千種城跡
ちぐさじょうあと
指定区分 |
県 |
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指定種別 |
史跡 |
指定・登録日 |
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市町 |
菰野町 |
所在地 |
三重郡菰野町千草 |
所有者 |
千草区 |
員数 |
- |
構造 |
- |
年代 |
南北朝~戦国時代 |
関係サイト | |
関連資料 |
概要 |
鈴鹿山脈の御在所岳東麓の標高110mの丘陵先端部に築かれ、根平越(ねのひらとうげ)・杉峠を越え近江八日市に至る千種越(ちくさごえ)の起点にある。 丘陵尾根を幅約20m、深さ9mの空堀で断ち切り、高さ2mの土塁が主郭の西と南を囲む。中世から近世に至る山城としての形状を示す。後醍醐天皇の挙兵に際して戦功のあった千種忠顕(ちくさただあき)の子孫の居城で、忠顕の子顕経(あきつね)が鵜川原の禅林寺城から移って正平年間(1370)に築城したともいわれている。 |
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