水車谷鉱山跡

すいしゃだにこうざんあと


水車谷鉱山跡

指定区分

指定種別

史跡

指定・登録日

市町

熊野市

所在地

熊野市紀和町楊枝川字入会山

所有者

浦島観光ホテル株式会社

員数

史第85号

構造

-

年代

-
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関連資料

概要

 江戸時代には、金・銀・銅の需要が大いに増加したことと採掘・精錬技術の進歩によって全国的に鉱山開発が盛んとなった。これを背景とした紀州鉱山は、元和年間(1615~1624年)頃から和歌山藩直営で銅の採鉱を始め、明治時代初めに廃絶した。
 紀州鉱山のひとつである水車谷鉱山跡は、楊枝川右岸に位置する入会山の谷川沿いに所在し、江戸時代中期から後期にかけて栄えた鉱山跡である。
 鉱山跡を示すものとしては、鉱石を焼いて溶鉱するために石と粘土で固めた竈(かまど)跡3基、採掘の坑口跡や多量に廃棄された銅滓(どうさい)跡、役所跡や番所跡と伝承される石垣で区画された跡などが所在する。墓地には三界萬霊塔(さんかいばんれいとう)や墓石などの石造物が110基余あるが、文化・文政・天保(1804~1843年)年間のものが圧倒的に多く、鉱山の最盛期がこの頃と考えられる。また、墓碑銘には生野銀山・多田銀山のほか伊予・安芸・伊豆・陸奥・紀伊などからの出向者の存在や、男性以外に幼児や女性などの名前から、家族を含めた従事者の存在もうかがわれる。
 保存状態が良好な銅精錬用竈跡や、鉱山での生活を伝える屋敷跡地や石造物などが数多く残された産業遺跡として高く評価される。なお、「水車谷」の名称は、銅山で働いた人々が米をつくためや鉱石を砕くための水車があったとされる伝承に由来する。

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