松尾芭蕉の生涯(少年期・青年期)
ここでは、松尾芭蕉の生涯を世界や日本の歴史と照らし合わせながらご紹介しています。大きな世界規模の発見、時代の流れの中で日本がどのように影響を受け変化していくのかをご覧ください。
芭蕉年譜 | 日本の出来事 | 世界の出来事 |
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1644年 寛永21年(正保元年) 1歳 伊賀国(三重県)に生まれる。幼名は「金作」。のちに「忠右衛門宗房」と名乗る。家族は父・松尾与左衛門と母、兄の半左衛門命清の他、姉一人、妹が三人。 |
1651年 【徳川家光死去。家綱4代将軍に就任】 1655年 【オランダ人の糸割符制を廃し相対貿易とす】 生糸の輸入量を増やし、価格を抑えるために始められたが、需要が増えつづけたため、根本的な解決をみなかった。 相対貿易は自由貿易のために貿易の主導権は、外国側に移る。金銀の国外流出が増加し、大きな社会問題となった。 |
1648年 【ウェストファリア条約締結】 30年戦争(宗教戦争)が終結。領邦君主に完全な独立権が認められ、神聖ローマ帝国が事実上解体した。 1651年 【クロムウェルの航海条例】 イギリスの海運、貿易に関する規制法。これをきっかけに海上権をめぐりイギリスとオランダが争った。(英蘭戦争) |
1656年 明暦2年 13歳 2月に父が没する。数年後、藤堂藩伊賀付の侍大将・藤堂新七郎家の跡取りである良忠(俳号・蝉吟)に仕える。 |
1657年 【江戸明暦の大火】 振袖火事とも言われる。呪いの振袖を供養するために燃やしたところ、 火が寺に燃え移り江戸中で10万人の死者が出た。 【林羅山「朱子学」】 江戸初期の幕府の儒官。林家の初祖。藤原惺窩の推薦で家康に謁し、その信任を得、学問、政治上の諮問に応じ、また古書の収集、出版に従事した。以来、秀忠、家光、家綱と四代にわたる侍講として外交文書や諸法度の起草にあたり、特に教学制度の確立に寄与するところが多かった。 1659年 【江戸両国橋成る】 この頃より 「川開き」として花火が打ち上げられ始める。 |
1659年 【ピレネー条約】 ピレネー条約によってスペインはフランスの領土拡大を許し、フランスがヨーロッパ一の強大国となった。 1660年 【イギリス王政復古】 クロムウェルの死後議会の尊重を条件に王政復古が認められた。その新国王チャールズ2 世は1670年に英国内でカトリックを認める代わりにフランスの援助を受ける密約を交わした。 【ボイルの法則】 気体の圧力と体積は反比例するという法則。またイギリスの化学者であるボイルは東インド会社重役として、東方でのキリスト教の布教に努め、自費で翻訳した聖書を普及させた。 |
1662年 寛文2年 19歳 芭蕉の句の中で、年代が明らかなものの中で最古といわれる「春やこし年や行けん小晦日」が詠まれる。 |
1662年 【明滅亡 パスカル死】 パスカル・フランスに生まれた数学者、物理学者、哲学者。「パスカルの法則」として知られる圧力に関する法則で有名。この功績に因んで圧力の単位として「パスカル」が使用されている。パスカルはこの他、哲学書「パンセ」の筆者としても有名であり、「人間は考える葦である。」とは、パンセの中に記された言葉。 |
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1664年 寛文4年 21歳 松江重頼編『佐夜中山集』に「伊賀上野松尾宗房」として2句が入集される。 |
1664年 【浅井了意「浮世物語」】 江戸前期の仮名草子作者・僧侶。仏書の註釈に従事。かたわら、中国の怪異小説を翻案する。この物語は失敗譚や狂歌咄があって娯楽性に富み、かつ教訓や啓蒙があり、仮名草紙の特徴を備えている。 |
1664年 【フランス東インド会社再興】 |
1665年 寛文5年 22歳 主君・藤堂良忠(蝉吟)主催の貞徳翁十三回忌追善五吟百韻の俳譜に参加。 |
1665年 【オランダ風説書の初め】 幕府は長崎の出島を窓口としてヨーロッパの文物を輸入し、オランダ船の来航のたびに商館長が提出するオランダ風説書(ふうせつがき)によって、海外の事を知ることができた。 |
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1666年 寛文6年 23歳 主君・藤堂良忠(蝉吟)が25歳の若さで没する。まもなく藤堂家を退いたと思われる。 |
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1667年 寛文7年 24歳 北村湖春編『続山井』に「伊賀上野松尾宗房」の名で、発句28句、付句3句が入集。 |
1667年 【ネーデルランド戦争】 オラニエ公ウィレム,スペインからの独立をめざし反乱。オランダ独立戦争開始。1648年の講和まで80年にわたる戦いとなる。 ミルトン「失楽園」出版。 【ムガール、ヒンズー教禁止】 イスラムとヒンズーの妥協のうえに成立していたムガール帝国は、アウラングゼーブの偏狭な政策によって、分裂への道を歩むことになった。 |
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1671年 寛文11年 28歳 吉田友次編『薮香物』に「伊賀上野松尾宗房」として1句入集。 |
1670年 【東廻り航路開く】 幕府は東北地方の米を江戸へ送ることができるようにするための航路(東廻り航路)の開拓を河村瑞賢に命じた。これにより海難事故が起こらずスムーズな米の運搬が可能となった。 1671年 【西廻り航路開く】 出羽国最上郡の米を江戸まで運ぶため河村瑞賢が拓く。津軽海峡の波が荒く事故が多いので東回りの航路をとらず、瀬戸内海から大阪、紀伊半島を迂回して江戸に入る西回り航路となった。 |
1670年 【マドリード条約】 ケイマン諸島の管轄が スペインからイギリスへ移る。 |
1672年 寛文12年 29歳 1月25日、『貝おほひ』を伊賀上野菅原神社に奉納。春、江戸に下る。 |
1673年 【分地制限令を布く】 分割相続による耕地の細分化をおさえた。 |
1673年 【イギリス審査律】 名誉革命は「権利の章典」に結実し、信仰の自由をもたらした。ただし、イギリスには英国教会徒に政治的特権を与える「審査律」が長らく存続した。 |