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和歌山街道・街道の昔々

第1話

礫石(つぶていし)の国分け伝説(松阪市飯高町)

昔、天照大神(あまてらすおおみかみ)と天児屋根命(あまのこやねのみこと)が両国の国境を決める時、天照大神が巨石を川に投げ入れて、国境を決めたという有名な伝説が伝わっています。巨石を投げた際、河水は滝のように流れ落ちたので、この地は滝野の里と呼ばれ、また水は川上に上がり、その波の変化した様子から、加波の里、波瀬の里、舟戸の里、波が止まったところを波留と、それぞれの地名が名付けられました。この櫛田川の巨大な自然石が、国分けを決めた「礫石」と伝えられ、その石が見える珍(めずらし)峠の山中にはこの伝説にまつわる歌碑も建っています。
礫石(つぶていし)の国分け伝説(松阪市飯高町) 礫石(つぶていし)の国分け伝説(松阪市飯高町)


第2話

蘇我入鹿(そがのいるか)の首塚(五輪塔)(松阪市飯高町舟戸)

大化の改新(645年)に中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(後の藤原鎌足)に暗殺された蘇我入鹿を祀ったものと伝えられている「舟戸五輪塔」は、町指定文化財の史跡で、五輪の石の上から順番に、空、風、火、水、地を表すキヤ・カ・ラ・バ・アの梵字が四方に刻まれています。この舟戸という地名は、悪神や厄霊を追い払う“船戸の神”を祀ったことから名付けられたといわれ、これがやがて旅の安全を守る道祖神として人々の信仰を集めるようになったとされています。近くにある能化庵には、入鹿亡き後、妻と娘が尼になって霊を弔ったという跡が残っています。
蘇我入鹿(そがのいるか)の首塚(五輪塔)(松阪市飯高町舟戸)

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