俳聖殿 附 厨子 棟札 門

はいせいでん つけたり ずし むなふだ もん


俳聖殿

指定区分

指定種別

重要文化財(建造物)

指定・登録日

市町

伊賀市

所在地

伊賀市上野丸之内

所有者

伊賀市

員数

1棟 1基 1枚 1棟

構造

木造、八角円堂、二重、宝形造、檜皮葺

年代

昭和17年
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関連資料

概要

 俳聖殿は松尾芭蕉を記念する堂で、地元出身の政治家川崎克(かわさきかつ)の主導により芭蕉生誕三百年にあたる昭和17年完成を期して計画された。初層は法隆寺夢殿を参考に八角堂とし、中央の八角厨子には芭蕉座像を安置する。外観は芭蕉の旅姿を建築として表現し、上層の屋根は芭蕉の笠、下層の屋根は蓑を着た肩から腰の姿、堂を取り囲む柱は杖とも脚とも見立てられるという。設計は川崎の意見をもとに島田仙之助が当り、建築学者伊東忠太(いとうちゅうた)が指導を行った。棟梁は地元の森本源吉である。 
 下層平面は伝統的な八角円堂で、外周に吹放しの孫庇を設ける。床は石敷で、化粧屋根裏(けしょうやねうら)を見せ、身舎(もや)には八角厨子(ずし)を据え、芭蕉座像を安置する。上層は円形平面とするが、実際に利用するものではなく、小屋組が露出し、下層からは梯子で出入りする。柱や繋梁(つなぎばり)、二軒(ふたのき)の扇垂木(おおぎだるき)、組物の肘木(ひじき)など主要な部材には丸太を使用し、屋根は勾配や軒出を順次変化させてうねらせるなど、お堂や宮殿の伝統的建築である堂宮建築(どうみやけんちく)を基礎にしながら、数奇屋風(すきやふう)のくだけた意匠を採り入れた自由な扱いがなされている。  
 俳聖殿は、堂宮建築の品格と数奇屋風の自由性を大巾に採り入れた独創的な記念建築物である。当時、鉄筋コンクリート造の記念建築物が多い中で規模が大きいにもかかわらず木造としたのは珍しく、近代和風建築の一例としても注目される。また、主として施主側の建築意図に関する関連資料を残し、近代における伝統文化感や、和風建築の展開を支えた施主と建築の関係を示す例としても興味深い。

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