このページではjavascriptを使用しています。JavaScriptが無効なため一部の機能が動作しません。
動作させるためにはJavaScriptを有効にしてください。またはブラウザの機能をご利用ください。

三重県総合博物館 > コレクション > スタッフのおすすめ > はりもの機としんし棒

はりもの機としんし棒 (はりものきとしんしぼう)

しんし棒 資料名  しんし棒(特製洗いはりしんし)
資料番号 4181-2
数量   300本
寸法   長さ 38.2センチ
      針  0.2センチ
材質   本体は竹製で両端に金属製の針が取り付けられている。
しんし棒 資料名  しんし棒(特製洗いはりしんし)
資料番号 4181-2
数量   300本
寸法   長さ 38.2センチ
      針  0.2センチ
材質   本体は竹製で両端に金属製の針が取り付けられている。
はりもの機 資料名  しんし棒(特製洗いはりしんし)
資料番号 4181-2
数量   300本
寸法   長さ 38.2センチ
      針  0.2センチ
材質   本体は木製で布を挟む面に43本の金属製の針が取り付けられている。
解 説  晴れわたる青空に萌黄色の若葉が眩しい季節。穏やかな東風の中、街行く人々の装いにも軽快な色と形が増えてきました。ちょうどこの季節、旧暦の4月にあたり、いにしえの人々にとっては衣替えの季節でした。平安時代には、4月1日と10月1日が夏服と冬服の着替えの日とされ、その後明治時代になって公務員の制服が6月1日と10月1日にが衣替えと規定されるまで、それは年中行事とし連綿と受け継がれていました。「四月一日」と書いて“わたぬき”と読む苗字があるのもその名残です。暖かくなり、着物に入れてあった防寒のための「綿」をぬくという行為が語源となっているのです。

 かつては、衣替えの時期になると、それまで身に着けていた着物の「洗い張り」が行われました。庶民の服装の中心が和装だった昭和の初め頃までのことです。それは、私たちが、冬が終わると冬物の衣服をクリーニングに出すのと同じ、一種のメンテナンスです。

 「洗い張り」は、まず着物の布地をばらばらにすることから始まります。前身頃や後身頃、衿、袖などを縫い合わせている糸を全て抜き、分解したパーツを仮縫いして反物状に戻します。そして、この“反物”を洗濯し、縮まないようにピンと張りながら糊付けして、乾かします。これが「洗い張り」です。着物は、およそ幅30センチの反物から効率よく直線的に切り出した複数の布地によって構成されています。ですから、着物を一度反物に戻すといった、このような作業が可能なのです。現在では、専門の技術を持った職人さんしかできなくなりましたが、昭和の初めごろまでは、多くの家庭の庭先で普通に見ることのできる風景でした。

 さて、今回紹介するのは、この洗い張りに使った「はりもの機」と「しんし棒」です。 「はりもの機」は仮縫いして反物状に戻した布地を“ハンモック”のように張るための道具で、角材に取り付けられた43本もの針が、布地をしっかりと挟むために一列にならんでいます。はりもの機の両端は丸く面取りが施され、そこにはめ込まれるリングとそこから伸びるタコ糸は、布地を挟む二本の角材が離れないようにするとともに、柱などにくくり付けるための紐と「はりもの機」をバランスよく固定するのに役立っています。
 一方、「しんし棒」は、竹ヒゴの両端に2ミリほどの針をつけたものです。これを反物の両耳(側面)に張り渡すことで布を強く張ることができます。竹の弾力を利用した方法です。また、しんし棒1箱は、300本入りが一般的だったようです。反物をおよそ12メートルと考えると、しんし棒は、4センチごとに張られていたことになります。反物の耳から耳へと張り渡されたしんし棒は、その間隔が狭ければ狭いほど布地に均質な張りを与え、縮みを少なくしてくれました。

 『萬葉集』(巻第七)には次のような歌が収められています。「橡の 解き洗ひ衣の 怪しくも ことに着欲しき この夕かも」です。この中の「解き洗ひ衣」は、まさに着物の洗い張りを示しているといわれています。橡で染められた着物を身に着けていたのは庶民ですから、洗い張りはすでに奈良時代から庶民の生活に溶け込んでいたようです。古くなった着物は、「洗い張り」を経て子どもの着物に作り変えられたり、また最後は“当て布”になったりと使い続けられました。何度も着物を解き、洗い、そしてまた仕立て直すという文化は、古くから代々受け継がれてきた、物を大切にする「エコ」なのです。(U)
「洗い張り」イメージ
ページのトップへ戻る