名張藤堂家邸跡
なばりとうどうけていあと
指定区分 |
県 |
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指定種別 |
史跡 |
指定・登録日 |
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市町 |
名張市 |
所在地 |
名張市丸之内 |
所有者 |
名張市 |
員数 |
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構造 |
- |
年代 |
- |
関係サイト | |
関連資料 |
概要 |
藤堂高虎の養子高吉は寛永13(1636)年に名張に封を受け、城を築いたが宝暦7(1710)年に大火により焼失、後すぐに大規模な邸宅として再建された。 江戸中期の図面が残り、敷地約188アール、部屋も1083畳に及んだという。部屋は大別して表向、表住居向、奥住居向、大台所向に区分され、他に武芸場もあり、主な部屋は床、違棚があり、間取りは複雑で大名屋敷として相当なものであった。 明治初年に大部分が取り壊され、奥住居の一部と正門が残るのみである。屋根は桟瓦葺、中奥の間と囲の前面に書院式枯山水の庭園がある。平成4年に保存修理が行われ、大名の住宅を知り得る県内唯一の文化財であり、一般公開されている。 |
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