歌人西行法師は伊勢詣の途中、多気町相可で「つかれぬる我を友よふ千鳥ケ瀬こえてあふかにたひねこそすれ」という歌を残しました。以来彼の詠んだ歌からこの地を千鳥ケ瀬と呼ぶようになったといわれています。近くには、悪魔退散を願って祀られた塞の神や、寛政 4年(1792)と刻まれた自然石の燈籠、老いた藤が巻きついた椋の大木があり、かつての面影を残しています。 |
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南北朝時代、伊勢に下向した北畠親房が伊勢本街道と熊野街道の分岐する要衝の地、玉丸山に築城したのが始まりとされています。一時は北朝方の仁木義長・高師秋により落城しますが、両朝合一後は北畠氏の居城となり、玉丸御所と呼ばれました。現在でも標高50mの丘の上には、天守台をはじめ本丸・二の丸・大手門の石垣、及び水をたたえた内堀が残り、戦乱の世を思わせるこの地は県の史跡に指定されています。 |
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