鳥羽城跡
とばじょうあと
指定区分 |
県 |
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指定種別 |
史跡 |
指定・登録日 |
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市町 |
鳥羽市 |
所在地 |
鳥羽市鳥羽3丁目 |
所有者 |
鳥羽市ほか |
員数 |
- |
構造 |
- |
年代 |
安土桃山時代~江戸時代 |
関係サイト | |
関連資料 |
概要 |
鳥羽は中世には泊と呼ばれ、志摩地域の海上交通の要衝であった。南北朝期、当地には志摩国守護代の城が築かれている。戦国末期には九鬼水軍で名高い九鬼嘉隆が織田氏の家来になり、当地を領有することになった。 発掘調査の結果、城跡からは、文禄~慶長期(1500年代末~1600年代初め)に遡る可能性がある瓦が出土しており、九鬼嘉隆とその跡を継いだ守隆が鳥羽城を修築したことが明らかになってきている。 その後、九鬼氏に替わって城主となった内藤氏によって二の丸、三の丸が整備され、海に向かって大手門を開くという「海の城」としての体裁を整えたとされる。 史跡地には本丸を中心に大規模な石垣が残っていて、近世志摩国統治の拠点としての威容をよく残している。 |
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