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作家訪問〈6〉 稲垣克治

人々の歓迎の声とたくさんのあたたかい眼差しの中に、私達は、しばらくの時を過ごしたような気がする。それは、ブロンズの海女たちや、天に向けて両手をかざす乙女や横笛を吹く女、片手を挙げ会釈のポーズをとる人物像など、数多くの作品に囲まれていたからであろうか。

「作家訪問」今回は、御在所岳の山懐にある「芸術の里」に、日展に出品を続ける稲垣克治氏をお訪ねした。若草の、濃き薄きみどりの野辺に車を走らせて、「県民の森」を少し過ぎたところに、赤いトンガリ屋根のアトリエはあった。それ自体が彫刻を思わせる巨大な自然石の門柱に、手づくりの表札がくくりつけてある。山々の深き闇を照らすのに充分かどうか、岩の上の小さな照明器が、5月の陽光をキラキラ反射させていた。

稲垣さんは早くから庭へ出て、私達を待っておられたようだった。アトリエの入口には夫人の優しい笑顔があった。稲垣さんはとても気さくなお方なので、いい気になった私達は、かわるがわる色々なことを尋ね、たくさんのお話を聴くことができた。

稲垣さんは1940年3月、父・進、母・寿子の次男として台北に生まれ、4歳までをここで過ごす。小学校2年までは図工が大嫌いだったのを、3年生の時の担任から秋景色のスケッチを大変ほめられて、それで絵が好きになりこの道を選ぶきっかけになったこと、四日市工業高校への入学が、片山義郎氏との出会いとなり、生涯の師を得ることとなった。自由奔放に彫刻する楽しさを、充分教えて頂いたとおっしゃる。片山先生の進めで、高等学校卒業式の翌日から、四日市市の森欽窯会社に就職するが、その会社のデザイン担当の上司であった彫刻家、宮田卓二さんとの出会いも運命的であった。学校や会社の選択ひとつで人生が決まる。人の世の縁の不思議をしみじみ思わされた。

昭和41年「F子の像」で日展初出品で初入選となり、以後6回の入選を果たし、「志摩の女」で中日賞など数々の受賞をする。今、三重県を代表する具象彫刻家である。

「海女」の作品は、落選が続いたときに傷心をかかえ志摩を旅していて、海からあがって来る海女たちの姿にとても感動し制作を思いたったそうだ。そしてその作品が入選した。厳しい労働の中にある海女たちの表情が、どことなく穏やかで優しいのは、いつもそばにいて、時にはモデルの役も引き受けておられる夫人のあたたかさの故であろう。

自分で納得できるような個展はまだ一度も開いていないとのこと。これを見てほしい、と思うような内面的必然性に基づきデフォルメしたもので個展をしたいとのことだった。日彫展、日展と年間二点ずつ作品を出し続けてきて、これからは創作的な仕事、まだ自分で見付けていないものがあるので、それを探したいと意欲満々である。今年のテーマ「きらめく」は、昨年からあまりにも暗い事件が続いたので、キラキラと光る星に手がとどくような題材を選んだということであった。15センチほどのエスキースにも、作家の想いは充分すぎるくらい宿っていた。彫像の背後にも廻ると作家の魂に触れたようで、放電を感じるときがある。奥の部屋に置いてあった作品「冬の朝市」のまるい背中を、少し撫でてみたいと思ったのは、私だけであったろうか。

ゆっくり時はながれ、いとまを告げる私達に、夫人は一本ずつ紅赤のカーネーションをくださった。あさって12日は「母の日」だったことを、みんな同時に思い出して、お礼の言葉を重ねながら家路を急いだ。

(秋山洋子)

友の会だより 42号より、1996・7・20

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