けは、時として、形態が空間に溶解せんとする傾きをはらみ、ひいては空間自体を不安定なものとすることがある。


前期の作品においては、やはり人物の形態は単純化され、その量感が強調されるのだが、それはしばしば、モニュメンタルな安定感をもたず、色彩の暖かさと、曲線のアラベスクとが、不安定なままに目をひくことになる。これに、目の大きさを強調された、物思いに沈む女性像が好んでとりあげられたこととも相まって、独特の不安感と抒情性を感じとらせたのだった。


その時、<アングルのデッサンとドラクロワの色彩>という二項が、意識的であれ意図せぬものであれ、どれだけ具体的な制作の過程と関わりあうかは別にして、逆に、不安を宿した抒情を表現しようとすることが、線と色との関係に揺れをひきおこしたのだとも見なせよう。そしてこの点を、シャセリオーに兄事したモローが引き継ぐことになる課題と考えることができる。


もとより、モローにおける色彩の冷たい感触はシャセリオーでは暖かく、前者の形態が平板なのに対し、後者のそれは量感を強調される。またモローに比べ、シャセリオーでは概して風景など背景の比重が小さい。一八五六年にシャセリオーが三十七歳の若さで没するまで二人は親しく交わり、その後も、モローの構図に対しシャセリオーからの影響を読みとれる例は少なくないが(165)、模写によって裏づけられるわけでもなく、そもそも、線と色の関係といった問題がどのような形で受け継がれたといいうるのか、具体的な資料に基づいて裏づけることはできない。賦彩した後に輪郭で囲むという、先に引いたトレの指摘も、モローの<入墨>に直接つながるはずもあるまい。それゆえここでモローとシャセリオーを並べてみるのも、マティスとモローの場合同様、二つの独立した軌跡が、たまたま平行ないし交差したのではないかという見方の試みを出るものではない。


ちなみに、やはりシャセリオーから大きな影響を受けた画家に、ピュヴィス・ド・シャヴァンヌがいる。マティスとの関連からすれば、シャセリオーからシャヴァンヌ、シャヴァンヌからゴーギャン、そしてマティスへという系譜を想定することもできる。モローとの対比より、実のところこちらの方が連続性において増すはずだが、ここでは言及するに留めておこう。


さて、賦彩の上から加えられた輪郭線は、サン・メリ教会のための壁画(MS.94)やサン・ロック教会壁画(MS.227)、あるいは会計検査院のための壁画の内、焼失を免れた《平和》や《交易》の断片(MS.113I, 113J)など規模の大きな作品にも認められるが、ここでは、小品ではあるものの、失なわれた《コンスタンティーヌのユダヤ人のもとでの安息日の土曜の宴》と密接な関係を有するとされる(166)《バルコニーにいるユダヤ人の女たち》(図26)を眺めてみよう。


この画面の主眼は、背中を見せる人物二人がまとう衣装の色あざやかさが、さまざまな要素と干渉しあうことで、日差しの強さ、大気の乾燥など、熱を帯びた風土の環境を表出する点にあると見なしうる。さまざまな要素とはまず、衣装のオレンジがかった赤と青との対比だが、これはさらに、衣装に施された文様の金と対比され、各色の発現を強めている。金は上部のカーテンに、青は空に、赤は床や右手の女性の履物に連絡して画面全体を統合するかたわら、これら色相間の関係に、明暗の対比がかけあわされる。上半の柱と下半の欄干をはじめとして、右に立つ女性の光があたった顔と左側の女性の陰になった顔などが対比されている。明暗の対比はただ、立体感や奥行きを暗示するためのものではなさそうだ。三本の柱および欄干が平面性に即した格子をなすことで、奥行きを浅いものに留めているのだ。暗い欄干が部分的に二人の人物によって覆われている点も、明暗の強い対比を緩和することになる。そのため明暗の落差は、空を左上から右下に動く筆致の流れ、そして、右の女性から左の女性へと向けられた視線および体勢のもたらす方向性によって、画面のその場で循環するような動きを生ぜしめることだろう。画面の平面性に即して開口部を配するという構図、その中での二つの主要な色の対比といった点でこの作品を、マティスの《開いた窓》(一九〇五、ジョン・ヘイ・ホイットニー夫人コレクション)と、また色相対比と明暗対比の分離/接合という点では《黄色いドレスを着たカティア》(図1)と比較することもできるかもしれない。


とまれ構図の動きを保証するのはさらに、画面を埋める筆致の速さであろう。そしてその上で、上部のカーテンの右半、中央の柱の左側、左の女性の肩にかかるショール、右の女性の下半身左側など随所に、輪郭線が加えられる(図27)。上から足された輪郭線は、一方で筆致の動きにのって塗られた色面をくくりつけ、ひきしめる役割を果たしている。この点は、ジェリコーの《奴隷たちによって捕らえられた馬》(一八一七、ルーアン美術館)のような作品における輪郭に通じるものと見てよいだろう。他方シャセリオーにおける後補された輪郭線は、時として、単に色面の境界をなぞるのではなく、なにがしかの速さや勢いを感じとらせるものだ。モローの<入墨>の場合のように、線と賦彩それぞれの速度がまったく異なるのではなく、むしろ、完全に一致するわけではないにせよ、線と色面は互いの速度を接近させることになる。こうしたずれを埋めようとする接近、接近しつつ残るずれは、両者の間に、ある種の振動をひきおこすことだろう。


平面性・正面性を強調した柱と欄干による格子状の枠どりと、色相および色調の対比、筆致の流動性との関係を第一とし、同じ筆致の流動性と後補の輪郭線との関係を第二とするなら、さらにこの画面の軸をなすものとして、三たび流動的な筆致による柔らかい肉づけと、やや寸の詰まった、その分マッシヴな人物の形態との関係を第三のものとしてあげることができる。たえざる揺れを宿したこれら諸関係の網の目に、さらに、やはり線だけで二人の女性の大きな目が描き足され、柔軟さと距離感が入り交じった雰囲気を醸しだすことになる。




158. シャセリオーの作品について、以下のカタログ番号を併記する;
Marc Sandoz, Théodore Chassériau. 1819-1856. Catalogue raisonné des peintures et estampes, Paris, 1974;以下 MS.と略.


159. Léonce Bénédite, Théodore Chassériau. Sa vie et son oeuvre, Tome II, Paris, 1931, p.307 より引用。


160. ibid., p.308. cf. Sandoz, op.cit., p.451.


161. Sandoz, op.cit., p.168/cat.no.68.


162. Baudelaire,‘Salon de 1845’, op.cit., p.29[『ボードレール全集W』、op.cit., p.355].


163. Sandoz, op.cit., pp.88, 92-93.


164. Catalogue de l'exposition Chassériau. Un autre romantique, Paris, Strasbourg, New York, 2002-03, pp.14-20. Chassériau(1819-1856). Un autre romantique. Actes du colloque organisé par le musée du Louvre, Paris, 2002, p.9.


165. cf.
拙稿、「シャセリオーからギュスターヴ・モローへ」、op.cit.


166. Chassériau. Un autre romantique, op.cit., pp.297-299/cat.no.177.




図26 シャセリオー、《バルコニーにいるユダヤ人の女たち》
1849、油彩・キャンヴァス、35.7×25.3cm
ルーヴル美術館、パリ
MS.139



図27 同(部分)

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