田丸城跡

たまるじょうあと


田丸城跡

指定区分

指定種別

史跡

指定・登録日

市町

玉城町

所在地

度会郡玉城町田丸字城郭114-1ほか

所有者

玉城町

員数

-

構造

-

年代

南北朝時代~江戸時代
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関連資料

概要

 田丸城の歴史は南北朝期初期に遡り、南朝の拠点として北畠親房が築いたとされている。
 興国3(康永元、1342)年には伊勢守護仁木義長により攻め落とされたが、その後、北畠氏により復興されている。室町時代の田丸城は多気(津市美杉町)に次ぐ北畠氏の一大拠点であり、南勢支配の中心である。16世紀代には城内に庭園もあり、京都から参宮に訪れた山科言継もここで接待されている。
 天正3年(1575)に北畠氏の家督を継いだ北畠具豊(きたばたけともとよ、=織田信雄)が、南伊勢支配の拠点として大改修したが、具豊は天正8年(1580)に松ヶ島城(松阪市)に遷った。
 その後、城主は田丸氏、稲葉氏、藤堂氏と替わり、元和5年(1619)に田丸が和歌山藩領になると紀伊徳川家の家老久野氏が城主となった。
 城跡は、天守台をはじめ、本丸、二の丸、北の丸の石垣、空堀、水堀が良好に残っている。

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