石薬師の一里塚跡
いしやくしのいちりづかあと
指定区分 |
県 |
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指定種別 |
史跡 |
指定・登録日 |
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市町 |
鈴鹿市 |
所在地 |
鈴鹿市上野町83 |
所有者 |
鈴鹿市 |
員数 |
- |
構造 |
- |
年代 |
江戸時代 |
関係サイト | |
関連資料 |
概要 |
徳川家康は慶長6(1601)年に東海道の宿駅を設定したが、石薬師宿はややおくれた元和2(1616)年に定められた宿駅で、東海道53次のうち44次にあたる。一里塚は采女(うねめ)と中富田の一里塚との中間にあって、正徳元(1711)年の『東海道分間之図』に蒲川橋を土ばしと記し、北側に南側に塚があり、榎(えのき)が植えられている。今はその面影を全くとどめないが、戦前にはこのあたりから庄野にかけて、きれいな松並木が残っていたと伝えられている。 |
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