教倫堂跡
きょうりんどうあと
指定区分 |
県 |
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指定種別 |
史跡 |
指定・登録日 |
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市町 |
鈴鹿市 |
所在地 |
鈴鹿市神戸4-1-80 県立神戸高等学校 |
所有者 |
三重県 |
員数 |
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構造 |
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年代 |
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関係サイト | |
関連資料 |
概要 |
江戸時代神戸藩の藩校で、神戸城内にあったもので、現在は神戸高等学校校庭の一部となっている。創始者及びその年代は不明だが、明治9年に川村竹軒が三重県に答申した文書によれば、文化9(1812)年、五代藩主本多忠升が二ノ丸の御用屋敷を改修して学校とし、明治の廃藩置県まで60年余続いたという。 本多家の初代忠統は萩生徂来等と親交があり、江戸の藩邸に成章館を設けて藩士に学問を奨励した。 |
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