このページではjavascriptを使用しています。JavaScriptが無効なため一部の機能が動作しません。
動作させるためにはJavaScriptを有効にしてください。またはブラウザの機能をご利用ください。

サイト内検索

三重県総合博物館 > コレクション > スタッフのおすすめ > 萬歳図

萬歳図

資料名 萬歳図 時代 不明(伝 昭和時代)
寸法  たて:29.0cm
 よこ:31.5cm
作者 中村左州
解説

正月を祝う萬歳の太夫と才蔵のコンビが、次の公演地に移動の途中の姿を、紙本に淡彩で描いたものです。作品は小さい物ですが、太夫と才蔵のバランスや衣装、烏帽子姿などから万歳を行う人達の温厚な様子が写実的によく描かれています。鯛の左洲と呼ばれた得意の作品には及びません。
制作年代は不明ですが、昭和に製作されたと伝えられています。

中村左洲(本名:佐十)は明治6(1873)年、現在の伊勢市二見町に生まれ、昭和28(1953)年に81歳で没するまで郷土二見を離れず、「鯛の左洲さん」の愛称で地元伊勢では知られた画家でした。
左洲は10歳で父を亡くし、家業の漁業に従事しながら、18歳(明治24(1891)年)の時、郷土の三村亘翁の紹介で神宮の神官で四條派の画家・磯部百鱗に師事しました。明治28(1895)年、21歳で第4回内国博覧会に「製塩図」を出品して褒状を受けています。また、東京で開催される展覧会にも出品するようになり、日本美術協会に出品した「左甚五郎之図」の作品は三等を受賞しています。
大正6年、44歳の時、第11回文展に「群れる鯛」を出品し入選しました。絵は、御木本幸吉の目にとまり購入したという話も有名です。こうしたことから、左洲は鯛の絵の専門画家として知られるようになりました。そこには、家業の漁師であったことや伊勢の海に親しみを持ち、画題として取り入れたことなどからもいえるでしょう。さらに、伊勢地域の内宮や外宮、山岳などの風景にも親しみを持っていたことで、作品の中にも見られます。(FW)

萬歳図(中村左州 作) 中村左州 落款

落款
ページID:000061510