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「東海道名所図会」(とうかいどうめいしょずえ)

資料名 「東海道名所図会(とうかいどうめいしょずえ)
東海道名所図会 6巻6冊
時 代 江戸時代
資料番号 155
寸 法 たて:26.0センチ
よこ:18.2センチ
解 説

秋祭り、紅葉、そして豊かな山海の幸など、秋は人々を旅へと誘う魅力に満ちた季節です。交通網が発達した現代では日帰りでもかなり遠方まで出かけることができ、休日には、有名な社寺や名所、山海の特産品などさまざまな秋の魅力に満ちた各地の観光地はたくさんの人々で賑わっています。

 多くの人々が社寺や名所旧跡への参詣・遊山の旅に出かけるようになったのは、街道や宿場の整備が進み、庶民の間に経済的なゆとりが生まれた江戸時代になってからです。特に、江戸時代後期には旅を題材にした読み物や浮世絵、そして、社寺・名所などを平易な文章と詳細な挿図で紹介した名所図会と呼ばれる旅の案内書がさかんに出版され、庶民の間で旅行がブームとなりました。

 今回ご紹介する『東海道名所図会』は、江戸と京大坂を結ぶ江戸時代の東西交通の大動脈であり、幕府が所管する五街道の中でも最も重要な街道であった「東海道」の詳細な案内書です。編者は、『都名所図会』など畿内諸国を中心に各地の名所図会を手がけ、名所図会の創始者とされる秋里籬島(あきさとりとう)で、挿図は竹原春泉斎をはじめ約30名の画家が分担して描いています。6巻6冊で構成される分厚い木版本で、寛政9(1797)年に出版されました。

 『東海道名所図会』では、京から江戸に向かって進む順に東海道沿道の宿場や社寺・名所旧跡などが記述されています。江戸時代の東海道が江戸日本橋を起点として京に至る街道とされ、これを題材とする読み本や浮世絵、双六のほとんどが江戸から京への順で書かれている当時にあっては、異例の存在です。それは、第一巻冒頭の凡例に「東海道は京師(京のこと)よりはじめて江戸に到る」と記され、本文が古代の日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征に所持した草薙剣(くさなぎのつるぎ)から書き始められていることから、都から東に下るという編者秋里籬島の歴史認識の表れと推測されます。また、同じ凡例には、この図会には街道を中心に名所・古跡・神社・仏院を収録したこと、神社は延喜式内社(しきないしゃ)と大きな社、寺院は古刹(こさつ)に限定したこと、東海道から離れていても名神や名刹は収録したことなど、編集方針も示されています。

まず、第一巻には朝廷の年始行事である小朝拝(こちょうはい)の挿図と草薙剣の解説に続いて京三条大橋から近江国大津付近までが納められています。第二巻には近江国大津付近から伊勢国桑名と佐屋道沿いの尾張国津島付近まで、第三巻には尾張国宮から遠江国袋井まで、第四巻には秋葉山・遠江国掛川から駿河国蒲原まで、第五巻には駿河国吉原から相模国平塚まで、最後の第六巻には江ノ島・鎌倉・藤沢から江戸日本橋までが収録されて完結しています。

第二巻の伊勢国内では、近江国との境の鈴鹿山・鈴鹿関などから始まり、坂下宿と筆捨山、関宿と地蔵堂・古馬屋など、亀山宿と森下、庄野宿と白鳥塚・範頼祠など、石薬師宿と稚武彦祠・杖衝坂など、四日市宿と諏訪祠・那古濱蜃楼・名物焼蛤など、桑名宿と名産白魚・十念寺・桑名神社・本統寺・大福田寺・法盛寺・伊勢海・間遠渡口・多度神社などが紹介されています。各々の社寺の項では祭神・本尊諸仏や殿舎・堂塔・宝物とそれらの由緒などが詳しく記され、また、名所旧跡の項では古歌・漢詩・古記録や伝承などが記載されています。その中でも巻首の草薙剣にかかわる日本武尊の事跡に関する白鳥塚や稚武彦祠、杖衝坂については詳しく触れられています。

このように、本書は東西交通の大動脈であった東海道と街道沿いの詳しい地誌を記録した貴重な資料です。生涯に遠方へ旅する機会が稀であった江戸時代の人々は、本書やその他の案内書、あるいは旅行経験者の話などから豊富な予備知識を蓄えて、東海道の沿道にある有名な社寺や名所旧跡などを訪ね歩きながら、数少ない遠出の旅を満喫したものと思われます。(SG)







 






 


↑坂の下

↑関地蔵院

↑日本武尊陵

↑冨田おぶけの焼蛤

↑桑名の白魚漁

↑桑名渡口
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