松ヶ島城跡
まつがしまじょうあと
指定区分 |
県 |
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指定種別 |
史跡 |
指定・登録日 |
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市町 |
松阪市 |
所在地 |
松阪市松ヶ島町字城の腰 |
所有者 |
松阪市 |
員数 |
- |
構造 |
- |
年代 |
戦国~安土桃山時代 |
関係サイト | |
関連資料 |
概要 |
南北に通ずる旧参宮街道沿いの松ヶ島集落の東方の水田中にある微高地上にある。俗に天守山と称され、この付近は堀ノ内と呼ばれている。 もともとこの地は細頚(ほそくび)という港町で、戦国時代には、北畠氏が築いた「細頚城」があったとされている。その後、天正8年(1580)には北畠具豊(きたばたけともとよ、=織田信雄)が南伊勢支配の拠点として大改修を行い、織田信長の安土城、信忠の岐阜城とともに織田一門の中心的な城郭となった。 天正12年(1584)に織田信雄・徳川家康と羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が不和になると、松ヶ島城は織田方、のち羽柴方により攻撃され、戦後は近江日野から蒲生氏郷が遷り、城主となった。 その後、氏郷は南の四五百(よいほ)に松坂城を築き、そこに遷ったため松ヶ島城は廃城となった。 |
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