藤堂高久公墓所

とうどうたかひさこうぼしょ


藤堂高久公墓所

指定区分

指定種別

史跡

指定・登録日

市町

伊賀市

所在地

伊賀市長田字十王下

所有者

個人

員数

-

構造

-

年代

-
関係サイト
関連資料

概要

 藤堂藩三代目藩主である高久公の御廟である。藤堂家代々の墓所は寛永寺寒松院にあるが、高久公は江戸で元禄16(1703)年4月29日に亡くなった後、遺言により上野盆地西部の長田山に埋葬された。長田山は上野城から西へ約2.5kmのところにある標高約207mの低山で、高久公の墓所は、頂上部から北東方向の一段下がった標高180m前後の鞍部に建てられている。現在も全山が藤堂家の所有地となっている。総面積は24,311平方メートルである。
 高久公墓所の造営当時の様子は、朱雀家が所蔵する「高久公易簀録草稿」「高久公易簀録附録草稿」に詳細に記録されており、また、弘化~嘉永年間(19世紀中頃)にかけて、藤堂藩の伊賀作事方が作成した墓所の建築物の実測図「長田山御霊家絵図・地差図」が伊賀市指定文化財となっている安場家文書にみられ、当時の藩主霊廟の様相が知られる。また、現在は所在が不明になっており、写真のみが残る紙本著色の「長田御山総絵図」(製作年代不明)にも、同様の建物配置が記されている。
 現在、建物で残存するのは御霊家のみだが、番屋のあった平場や参道の石段・石垣、灯籠等は良く残っており、旧状を推しはかることができる。
 遺構は総じて保存状態が良好であり、かつての建物は失われているものの、史料類にある遺構の位置も容易に特定する事ができる。長田山全体に残る近世藩主の墓所として風格と、良好な保存状況から文化財としての価値は十分有するものである。

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