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平成21年04月15日

俳句のくに・三重

松尾芭蕉の生涯 コラム

変身願望

戦国の世、戦の時代から「太平」の時代へと時が移り、町民の生活にも豊かさが芽生え始めました。大阪・京都を中心とした元禄文化が生まれたのがこの時代です。この豊かな時代の中で文化が育まれ現在も伝承され続ける「歌舞伎」等が生まれました。役の中で“男性が女性を”“女性が男性”を“演ずる”という文明社会ならではの現象が生まれたのです。文学の世界でも、その作品の中で自分を他の“役柄”“異性”“職業”…に置き換え“演ずる”という事が行われています。 豊かな時代、人々は自分以外の者を演ずる事に憧れを持つのかもしれません。芭蕉たちも、連句の中で他人になりきり句を詠むという事を楽しんでいた様です。

商人のお墨付き

この時代、街道整備が進み物流の流れが生まれました。この交通手段の発達により、商人の台頭が見られ始めたのもこの時代です。現在でも活躍する大手銀行等が生まれたのもこの時代です。物流の流れは“お金の流れ”を生み、新たな勢力“商人”が力を持ち始めたのです。そして、この商人たちに一目置かれたのが“芭蕉”なのです。彼ら商人は言葉巧みに商いを展開していくのですが、“言葉使いの達人”である“芭蕉”を崇拝し活動のサポートを行っていたようです。さながら“芭蕉ファンクラブ”といったところでしょうか。

芭蕉を名乗る

「松尾芭蕉」を語るとき“「芭蕉」前・「芭蕉」後”という言葉が使われることがあります。1681 年、38 歳の時 門人李下が庵の庭に植えた芭蕉一株によって、芭蕉が庭にある庵の主の意で自らも「芭蕉」を号とするようになりました。そしてこの年の12 月、芭蕉は自分の事を“翁(おきな)”と名乗り始めました。芭蕉の数々の名句は皆さんご存知のところですが、今も語られるその名句、紀行文のほとんどは「松尾芭蕉」を名乗った後の業績なのです。現在の38 歳は仕事もバリバリにこなせる年齢ですが、当時人生50 年の時代から考えると、かなりの高齢と言っても過言ではありません。名前を変えた途端に精力的に旅に出向き、数々の名句を残す。まさに“覚悟を決めた”という感じでしょうか。「芭蕉前」は全く無名だったのに「芭蕉後」に一気に人気者へ。人生何が好転をもたらすかわからないものです。

ベストセラー生まれる

書籍分野に革命的な変化をもたらした技術がこの時代におこります。それは“版本”です。今でこそ書籍を印刷する技術はあたりまえのことなのですが、当時は写本からようやく版本の時代に移ろうとするところでした。この技術により多くの書籍を発行することが可能になり、出版文化が華開いたのです。井原西鶴『好色一代男』のベストセラーもこの技術の賜物です。工業技術の進化が、文化の後押しをし始めた時代の始まりです。ちなみに海外では1455年グーテンベルクにより初めての活版印刷物『四十二行聖書』が160~180部程度発行されました。まさに、メディア文化が誕生したのです。

旅への情熱

現在とは異なり、交通手段の限られていた江戸時代。“旅への情熱・憧れ“は私たちよりも強いものがあったかもしれません。『奥の細道』の序を垣間見ても、旅へのワクワクした気持ちを強く感ずることができます。各所に関所があり、移動時間も今とは比べ様のないほど費やした時代、国内旅行ではありますが 現在の海外旅行以上の価値があったのかもしれません。

「奥の細道」第2幕

芭蕉が旅を終え、自分自身の旅路にも幕が降ろされた後、数々の紀行文が生まれました。芭蕉の足跡を巡る旅をする方々が今も数多く居られます。芭蕉が残したその多くの俳句は今も輝きを放ち、私たちを“想像の旅路”へと掻き立てるのでしょう。松尾芭蕉が没して300年以上たちますが、五・七・五で表現された日本の風景は、今も私たちの心に響きをもたらします。十七音で表現される日本独特の文化“俳句”は日本人誰もが楽しむことのできる共通の文化なのでしょう。

元禄文化と化政文化

江戸時代前期の文化を「元禄文化」、後期を「化政文化」といいます。松尾芭蕉の生きていた時代は元禄文化にあたります。元禄文化は商品経済が発達し、経済力をもった町人を中心としておこりました。華やかで活気に満ちた文化で歌舞伎などで花道、回り舞台など現在も使用され技法もこの時代に発明されたものです。工芸、陶芸も発達し華やかなものが持てはやされ始めたのもこの時代です。 一方、江戸後期の文化「化成文化」は江戸、大阪などの都市部だけでなく全国各地で様々な文化活動が活発に行われた時代でした。『里美八犬伝』『東海道中膝栗毛』や写楽、葛飾北斎、歌麿といった浮世絵の画家も多く排出されてます。裕福な農民、商人の中には茶道、華道を学ぶ者もいました。交通の発達(街道の整備)により文化、風俗の交流が全国規模でおこりました。

芭蕉イズム~芭蕉は今も生きている~

1694年に芭蕉がその俳諧人生に幕を閉じてから現在で3世紀の時が流れました。芭蕉の死後、彼の弟子達により俳諧は引き継がれますが、流行に波がある様に俳諧にも浮き沈みがあった様です。しかし、芭蕉死後 半世紀ほどたつと「与謝蕪村」が誕生し俳諧が再び脚光をあびます。そして、江戸後期には日常の生活感情を俗語を駆使して表現した「小林一茶」が現れ文化の脈絡は引き継がれていきました。明治維新以降、西洋の影響を多大に受け 人々の生活そして文化にも新しい流れが生まれます、その中にあっても松尾芭蕉が作り上げた俳諧は再度注目をあび「芥川龍之介」の『芭蕉雑記』『続芭蕉雑記』で取り上げられています。また正岡子規は評論『芭蕉雑談』の中で芭蕉を批判するのですが、その反響は大きく、「芭蕉」「蕪村」を新たに見直した新派俳句へとつながっていきます。俳句という呼称は子規により提唱されました。このように、芭蕉の偉業は多くの研究者、文学書等 様々な人々の関わりの中 3世紀という時を経ても現代にも引き継がれているのです。そう、「芭蕉は今も生きつづけている」のです。

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