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三重県総合博物館 > 展示案内 > 基本展示 > 基本展示室

基本展示室の紹介

基本展示室のコンセプト

三重の自然と歴史・文化が凝縮された展示

基本展示室イメージ図

 基本展示室は、大杉谷・大台ヶ原、鈴鹿山脈、伊勢湾、熊野灘に代表される三重の特徴的な自然環境を四隅に配置し、その中で育まれた人・モノ・文化の交流史を展示室中央で展開します。また、山、盆地、平野、磯の4つのくらしの視点から人と自然の関わりを総合的に考えるコーナーを、それらの間に配置します。これらを大きな空間で一体的に紹介することで、三重の自然と歴史・文化を総合的にとらえ、表現しています。

各コーナーの見どころ

「三重の大地のなりたち」

 三重の大地には、さまざまな時代の地層が分布し、その上に多様な環境が育まれています。数億年をかけて形成された大地の骨組みや、千数百万年前の亜熱帯の海、数百万年前に伊賀に琵琶湖の原型が存在した頃などの地層があります。さらに、恐竜化石「トバリュウ」など、多様な化石の見つかっていることがわかります。

【コーナー紹介】三重の大地のなりたち

 三重の大地のなりたちについて、時代順に紹介していきます。台地の基盤が出来上がっていった、約3億年前以降を日本列島の骨組みとして紹介し、1,700万年前の亜熱帯の海が広がっていたころ、数百万年前のゾウが棲んでいたころ、そして現在の三重の大地のすがたを紹介します。

ミエゾウ全身復元骨格ミエゾウ全身復元骨格

 「ミエゾウ」とは、その化石が三重県内で最初に発見されたことから、世界中で通用する正式な学名を「Stegodon miensis(ステゴドン・ミエンシス)」と名づけられた太古のゾウです。県内各所からも多数の化石が発見され、MieMuでも多くの化石資料を収蔵しています。MieMuでは、国内各地で発掘・保管されているミエゾウ化石の形態データを3次元スキャンで収集して制作した、日本初となる全身骨格復元標本の展示をご覧いただけます。

中央構造線

 松阪市飯高町月出付近から宮川河口付近を境界に、南北で全く異なった状況で変成した岩石が隣り合っています。これらの岩石は、付加体の一部がプレートの動きによって圧縮されたり、マグマが発生したりすることにより、変成を受けたものです。北側の領家帯(りょうけたい)の岩石は、600数十度の温度で、地下10数km程で形成された「片麻岩」と、マグマが固まったゴマ塩模様の「花崗岩」で、1億〜7,000万年前頃に活動したマグマと、その熱で変成した岩石です。一方、南側の三波川帯(さんばがわたい)は、400度近くの温度で、地下20数kmで形成された「黒色片岩」などの変成岩です。これらの境界は、「中央構造線」を呼ばれ、西は九州から、東は房総半島まで1,000km以上続くと推定される西日本を分断する大断層です。現在の中央構造線は、海面下に沈んでいたり、折れ曲がったりしていますが、もともと1億年ほど前に、大陸の東縁部に、南から来た海洋プレートの動きに引きずられて割れ目が生じ、アジア大陸の東縁に発達した巨大断層だったと推定されています。一部は、現在も動き続けています。月出では、最大規模の中央構造線の露頭がみられます。

 

「三重の多様で豊かな自然」

 三重は南北に長く、雪がよく降る鈴鹿山脈もあれば、温暖な東紀州沿岸もあります。標高1,600m以上の大台ヶ原山から、水深2,000mの熊野灘までの高低差があります。また、遠浅の広い内湾である伊勢湾など、まさに「日本の縮図」ともいえる多様な生態系を、三重が持っていることを以下の4つのテーマから取り上げます。

    • 大杉谷・大台ヶ原の自然〜多雨が支える森〜
    • 鈴鹿山脈の自然〜カモシカのすむ山〜
    • 伊勢湾の自然〜遠浅の広い海〜
    • 東紀州・熊野灘の自然〜黒潮よせる豊かな海〜

【コーナー紹介】雨と緑の宝箱 大杉谷・大台ヶ原の自然〜多雨が支える森〜

 清流「宮川」の源流には、深い峡谷に多くの滝がかかる大杉谷と、三重県最高峰の大台ヶ原山があります。このコーナーでは、日本有数の豊富な雨と複雑な地形によって生み出された他の地域にはない原生林と、森とともに育まれた多様な生きものを紹介します。

ここにしかない原生林

 何百年以上も人が手を加えない森を、原生林といいます。このような原生林は、今の日本にはほとんど残っていません。しかし、三重の宮川源流には、大杉谷と大台ヶ原という国内でも有数の原生林があります。日本で見られる原生林は、気温の影響で変わり、暖かい地域から寒い地域に対応して、常緑広葉樹林(シイ・カシ林)、落葉広葉樹林(ブナ林)、針葉樹林(トウヒ林)と、地域ごとの原生林が現れます。本来これらの原生林は、別々の地域にあるものですが、大杉谷と大台ヶ原では、標高の低い場所から1,500mを超える高地まで原生林が連続しており、せまい地域内に三つの異なる原生林があるぜいたくな場所となっています。

月に35日の雨が降る

 太平洋からの湿った南風は、立ちはだかる大台ヶ原山によって上昇し、冷やされることで雲になり、大杉谷と大台ヶ原に大量の雨を降らせます。年間降水量は4,500mmを超え、その多さから「月に35日の雨が降る」とまで言われています。

 多雨による大量の水で削られた深い谷には、「くら」と呼ばれる岩やいくつもの滝が見られます。そして、雨や深い谷により、高い湿度が保たれることで、岩上や崖にもコケにおおわれた湿潤な杜が広がっています。森は、ここにくらす多様な生きものと雨によって育まれ、大杉谷と大台ケ原ならではの風景をつくりました。

日本のなりたちを語る生きもの

 日本列島は長い地球の歴史の中で、地殻変動や海面の変化により形づくられましたこれに気候の変化などが加わり、長い年月の間に生きものたちは分布の拡大や絶滅を繰り返してきました。これにより生まれた特徴ある分布をもつ生きものは、紀伊半島でも見ることができます。例えば、本来見られる寒い地域から遠く離れた大台ケ原山頂部にあるトウヒ林(針葉樹林)。アジア大陸に起源を持つ植物として、太平洋岸沿いに中国南西部から紀伊半島へ帯状に見られるヒメシャラ。そして、仲間が海を隔てた九州・四国にいるオオダイガハラサンショウウオ。これらの生きものは、私たちに日本列島のなりたちを伝える存在として、今も大杉谷や大台ケ原にくらしています。

 

「三重をめぐる人・モノ・文化の交流史」 

 三重の地は、東西文化の結節点として、古来より人・モノ・文化の交流が盛んなところでした。歴史・文化の展示では、「交流」をキーワードに、“三重のすごさ”を紹介します。

【コーナー紹介】交流のかたち〜人の交流〜

 中世後期に始まった一般庶民の伊勢参詣は、平和な近世になって定着し、時には数百万人が押し寄せる「おかげ参り」も発生しました。全国から多くの人々が伊勢を訪れ、その賑わいの中でさまざまな交流がくりひろげられました。このコーナーでは、参宮とそれを支えた御師とよばれる人々に着目します。神楽の様子(三重県立博物館所蔵)

伊勢参宮と御師

 伊勢を目指す人々の動きを支えた存在が「御師(おんし)」です。御師は神宮の下級神職で、最も多い時には、内宮前の宇治の町に271家、外宮前の山田の町に615家の御師がいました。御師はそれぞれ担当地域があり、各地に檀家を持っていました。

 毎年御師の家来が檀家をめぐり、お札や伊勢の土産を持参し配りました。逆に、檀家が伊勢参りに来る際には、御師の屋敷に宿泊することとなります。御師屋敷では神楽奉納や豪華な食事のおもてなしがありました。そして、御師の家来に先導され、内宮や外宮へ参り、朝熊岳や二見など周辺の名所をめぐりました。

 こう記すと、御師の活動が際立ちますが、それだけでは大量の参宮客をもてなし満足させることはできません。御師のもてなしの裏には、内宮・外宮の存在はもちろん、御師邸で供される料理の材料などを生み出す伊勢志摩の自然、食材などを供給する巨大な地域市場の存在がありました。

 

展示の中心

 本展示では、全国から集まる参宮客と御師の様子、そのバックボーンとなった宇治・山田の町の様子を描き出しています。

 御師のうち最大の規模を誇ったのが、外宮の御師「三日市太夫次郎」です。明治期の記録によると、全国の檀家に配ったお札は37万7,200枚以上、現在、北海道・東北地方に多数の檀家を有しました。

 三日市太夫は、その屋敷の規模も大きく、総床面積は約800坪に及びました。この壮大な屋敷全体を、MieMuでは30分の1程度の模型で復元し、人の交流の展示の中心に据えています。

模型の中

 長旅を経た参宮客がくぐる御師の門と玄関、参宮客がくつろぐ客間、御師と対面する参宮客、参宮客が願人となって行われる神楽、参宮客を楽しませた食膳、そのために伊勢志摩の自然の幸があつめられ準備が行われるにぎやかな台所など、御師邸の内では様々なシーンが展開していたと考えられます。

展示調査の現状丸岡邸調査の様子

 御師身分は明治維新で廃止され、御師の末裔は神宮の神楽の取次や旅宿業を行うものもいましたが次第にすたれ、三日市太夫をはじめとする御師邸もほとんど取り壊され、御師をかえりみる資料もばらばらになってしまいました。

 今、一定規模で伊勢市内に残る屋敷は、丸岡宗太夫邸のみとなっています。現在、市民活動により丸岡邸整備が進められています。MieMuの準備段階で設立された新博物館整備推進プロジェクトチームも協力し調査を進め、近世の食器類が確認されるなど成果が出ています。

 他にも御師のご子孫宅や、伊勢市内の博物館、図書館、まちかど博物館へうかがい、御師の屋敷絵図や神楽の道具、神楽の額などを調査しています。今後も、継続して調査研究を進めていく予定です。

 

 

「くらしと自然」

 わたしたちのくらしは自然環境に影響されます。また、人の手が加わることで自然も変化します。人びとが自然と関わり合いながら特色あるくらしを育んできたことに着目し、三重の山・盆地・平野・磯の4つの地域におけるくらしをとりあげて紹介することで、自然分野と人文分野との総合展示をめざします。

【コーナー紹介】くらしと自然

 このコーナーでは、県内の多様な環境のもとで営まれるくらしぶりを伝え、訪れる皆さんがこれからの皆さん自身のくらしを考える機会としたいと考えています。

「磯のくらしと自然」の調査

 基本展示室の「磯のくらしと自然」のコーナーでは、活気ある漁村の志摩市志摩町和具を中心に、磯にくらす人びとと自然のかかわりについて紹介します。三重県は、全国でもっとも海女さんの人数が多いことで知られていますが、県内各地の海女さんたちが、獲物のアワビやサザエなどを獲りすぎないように、資源の管理に努めていることは、あまり知られていないかもしれません。

 調査では、海女さんや漁師さんをはじめ、和具でくらす方々にお話を伺ったり、漁に同行させていただいたりしていますが、実際に見たり、聞いたり、経験をしないと知り得ないことが多く、驚きと感動でいっぱいです。写真(左)は、旧暦6月1日に、海の安全と大漁を願って行われる潮かけ祭りの様子です。祭りのクライマックスでは、海水をかけ合ったり、海へ投げこんだりするのですが、そのときの臨場感を、写真や映像を通してみなさまにもご覧いただきたいと思います。また、和具にくらす方々の声をお届けしようと、写真(右)のように、インタビューの撮影も行いました。展示をご覧いただいたときに、調査地を訪れたような感覚を少しでも持っていただけたらと願っています。

 和具の潮かけ祭り  漁師さんへのインタビュー撮影の様子

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