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珍しい二つの喫煙習俗−志摩のキセルと熊野の柴巻たばこ


柴巻たばこを吸う女性(みえ熊野の歴史と文化シリーズ3『熊野の自然と暮らし』より)

柴巻たばこを吸う女性(みえ熊野の歴史と文化シリーズ3『熊野の自然と暮らし』より)


 近年、喫煙人口は減少傾向にある。公共施設や飲食店でも全席禁煙や禁煙スペースの方が多くを占めるようになってきている。こうした情勢にそぐわないとは思うが、今日はかつて三重県内にあった珍しい喫煙習俗を二つ紹介しようと思う。
 一つは志摩地方で見られたもので、小さめのサザエの殻を火皿にしたキセルである。1883(明治16)年東京上野で開催された水産博覧会に船越村(現・志摩市)の人が「栄螺(さざえ)煙管(きせる)」を出品しており、その解説書の控えが県庁に保管されている。製造方法は簡単で、小粒なサザエを煮て身を取り去り、火箸など細く先が尖ったもので小さな穴を開け、その穴を小石などで適当な大きにし、ラウ竹(キセルに使用する竹で、ラオスから渡来した黒斑竹)を挿入すれば出来上がりである。すべて手製であり、老人が葉たばこを吸ったと説明している。
 このキセルは、地域によって独自の言い表し方があり、志島ではデッポ、神明ではズッポ、鵜方(いずれも旧阿児町)ではヤゴダイと言った。別の民俗報告を見ると、用いるのは主に年老いた女性であったようで、道を歩きながら吸う姿をよく目にしたという。
 二つ目は熊野地域でよく見られたもので、主に椿の葉で刻みたばこを包んだラッパ形の巻きたばこである。これを柴巻(しばまき)たばこと言う。この習俗は熊野地方のほか、長崎県の五島列島と兵庫県の淡路島などにもあった。熊野地方の柴巻たばこの習俗は、ほかの地域よりも遅く、1980(昭和55)年頃まで見られたという。
 仏教的哲学者で知られる井上円了(1858〜1919年)は、この二種のたばこを著書『日本周遊奇談』(1911年著)で全国に紹介しているが、その中に「両所とも婦人がみな喫煙している」とあり、これが女性の習俗であるとしている。
 それよりも以前、1883年に当時三重県内21郡の習俗を取りまとめた「各郡習俗慣例取調書」には、南牟婁郡の婦女子の喫煙習俗について、「農漁其他動力ニ従事スルモノヽ吸烟ハ、大概椿ノ葉ニ疎切之烟草ヲ巻キ、之ヲ口ニ加ヘタル侭各業ニ従事スル等、当郡ノ慣例ナリ」と記しており、やはりここでも労働に従事する女性特有の習俗であったと解釈されていたことが分かる。このように、柴巻たばこの習俗は、熊野地方の女性の習俗として取り上げられる場合が多い。
 ところが、さきほどの栄螺煙管の解説書には、「尤モ地方ニテ木ノ葉等ニテ巻キテ吸ヘトモ夫レヨリ便ナル故地方ニ於テハ(栄螺煙管を)多ク使用スルモノアリ」という一文があり、志摩地方でも柴巻たばこが用いられていたことを示唆する。『阿児町史』や『大王町史』でもかつて柴巻たばこを吸う習慣があったと記している。志島ではシバマキ、鵜方ではトウジンベと言ったようである。
 また、さきの「習俗慣例取調書」の北牟婁郡の記録には、「人民ハ男女トモ常ニ普通ノ烟管・烟入レヲ用ヒス、方言『モンドリ』又ハ一名『柴巻』…ヲ用ユ、喫烟一箇ニシテ凡三時間ヲ保ツ」とあり、北牟婁郡では必ずしも女性だけの習俗ではなかったことが分かる。それにしても、「三時間ヲ保ツ」というのは、どういう意味なのか、このたばこについて詳しい方に聞いても、1本のたばこが3時間吸い続けられるとは考え難いとのことである。誇張表現なのかもしれないが。職場の中でも解釈をめぐって意見が割れた。
 これまで、柴巻たばこは熊野地方の女性の習俗として語られることが多かったが、さまざまな事例が発見されてきており、今後さらに調査を進めていく必要がある。

(県史編さんグループ 石原佳樹)

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