宝永・安政津波供養碑(最明寺の供養碑)
ほうえいあんせいつなみくようひさいみょうじのくようひ
指定区分 |
県 |
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指定種別 |
有形文化財(歴史資料) |
指定・登録日 |
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市町 |
南伊勢町 |
所在地 |
度会郡南伊勢町贄浦98番地 |
所有者 |
最明寺 |
員数 |
1基 |
構造 |
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年代 |
- |
関係サイト | |
関連資料 |
概要 |
贄浦の最明寺の境内にある石碑である。石碑の銘文から、宝永4年(1707)10月4日と嘉永7年(1854)11月4日に起きた地震と津波の被害状況と今後の心構えを記している。 碑の右面には嘉永7年11月4日に大地震と津波があり溺死者3名、流出家屋60余、破損家屋数知れずという被害があったこと、大地震があれば必ず津波があることを教訓として伝えている。また碑の左面には宝永4年10月4日に津波があり、溺死者60人余の被害を出したこと、碑を建てた安政3年(1856)がその150回忌にあたることから、村中の善男善女の浄財により、浜で大施餓鬼会を修したことが記されている。 この石碑は宝永・安政の大地震とそれに伴う大津波という、三重県の歴史上極めて重要な事象に関する遺品として価値が高いものである。 |
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