日永一里塚跡
ひながいちりづかあと
指定区分 |
県 |
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指定種別 |
史跡 |
指定・登録日 |
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市町 |
四日市市 |
所在地 |
四日市市日永 |
所有者 |
日永地区連合自治会 |
員数 |
- |
構造 |
- |
年代 |
江戸時代 |
関係サイト | |
関連資料 |
概要 |
江戸幕府は慶長9(1604)年東海道等の修理にあたり一里塚を築かせた。四日市市内の東海道には4個所に一里塚が築かれていたが、いずれも削平されてしまっている。 日永の一里塚跡は、日永5丁目の倉庫と住宅に挟まれた空き地にあり、現地には「史蹟日永一里塚阯三重県」と記した石碑が建っている。もともとは当地から北の2丁目にある榎(えのき)の老樹が一里塚として指定されたが、再調査により当地に変更された。 元禄3(1690)年版の菱川師宣(ひしかわもろのぶ)の『東海道置絵図』に当地が明記されており、明治の始め頃まで道路の両側に5m四方で高さ2.5mの塚があり、榎と松が茂っていたと言う。 |
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