城下町テラス(津まん中歴史資料館)
津城跡が見える津センターパレス1階に、津城や藤堂高虎のことが学べる資料館「城下町テラス―津まん中歴史資料館―」があります。ここには、津城の復元模型をはじめ、高虎の生涯を紹介するパネル等が展示されており、津城跡を散策する前に学べる資料館です。(入場無料)津城の復元模型は、実際の絵図をもとに製作されており、江戸時代の人々がみていたであろう津城です。藤堂高虎が居城とした強固な城を堪能できます。






「城下町テラス―津まん中歴史資料館―」には、津の城下町の模型があり、外敵から津を守るために南北の2つの川(安濃川と岩田川)も含めた城下町、未完で終わっている堀川、伊勢街道が城下町を通る様子など、藤堂高虎の城づくりがよくわかります。
また、津城丑寅三重櫓の10分の1模型があります。櫓の構造を記した図面が残っていたため復元ができました。この模型をみると、藤堂高虎はシンプルな櫓を好んだことが窺えます。




江戸時代の寛永13(1636)年から始まった「津八幡宮祭礼」を表した模型があります。各町が趣向を凝らした練物行列が表現されており、唐人踊りなども見られます。現在、津まつりとして引き継がれています。
また、津城の櫓跡や石垣をめぐるマップなどがあり、この資料館で、津城や高虎を学んだあとは、これらを使って城跡や街歩きをするのがお勧めです。




三重県総合博物館(MieMu)
藤堂藩が治めた津・伊賀の藩領が分かる図が三重県総合博物館にあります。三重県の真ん中に広大な藩領があることがわかります。この藩領は伊賀街道を通じ奈良や京都にも及びました。藤堂藩の領地の大きさが分かります。安濃津模型の津城下では田園地帯を西に伊賀地域に向かう伊賀街道を表現しています。三重県総合博物館で三重県の地形をみると、伊賀地域と津周辺の間には高い山地があることがわかります。布引山地といい、地殻変動でできた山地です。この山地を越える街道を伊賀街道といいます。この街道を整備したのは、藤堂高虎が初代藩主となった藤堂藩です。


津市は三重県のほぼ中心に位置し伊勢湾を望む県庁所在地です。昔は安濃津とも呼ばれていました。三重県総合博物館では、「現在の津駅・県庁・三重県周辺の街並み」、「江戸時代に参宮客で栄えた津城下町」、「室町時代に栄えた津の港」を表した詳細な模型があります。
旅人は、藤堂藩の本拠地の津を大変にぎやかな街と感じたようです。江戸、京からの旅人は江戸橋(部田橋)で合流しにぎわいは倍増しました。ここから南に約8Kmの町場が続きます。裏は田が広がる部分も多いですが、一本道の長い町場を行く旅人には見えません。安濃津の模型の展示に顔を近づけて当時の旅人の気分を体感してみてください。


塔世橋を渡ると津城の最大の櫓が遠くに見えますが、手前で街道は左折します。城の威容が見えるのは、しばらく進んだ擬宝珠つきの豪華な岩田橋を渡る時です。ここでは、巨大な外堀と櫓、本丸櫓が重なる姿が見えたと思われます。津城のすごさは平面図ではなく、歩く旅人視線で味わうものかもしれません。見る高さを変えながら展示で体感してください。


石水博物館
石水博物館は、江戸時代に伊勢商人の豪商であった川喜田家や川喜田半泥子(かわきたはんでいし)の旧蔵資料を中心に所蔵しており、その分野は茶道具・日本画・洋画・古典籍・浮世絵・伊勢商人関係歴史資料など多岐にわたっています。川喜田久太夫(号:半泥子)が昭和5(1930)年に地域文化の振興と社会福祉活動の拠点として設立した財団法人石水会館が母体となり、平成23(2011)年に半泥子ゆかりの千歳山(津市垂水)に新しい展示施設を新築し、移転開館しました。




川喜田半泥子(かわきたはんでいし)は、伊勢商人の豪商であった川喜田家16代当主であり、実業家・陶芸家で、「東の魯山人、西の半泥子」、「昭和の光悦」などと称されています。百五銀行の頭取等の要職を務めるかたわら、趣味の陶芸等において、その才能を発揮しました。
半泥子は、その多忙な日常において、書画・茶の湯・俳句・写真など実に多彩な趣味を持ち、いずれに対しても形にとらわれない自由で伸びやかな姿勢で風雅に遊び、その中で作品を創作しました。石水博物館では、季節やテーマに沿った半泥子の作品が展示されています。




石水博物館では、藤堂高虎に関する最古の伝記史料、「藤堂家覚書」と題した古文書が令和2(2020)年発見されました。この史料は寛永18(1641)年、藤堂家が作成した巻物の原本で、長さ約8メートル、続紙で裏打ちもなく、高虎の生涯を知る最古級の重要史料になります。

石水博物館にある千歳文庫は、昭和5(1930)年、川喜田半泥子が同家所蔵品の収蔵のため、津市郊外千歳山の自邸内に建設し、鉄筋コンクリート造4階建て、当初は三重県で3例目だったといわれるエレベーターを備えていました。国の登録有形文化財で、内部非公開です。

