旧麗澤舎
きゅうれいたくしゃ
指定区分 |
県 |
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指定種別 |
史跡 |
指定・登録日 |
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市町 |
伊賀市 |
所在地 |
伊賀市柘植町 |
所有者 |
個人 |
員数 |
1棟 |
構造 |
- |
年代 |
- |
関係サイト | |
関連資料 |
概要 |
江戸時代、庶民教育の場として建てられた心学道場。心学は享保14(1729)年に京都で石田梅岩が始めたもので、庶民を対象に、平易に勤勉、倹約を説いたものである。京都心学の中心的存在であった上河淇水らを招き、地元の有力の冨山采一、稲垣幸蔵、松尾半次、山本六太夫らが都講となり、私財を投じ、道場を経営し、講義をおこなったもので、寛政元(1789)年刊の諸国舎号に、既にその名を見ることができる。 なお、現在残る建物は、医師でもあった冨山采一の遺宅で、木造平屋建瓦葺、文政12(1829)年建立とされる。また、心学の遺品として、心学伝承図、石田梅岩書状などが残されている。 |
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